【あの卒業生は今】 渡辺 信明さん
【あの卒業生は今】vol.10
学生時代のインターネットとの出会いがきっかけで進んだIT業界。日系企業、外資系企業を経てベンチャー企業の設立に参画し株式上場を達成後、現在は株式会社Contentservを立ち上げ代表取締役をされている渡辺信明さんに「起業家に向いている性格」や「仕事のやりがい」をお話ししていただきました。
-自己紹介をお願いします。
2000年度に国際学部を卒業しました、渡辺信明です。
現在は株式会社Contentservで代表取締役に就いています。週末はゴルフ場で修業に励んでおり、シニアプロでのデビューを目指しています。
-現在のご職業に就くきっかけはなんですか?
インターネットとの出会いがきっかけです。プログラミングやテクノロジーの基礎を学んだのは社会人になってからですが、IT業界に対する知識や自分の職業イメージが形作られたのは学生時代でした。
大学入学後は、山一證券や北海道拓殖銀行の経営破綻などが立て続けに起こり、日本経済は低迷していました。一方で、Windows 95を搭載したパソコンやインターネットが普及し始めた時期でもあり、私もISDN(※1)回線をワンルームアパートに引いてパソコン通信やインターネットを始めました。自宅にいながら電話回線1本で世界に繋がることができる。その感動と衝撃が、私のIT業界に対する興味を強くしました。
インターネットを活用した新しいビジネスモデルで事業を始める起業家が登場し始めたのもその頃です。今では大企業になった株式会社エム・ディー・エム (現在の楽天グループ)やサイバーエージェントなどが創業されています。
-就職活動はどのように行ったのですか?
職業選択において、「自分がやりたいこと」も重要ですが、「その業界が今後成長するか」はもっと重要です。当時は、インターネットの普及に時を合わせて金融ビッグバンと呼ばれる金融規制緩和も行われていました。そのため、「ITか金融」が今後は伸びるだろうと考えました。ところが、就職活動を開始するあたりからITバブル崩壊の前兆が現れ始め、企業の採用意欲もあっと言う間に低下してしまいました。
就職氷河期とはいえ、採用人数がゼロになるわけではありません。不況を言い訳とせずに、自分を信じて積極的に就職活動を進めた結果、ITや金融業界の20社を超える企業から内定をいただくことができました。
そのような就職活動で最も影響を受けたのは、やはりベンチャー企業の創業者からでした。私は、インターキュー (現在のGMOインターネット) が新卒採用を始めると聞いて応募しました。最終面接では熊谷さんとの面接が有り、自分のインターネットに対する想いを語ったのを覚えています。
熊谷さんとの面談を経て無事に内定を頂き、IT業界・ベンチャー業界への思いがますます強くなりました。しかし、私は文系の学部に在籍していたため、まずはコンピューターサイエンスやプログラミングをしっかりと身につけたいと考えました。そして、研修システムが整備されている大企業に一旦就職しようと思い、NTTソフトウェア (現在のNTTテクノクロス) にソフトウェアエンジニア職として入社しました。NTTソフトウェアには約2年半在籍し、プログラミングスキルを習得しコンピューターアーキテクチャの理解を深めることができました。当時の上司は、マッキンゼーへの出向経験のある方でした。転職したい旨を上司に告げたところ、「あなたはベンチャー企業が向いているから、DeNAかソネット・エムスリー(現在のエムスリー)に行きなさい」と言われました。「DeNA創業者の南場さんやエムスリー創業者の谷村さんは、マッキンゼー時代の上司だから紹介できる」ということでした。DeNA、エムスリー両社とも、まだ株式を上場する以前の話です。
せっかくのお話でしたが、私はそれまでと対局的な会社を見てみたいと考え、「外資系・ITベンチャー」企業であったウェブメソッド (現在のソフトウェア・エー・ジー) に転職しました。そして転職して2年後、外資系企業で出会った営業職の先輩とベンチャー企業の設立に参画し、約10年かけて会社を上場させるに至りました。
上場後は、海外市場に自分の仕事のフィールドを広げたいと思い、マーケティングソフトウェアのアジアパシフィック地域での販売権を取得し、現在に至ります。
-渡辺さんが思う“起業家に向いている性格”とはなんですか?
