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総合商社から、HR Tech company(ワンキャリア)への転職を選んだ理由

この文章はこんな方に読んでほしい 

  • 今後の自分が目指すべきキャリアの方向性がわからない

  • 挑戦はしたいけど、リスクを感じてアクションが取りづらい

  • 今後のキャリアを考える上で、まず何から始めればいいのかわからない



この文章では、僕のキャリアの恥部をさらけ出した。
正直とても情けなく、恥ずかしい部分もある。
それでも僭越ながら、上記のような方のほんの少しのきっかけになればと思って、文章にしてみた。

僕自身の話でいうと、今はまだこのビジネスの世界では、弱者中の弱者(ワンピースの世界でいうと、たぶんイーストブルーでも勝ち抜けない首領クリークの手下のギンくらい)だとおもう。もしかしたらそれも言い過ぎかもしれない。

一方で、そんな平凡なビジネス戦闘力のキャラだからこそ見える、感じられる、キャリアの考え方や、価値観みたいなものがある気がしている。この考え方は、世の中のほんの一部の天才的(何をもって天才というかは一旦議論しない)な人以外には、通ずるものなのではないかと思っている。

だから今回はそれ(僕自身が整理したキャリアの考え方)を当事者の僕自身が文章にした。
再三いうようにこの文章は決して、かっこいいものでも何でもない。
だけど今この瞬間を本気で挑戦しようとしているそんなあなたの背中を少しだけ押すことができれば幸いである。

今回は、下記の構成で文章を作成した。

① これまでのキャリアについて

自己紹介もかねて僕の略歴は、こんな感じである。

学生時代はサッカーばっかりやってきたこともあり、社会人になってから、自分が何を目指したいのかもわからない、というのが正直なところだった。一つだけ関心があるとすると「事業ではなく」、「組織(人)」に強い関心があるコトは明確だった。

なぜそうなったかは、高校時代の経験までさかのぼることになる。
ちょっとだけ脱線して、せっかくなのでこの原体験もお話させて頂きたい。

今からさかのぼるコト、もう11年も前のことになる(はやい…)。
高校3年生の時、僕は国学院久我山高校という高校で、1度も全国大会に出場することなく、3年生の冬の大会を迎えた。

同期とのMTGで、優秀な後輩たちがいかに自然体で、僕ら3年生のためにも勝ちたいと思いながらプレーしてもらうかが、僕らの代で全国大会に出る最善の策であるとMTGで話した。今思えば18歳で随分惨い結論を出したなぁと思う。もちろんすぐにチームに受け入れられるはずもなく、少人数でのMTGで幾度となく言い合いになったことも記憶に鮮明に焼け付いている。

それでも少しずつ理解を得て、同期全員が献身的に、試合に出なくても組織を支えることに徹して迎えた高校サッカー選手権大会の東京都決勝戦。下記の動画(0:10~1:45)にその模様が写されているので、是非見てみてほしい。

https://youtu.be/io75M6wlKiQ

僕自身も、この日試合には1秒も出られずベンチに座っていた。
でもこの試合で、劇的な逆転劇で勝利を掴んだ瞬間、耐えに耐えてくれたスタンドの同期たちの涙を見て、人生で初めて感動して涙を流した。
間違いなく11年たった今でも、あの瞬間は僕にとって人生最高の瞬間であり、あの組織は僕の人生最高の組織だ。

組織の目的のために、それぞれが全力で役割を全うする。
こんな組織がビジネスの世界でもつくれるようになりたい。
これが就職活動の時から一貫した、僕が働く理由になっている。

大学、総合商社、本田圭佑さんと共に創ったサッカークラブ、スタートアップ。どれもこの組織を上回る組織を創るコト、これだけがぶれない価値観としてあった。

一方で、その方法論はおろか、その目標地点でさえぼんやりしすぎて鮮明に見えず、ここまで年を重ねている(今年30歳になる。はやい…)。学生時代からかっこいい夢があり起業している友人や、アスリートとして活躍している諸先輩方を見ると、本当に恥ずかしい限りである。これが僕のこれまでのキャリアだ。


② 大きなキャリアの失敗からみえたキャリアのゴール(夢)

