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マチネの終わりに

平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』は、何より文章が綺麗で、知性にじみ合う蒔野と洋子の会話に惹かれ、一文ずつ示唆に富んでいるように感じられた。
哀しくも美しい物語を、早く読み進めたくページをめくる一方、残りのページが少なくなることを惜しむ思いで読み進めた。

映画化された『マチネの終わりに』には、小説とは異なる形で心を揺さぶられた。

蒔野は、洋子こそが自ら音楽家として抱える苦悩を受け止め得る唯一の存在であることを認識した。
洋子は、自らの運命に降り注ぐ避けられない哀しみが、蒔野が奏でるギターの旋律により癒され昇華されることを悟った。
2人はたった3回会う中で、お互いの特別さを認め合い、洋子の婚約という障壁を越え、再会するはずだった。

石田ゆり子が演じる洋子が蒔野の妻となった三谷と数年振りに対面して、蒔野とのすれ違いの事実を知らされる流れは、この映画で最も揺さぶられるシーンだ。

冷静に三谷に別れを告げた後、洋子が独り座り込み、涙をこらえきれなくなった時には洋子への感情移入を余儀なくされた。

洋子の涙は、三谷に対しての怒りでも、
蒔野とのすれ違いに対しての憤りでもなく、蒔野を信じることが出来なかった自分に対する悔やみにより流されていたのだろう。

蒔野にとっての洋子とのすれ違いは、三谷にとって蒔野が人生の目的である程に、三谷からの深い愛を受け入れた自らに帰結した。

洋子にとっての蒔野とのすれ違いは、三谷が意図的に起こした事によるものの、蒔野を信じることで、回避する余地があったが、それに気付いた時には、お互い家庭という緩やかな錘を手にしていた。

三谷の愛を受け入れた蒔野、蒔野を信じることが出来なかった洋子。双方の思いを引き裂くことで幸せを手にした三谷も含めた3者の思いに寄り添うことで、この物語は、哀しさを伴い、蒔野が奏でる旋律と共に我々に揺さぶりをかけてくる。

最後のシーンは「過去は未来によって変えることが出来る」という蒔野の言葉が、悔みに縛られた洋子を救う希望になっていたことを示唆していた。

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