起業家とは、事業をゼロからスクラッチで作り出して収益化させることができる“ゼロイチ”の人だと思います。また、環境の変化はとても早いので、「新しいもの好きな性格」も重要でしょう。もちろん粘り強さは必要ですが、一方で「熱しやすく冷めやすい人」が起業家には多い気もします。
ビジネスを1から10にする人、10から100にスケールさせる人など、世の中には様々なタイプの経営者がいるでしょうから、一律に起業家と表現するよりも企業家や事業家と呼んだ方が適切かもしれません。
そして、様々な経営者に共通しているのは、「優れたバランス感覚の持ち主」ということです。バランス感覚とは、「両側・表裏を知っている、そして経験している」ことによって養われると考えます。私が学生時代に意識していたことは“五感をフルに使う”ということです。色々な場所に行く、色々な人に会う、色々なものを食べる。こういった経験がバランス感覚を培います。経験値に偏りがある人は、視点や視座の柔軟性に欠け、ビジネスを創造していくのは難しいと思います。
-渡辺さんが考える大学時代に身につけるべき習慣や、経験しておくべき事はありますか?
新しい物事に興味・関心をもち、探求し続ける姿勢・習慣がとても大切です。世の中の変化は本当に早い。そのためにも、振れ幅の大きい体験をすること。海外に行く。世界のニュースを読む。人種、宗教、国籍などの先入観を取り払い、異なる文化や価値観を持つ人たちと積極的に触れ合い、理解する。そしてもっと知りたいと思う。それが学習意欲にも繋がります。
また、自国と世界の歴史・経済を学び、世界の中の日本を理解するとともに、自身のアイデンティティを自分の言葉でしっかりと語れることは、グローバルコミュニケーションにおいて非常に大切なことです。インターネットの時代とはいえ、結局ビジネスは人と人との関係の上で成立します。自分の言葉で、正しく自己主張できれば、確実にビジネスパートナーとの距離が縮まるでしょう。
-今の仕事をしていてやりがいを感じることはなんですか?
仕事は楽しいことばかりではありませんが、やるべきことをひとつひとつ淡々とやっていく以外に道は有りません。困難なことでも、様々な国の人々との利害関係を調整しながら、共通の利益を目指していくそのプロセスにワクワクしながら取り組んでいます。そして、社員・仲間が増えてさらに大きな事を成し遂げることができる。そんな事業成長に大きな喜びを感じます。
-今後の目標はありますか?
昨今FIREという言葉が流行っていますが、私はあまり興味がありません。一方で、「選択肢のある人生」を送りたいとは思っています。例えば、「海外で働きたいと思ったら拠点を移せる」、「新しいビジネスアイデアを思いついたら、とりあえずプロトタイプしてみる」そんなフレキシビリティのある生き方が性に合っています。
「あの時、新卒でGMOに入社していたらどうなっていただろう」とか、「紹介されるがままにDeNAに転職していたら」とか、考えたことも有ります。(そもそも私を採用してくれたかどうかは定かではありません。) でも過去を振り返るのは非生産的な思考回路だと思ったので、もうやめました。前だけを見て、今この瞬間にワクワクしながら生きています。
-それでは最後の質問です。あなたにとって、桜美林大学とはどんな場所ですか?
私は前だけを見て生きているので、大学に対する強い愛校心やノスタルジーは一切有りません。
そんな私にとっての桜美林大学とは、「上京と希望」です。
栃木県の田舎で生まれ育ち、社会や経済の閉塞感を感じながらずっと東京に行きたいと思いながら過ごしていました。そして、桜美林大学に入学することで上京のきっかけを得ることができました。ただし、当時の私は、新宿も渋谷も町田も一括りに「東京」だと思っていましたが、上京してそれは大きな間違いであることを知りました。
いずれにせよ、憧れていた東京に出るという希望が叶った場所なので、桜美林大学に対しては「上京と希望」という言葉が想起されます。
※1 電話線を使用したデジタル回線のインターネット通信技術。通信速度は最大64kbpsもしくは2回線使用で128kbps。