ここで唐突ではあるが、そんな僕のキャリアにおける夢について話したいと思う。それは、

「21世紀を代表する企業(C社やR社)を超えるような組織のCHROとなり、最強の組織を創るコト」

である。組織創りのプロになり、最強の組織を創るなら、どうせなら一位を目指すべきだと思った。それが実現できるかはわからないが、実現できるまでのプロセスは確実に苦しく楽しいだろう。そんな目標地点が見えた経緯を下記に書いていけたらと思う。

22年1月に、僕は丸紅を出て当時5人しかいないスタートアップに転職した。自分自身が、企業というブランドのお陰で評価されることが、少しずつ嫌になってきて、より厳しい環境で自分自身の裸の状態でのビジネス戦闘力を研磨しようと考えた。今考えれば、まだまだ考えも本当に甘かったなと思うが、この選択で、綺麗事になんてできないような大きな失敗をすることになる。自分自身の未熟さゆえに、心理的にも肉体的にもだいぶ深いところまで落ちた。

スタートアップでの経験は、半年で終わった。
会社を出た理由について、多くを語ることはできないものの、色々なことが起きた。そして僕自身も本当に未熟だったと思う。

22年6月に会社を半ば強引に出た僕は、転職先は全く決まっていなかった。転職先どころか、何を目指し、どうしたいのかもわからないような状態だった。夢とかそんなものはボキボキにへし折られ、何をやってもやる気なんて起きるような状態ではなかった。これが商社を出て半年で起きたコトである。
※いつか僕が組織を出て不安にさせた仲間や、僕が採用した仲間にはちゃんと謝罪したいと思っている

ここからがっつりニート生活を2カ月、半分ニート生活(業務委託での仕事は始動)を約半年間過ごすことになる。実兄に頭を下げ、家に居候させてもらい、時間がありすぎて、午前中はボーとするか義姉の仕事の送迎。午後は早い時間に銭湯に行って、おじいちゃんと肩を並べながらお湯に浸かり、本当にぼーっと何も考えずにただただ時間が流れるような時間を過ごした。

今思えばここでの失敗は、今後のキャリアで成し遂げたいことを明確にしてくれた。今後自分が「何を成し遂げたいのか、どうやって成し遂げるのか」を考えるきっかけになった。改めて僕が創りたい組織の解像度を上げてくれた。そしてそのプロセスも今はとてもクリアになってきた。

③ なぜ、HR tech companyに転職するのか

「21世紀を代表する企業(C社やR社)を超えるような組織のCHROとなり、最強の組織創りを行うコト」に向けて、僕はワンキャリアという会社での経験を選択した。本当にありがたいことに、人生の底から少しずつ立ち上がると、一線級の戦闘力をもつ諸先輩方(ワンピースの世界でいうと、レイリーやジンベイ的な存在)から「一緒にやらないか、独立して事業をサポートしてくれないか、出資させてほしい」というお声がけをいくつか頂いた。本当にありがたかった。まだまだ戦闘力が低い僕にも、少しだけ自信を持たせてくれた。また経済的な部分だけを考慮すると、もっとも合理的に考えれば自分ひとりで事業を行うことが最短距離なことも分かった。でも僕は今回ワンキャリアを選択した。理由は下記にて整理している。

  1. 商社やスタートアップでの事業経験に加え、更に生々しい事業経験(BSを意識した手触り感のある事業づくりの経験)

  2. 少人数から組織を当事者として創る経験(僕が所属する中途事業部の規模感)

  3. 100人~300人の規模感で実践する組織戦略の習得(ワンキャリア社全体の規模感)

  4. スタートアップ~大手企業(様々なマーケット)の人事の組織課題をヒアリングし、ソリューションを提案するというコンサルティング業務経験

※上記4について少し補足を行うと、ワンキャリアの中途事業部では、様々な企業の人事部と面談を行い、人事/組織課題を解決するためのプロダクトを提供している。ワンキャリアでの事業経験の中で様々なフェーズ、マーケットの生の組織課題のデータを自分自身に浴びせ続け、各社の人事担当と同じ目線で解決策を思考する時間は、僕のキャリアには極めて有効な時間になると整理ができた。

以上4点が、僕のなりたい像に対して必要な要素と整理し、この会社に入ることを決めた。

事業は人がすべてといっていい。
本当にこれは真理だと思っている。
優秀な人が集まる組織は、コロナのような外的要因による事業上のPIVOTも、その様は勇ましく素早い。それが実現できる元は何か、人だ。テクノロジーは、その人のパフォーマンスを代替するものではなく、効率化し最大化するものである。
これまでの経験でも、仮説が実証されてきている気がしている。
僕は最強の組織創りのプロフェッショナルになりたい。
そして自分自身が事業家として、最強の組織創りを実践し、組織の課題は、「あの組織を作った小比賀に聞け。」この状態を作りたい。

