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「おじさん」の原理

現状、僕は電子マネーにまだ二の足を踏んでいる状態ですが、自分が提出しなくてはいけない書類に関しては勝手な事に「PDFじゃダメなのかな。」と思ってしまったりします。
※実際そう都合良くはいきませんが。


自分の仕事もWebやデジタルに関わる事が多いため、ここ10年を振り返るだけで各時代(年)に最新の何かが生まれては数年で消えてしまったり、残りつつもその性質を変化させたりといった事が多くありました。

それらに「ユーザー」と「担い手側」両方の立場で考えるよう心がける事で「イラストを描く」という仕事にも良い影響があるとは感じていますが、本音で言えば自分自身は全く興味のないコンテンツも多々あると同時に、目まぐるしい変化の中で「これをいつまで続ければ良いのだろう。」という気持ちにもなったりします。


新しい価値あるものが生まれて世の中でそうと認められる事は、それまで価値あるものとして認知されていたものが1つ権威を失墜させる事でもあると思います。

例えばデジカメの台頭によるフィルムカメラの存在がそうであったり、また僕は今もマイカーに夢を見ている世代ですが、自分の経済力が目標に到達する頃、ひょっとすると自動車は自分で運転するものではなくなっているかもしれないですし、若者達に至っては自動車への憧れ自体が時代遅れと感じられている風潮に加え、昨今の煽り運転ニュースの追い打ちもあって、という状況に何とも言えない気持ちが去来します。

「移り行く時代の速さ」という表現って、ひょっとしたら江戸時代以前とかからあったようなものかもしれませんが、例えばメディアでは、流行ったタイミングでタピオカ屋さんを始めるようなコスパの良い商売の勘所も、伝統の味を継ぐ料理人のような変わらない価値を守っていく仕事も割と両方取り沙汰されてはいますが、自分が生まれてたかが40年でこの両者の感覚の開きが加速しているという実感を得ています。


「マイインターン」という映画内で、ロバート・デ・ニーロ扮する年配の紳士が会社で隣の席に座る若者に、自らの小奇麗に使い込まれた仕事道具一式の価値を説くシーンがあり、そもそも僕は割と自分の哲学として「古くなっても良いもの」に価値を感じる方なのですが、そこでその「若者」が共感を示してくれた事で共感以上に殊更安心してしまった自分に気づきました。

単に「自分がおじさんなった」というエピソードに過ぎないのですが、現在までの自分の肌感覚として「人生最速時代」である今は、結局また更なる加速をしていくのでしょうし、それに対して「そんなの認めない」という戦いを始めてしまう人達が「真のおじさん」になっていくのだと思います。

ただ、変に全て受け入れる姿勢は返って媚びているようにも見えますし、柔軟性と頑固さって両方バランスよく持てていないと、「ニセ若者」に見えてしまう危険もあります。

見た目だけの話ではないのですが、若作りって返って違和感の種という気もしますので。

真のおじさんに堕ちないためにおじさんである事を早めに認め、自分の中の暴れるおじさんと上手に付き合っていくため、自己分析と丁度良い反省を刻んでいく事って大事だよなぁ、と思います。