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Winny金子勇さんと、Web3とか

WIRED Japanで、「Decrypting Web3: Web3の源流を求めて」という連載を始めさせてもらっています。

もうすぐ第2回が出るのですが、この連載はよくありがちな「Web3」をウェブ進化論的に並べたものでもなければ、ビジネス世界におけるNext Big Thingを論じるものでもありません。
Web3をひとつの社会ムーブメントと捉えて、現代に至るまで脈々と流れている歴史や思想性をちゃんとテクノロジーと結びつけて理解しよう、というものです。

ぼくがイーサリアムなどクリプト・ブロックチェーン業界に関わり始めた5年ほど前、そういう思想や精神性は、海外で出会う開発者や起業家には当たり前のものでした。
しかし、「Web3」がバズワード化してからはそういう思想が抜け落ちてきている感がありました。Web3はそのままで世界をより良く変えうる何かになれるのだろうか、と少しばかり危機感が募り始めました。
むしろ、FTX事件のように、倫理観のない行きすぎたビジネス・拝金主義が、多くの人に害を与えてしまうんじゃないか。

そんなようなことを、WIRED Japan編集長の松島さんと一緒のイベントに登壇させていただいた際にお話ししたら、共感していただき、このような形に相成ったわけです。

金子勇さんと、ぼくの知る天才Web3開発者たちの似ているところ


そんなタイミングで、映画「Winny」が公開されました。
42歳という若さで2013年に亡くなってしまった日本を代表するコンピュータ技術者、金子勇さんの闘いを描いた作品。

ぼくはいま欧州の西果ての方にいるので、まだ映画は観れてないですが、金子さんの弁護士として裁判を闘い抜いた壇俊光さんの著書は拝読させていただきました。
Winnyは、小学生か中学生くらいに名前を聞いたことがあって、当時我が家に届いたばかりの大きなパソコンで少し触ろうとしたけど、まだよくパソコンもインターネットもよくわかっていなかった自分はなんだか怖くなってやめた。そんなうっすらとした記憶があるような、それ位でした。

もちろん金子さんに直接お会いしたことはなかったので、この機会に、ご存命だった時の身振りや雰囲気を感じたいなと思い、
この動画(「私は究極の趣味プログラマ」あたりが特に良かった)や、こちらのインタビュー記事(「開発僧」や「亀」の話が非常に面白い)とかを拝見ました。

なんだか、初期のイーサリアムを作ってきた開発者たちや、その後ポルカドットを作ったGavin Woodなど、ぼくがWeb3に関わり始めて出会った技術者たちと雰囲気が非常に似ているなぁと感じました。
それは、プロの技術屋、テクノロジストとして、インターネットやパーソナルコンピュータのもたらすフェアでオープンな技術の力を純粋に信じ、自己表現の手段としてコードを書く。
そして、とても無邪気にさまざまな技術実験を世に問うていき、それを通して世界を少しでも良い方向に前進させようとする精神。それは、ぼくが現代のWeb3の源流だと考えている1960、70年代の最初期の「コンピュータおたく」の雰囲気とも重なっています。

先日入手したばかりのVRヘッドセットを嬉しそうになりふり構わず試すテクノロジスト

日本とアメリカのWeb業界が辿った歴史の違い

Winny裁判のように、新しい技術をよく理解しないままの国家権力が、頭ごなしに技術者を過剰に取り締まった例は、実はインターネット黎明期のアメリカでも何度も起きていました。

1988年、Unixの誕生に寄与したコンピュータ科学者のもとに生まれたロバート・タッパン・モリスというパソコンおたく界のサラブレットのような大学生がいました。彼がコンピュータセキュリティをテストするためのプログラムを書いたところ、コードに不備があり意図せず急速に広がってしまい、大学や政府のシステムに異常をもたらすような結果になってしまいました。彼は逮捕され、故意ではなかったとはいえ有罪判決を受け、全国的な大きなニュースになりました。
1990年には、『サイバーパンク』という名前(がついていただけ)のゲームを開発していた会社のオフィスに、大統領直下のシークレットサービスが強制捜査に入り、差し押さえられるという事態も起きました。
その後もハッカーへの恐れを過剰に募らせたFBIが、10代の開発者の家に乗り込んだり、ということが多発したそうです。

しかし、その後の歴史は日本とだいぶ違いました。アメリカの場合は、正しくテクノロジーを理解せず技術者の自由を奪おうとしていた国家権力に対してIT起業家や技術者たちが立ち上がり、個人のプライバシーや、コードを通した自己表現の権利を主張する運動が始まり、技術者の自由を守り抜けたのです。(この辺りの話も、のちの連載で書く予定です)

そんな時代を描いた映画「Hackers」(1995)より。
だいぶ脚色されているけれど、音楽と映像表現は今見てもかっこいい。

そういう土壌があったからこそ、その後もアメリカの技術者たちは不要な圧力を感じることなく、多くの世界的テクノロジー企業がアメリカから羽ばたく黄金時代を迎えられたと言えるかもしれません。
(事実、有罪判決を受けたモリスは、その後ポール・グレアムという文章を書くのが非常にうまい優秀な起業家と出会い、いくつかの会社を成功させ、シリコンバレーを代表するスタートアップ養成機関と名高いY Combinatorを共に立ち上げ、AirbnbやDropboxといったアメリカを代表するソフトウエア企業を支援していくのです。)

なぜ日本とアメリカでそういった違いが生まれたのでしょうか。
それは、個人の自由と、人権としてのテクノロジーを重んじる精神が脈々と欧米のハッカーやIT起業家たちには受け継がれていたからであり、その背景には1960年代から始まるカウンターカルチャーが大きく影響を及ぼしたと考えています。
個人の自由と解放を重んじるカウンターカルチャーの影響下から、スティーブ・ジョブズをはじめとした初期のハッカー起業家が生まれ、彼らによって当初は政府や大企業のものでしかなかったコンピュータは大衆化され、さらにオープンソースソフトウェアや初期インターネットの思想に受け継がれたわけです。

そんな歴史とは別にインターネット業界が生まれた日本においては、残念ながらそういった精神性はテクノロジー業界にはあまり根付かず、Winny裁判は見せしめのようになり日本の技術者のクリエイティビティは大きく制限。その間に、海外発のインターネットサービスが日本を席巻し、金子さんはP2P技術の延長線上にあるWeb3が形になる前に亡くなってしまいました。
晩年はAIやニューラルネットワークへの関心が高まっていたそうで、金子さんの手によってChatGPTみたいなものはもっと早く作られていたかもしれないですね。

技術だけでは社会はうまく前に進んでくれないことは個人的にもこの数年でよく理解しました。
Winnyと同じような間違いを繰り返さず、社会をより良くするために、これから思想がとても大切になると思っています。P2Pや分散化がなぜ重要なのか、単なるビジネス利益の話だけではなくWeb3にどういう歴史的/社会的意義があるのか。
そんな思想精神を伴った人が増えれば、Web3は世界をより良くする何かへと一歩近づくだろうし、大好きなプログラミングの時間を犠牲にしてでも日本の次なる技術者のために7年以上にわたって闘い抜かれた金子さんの想いに少しでも応えられるのではないか、と思ったりしています。


*トップ画像作成:Midjourney AI


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