社会的な意義

らしくないかもね

僕の活動についての話をしてみようと思う。

20歳そこそこの頃、僕は本当につまらない人間で、休みの日はなーんにもやることがなくて、とりあえず趣味みたいなものを作るかーと思って、釣りや草野球、スノボーとか、手を出してみたけれど、なんかめっちゃお金かかるな…そして得るものも少ないな…と思ってすぐに飽きたし辞めてしまった。

で、そこから自分探し、みたいなノリでカナダに行って、絵を描くようになったのだけれど、その時の僕はけっこう野心に燃えていたように思う。

「ベストセラー作家になるのだ!」

海賊王におれはなる!
に近いノリかもしれない。いや、モンキーDルフィ殿と比べるのは申し訳ない。足元にも及ばない。足元どころか地下だ。ルフィ殿の地下500mにも及ばない。

とにかく絵本作家になって、有名になってやろうと、お金いっぱい稼いでやろう、なんて思っていた。本を出したい。まずはそこからだ、と思っていた。

しかしその野心も、26歳くらいの頃からだんだん無くなってしまった。

なぜか。

売れてどうする?
お金持ちになりたい?
なってどうする?
高級外車に乗りたい?
高級な時計がほしい?
女性にモテたい?
モテてどうする?
日本は一夫一妻制なのに?
有名になってどうする?
名前を売ってどうする?
承認欲求のため?

なんかそういう事を考えてしまった。欲深い人間てどうなの?と思ってしまった。

ちょっと考えたのだけれど、多分そういう事ではないのだ。

目の前にいるトモダチに、

「ちょっとこれ描いたんだけど読んでよ」

「おう、見せて見せて。…思ったより面白いじゃん、続きは?」

「ありがとう、今続きを描いてるから、ちょっと待っててね」

僕はこんな感じのゆるいやり取りがしたいだけなのだ、という事に気付いた。

そして今では様々なサービスが登場していて、例えばYOMOというサービスは、誰もが絵本を出版できるのだ。もちろん最低限の絵本作りの知識は必要だとは思うが、商業出版するよりもはるかにハードルは低いわけである。

あとはAmazonのサービスである。サービスの名前はよく知らないが、例えばAmazon内であれば、電子書籍というカタチで、出版できるのだ。

他にもバーコードさえ取得してしまえば、自分で印刷会社にもっていき、全国に流通させる事だって、やる気になればできるだろう。

世の中が色々と便利になって、サービスが溢れてきたおかげで、自分の作品を世に出す、という事が、割と身近になってきたのだ。

だから別に「本を出す」という事自体にも、なんというか、魅力がなくなったとまでは言わないけれど、なんだ、もう普通に作れるんじゃん、といったカンジである。

なんだか書いている事がわけがわからなくなってきたぞ。

とにかく今の僕は、ルフィ殿のように「王」(ベストセラー作家)を目指しているのではないのである。

紙音芝居NOTET

https://kamiotonotet.studio.site/

今年からこんな団体を作って活動を始めた。いや、もっと前から、活動はしていたけれど、今年から団体に名前をつけた。

活動の内容としては、僕が描いた絵本を、劇団の方達がセリフ、ナレーションを担当し読み聞かせ、絵本のBGMを「ザ・ナッツ」というバンドが生演奏する、というカンジだ。

これがまあ、楽しい。

もちろん様々な問題点はある。

大人数になったことで、メンバー全員の予定を合わせるハードルが高くなった、とか、遠方から来るメンバーの交通費はどうする、とか。一人でやるのとは全然違っていて、明らかにフットワークは重くなった。

しかしながら、大人数になって、それぞれ別のスキルを持ったメンバーが集まったからこそ、できることの幅が広がった。

お客さんの前で絵本を読み聞かせる。反応がダイレクトに返ってくる。僕は昭和を生きていないので見たことはないのだが、紙芝居屋さんってこんなカンジだったのだろうか。

自転車の荷台に積んだ紙芝居を、集まってきた子どもたちに見せ、楽しませる。

僕たちはそんな先人達のエンターテイメントの火を絶やさずに、そして現代風に改良して、この活動を続けていけたらいいと思う。

この活動に社会的な意義があるのかどうかは知らんけど、これからを生きていく子ども達の、何かヒントというか、楽しんでもらえたら最高なのである。

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