④じぶんだけのキャリアを創る方法論

これまで僕自身が死ぬほど悩み、ようやく見えてきたキャリアの目標地点とそのプロセスであるが、重要だと気付いたことは「バックキャスティング」である。
キャリアの目標地点を決めることも大変だが、そのプロセスへの仮説を持つことも容易ではない。常に仮説→実践→検証を自分自身で意識しながら、逆算してキャリアは構築していく。

そして普通の人間である僕でも、目標地点とそのプロセスが明確になってきたもう一つの理由は、「行動量」にある。月並みに聞こえるかもしれないが、行動の中からしか、その答えはないと思っている。僕は分からないことや、できないことがあるときに「とにかくやってみる」を大切にしている。どうしても、少し賢くなる(知っていることが増える)と頭でっかちになるひとが、僕の周りにも本当に多いが、行動の中から自分のゴールを探る以上に、最適な方法はないことがわかってきた。

⑤ さいごに(この文章をお読みいただいた方へ)

冗長な文章をお読みいただいた、そんな皆さんをまだ最後に騙すようで大変心苦しいが、軸はぶれずとも、恐らく来月には少しだけ違うことを言っていて、来年にはだいぶ違うことを言っていると思う。
でもそれも、変化を恐れず挑戦した結果だと思うので、ご容赦いただきたい。

僕はキャリアで大きな失敗をした。
多くの方に迷惑をかけ、血もだいぶ流してきた。
でもこれからもそうだと思う。たぶんすんなりうまく生きられるタイプの人間ではない。

それでも常に自分の周りの友人を大切にし、辞めずにバッターボックスに立って、バットを振り続ける粘り強さがある。これからもめっちゃ空振りもすると思う。その都度反省し、勝ち筋を模索して、またバッターボックスに立ちたいと思う。こんな平凡な僕の成功確率を上げるのは、なにせ一回のクオリティではなく、何回そのバッターボックスに立って、バットを振ったか、だと思っている。10年後にもまだ僕はビジネスの世界では、普通以下の成果しか残せていないかもしれない。でも今回わかったことは、とにかくやり続ける。思考して失敗をちゃんと次に生かす。当たり前に聞こえるかもしれないが、これができている人なんてほとんどいないと思っている。

挑戦→失敗→反省→挑戦
これをこれからのキャリアでも何回繰り返せるか。
その回数こそ成功を手繰り寄せるファクトになる。
平凡な僕が、活躍し始めたら(ワンピースの世界でいうと、新世界で活躍するルーキー的な位置付け)、上記の実践に成功したんだと理解してほしい。


僕はまだ何者でもないけど、僕のように普通だけど、何者かにはなりたいと思っているそんな情熱を持ったあなたを応援したい。
いつでもTwitterのDMから連絡してほしい。カジュアルな面談を通じて応援させてほしい(コーチングのプロフェッショナルライセンスも所持しているため、キャリア相談にはいつでも乗ることができる→もちろん1円もいらない)。
今月(23年3月25日)には、僕の思いが乗りまくった、そういうビジネスパーソンを応援するキャリアイベントも開催する。当日は100人以上ものビジネスパーソンが集う。この文章やイベントを通じて、そんな今この瞬間を本気で挑戦しようとしているあなたの背中を少しだけ押すことができれば何よりである。

あとがき

今回、ワンキャリアの社長である宮下さんには、とても大きな御恩ができた。そして入社までだいぶお待たせてしまった。
まずはこの組織に最大貢献する中で、自分自身も成長し続けたい。
また僕のことを身近で支えてくれた友人たち、家族には改めてこの場を借りてお礼がしたい。僕がどん底から抜け出せたのも、そんな最高な仲間たちがいてくれたおかげだ。これから少しずつ恩返しをさせてほしい。本当にありがとう。

僕の長く拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

※ワンピースの比喩がちょっとしつこくてすみませんw
※あと僕の最強の組織作りには最強の仲間が必要なので、僕と一緒に戦ってくれるメンバーはいつでもTwitterからご連絡お待ちしております。


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