建築とグラフィックデザイン

我々はデザイン・建築学課程の学生ですね、入学当初先生方は「デザインと建築は切り離せない」と仰りました。それからおよそ2年経ち、おかげさまでデザインと建築が切り離せないものであることはなんとなく分かったつもりですが、2つがどういう風な立ち位置にあるのか(上下関係にあるのかベン図のように重なり合っているのか、シームレスに繋がっているのか、はたまたどちらかに内包されているのか)未だに分かりません、おそらく正解がないからでしょうが

そんなことを考えているときに、ある本から新たな知見を得たので共有します!


太古の時代の諸民族が、後世に残すべき思い出があまりにも多すぎると感じた時、人類の思い出の荷物があまりに重く複雑になったために、ことばというむきだしで飛び散りやすい形式に頼ったのでは途中でなくなってしまう恐れが生じた時、人びとは頭の中にあった記憶を、いちばんよく見え、いちばん長持ちし、いちばん自然なやり方で、地上に記録しておいたのである。
だから、思想はすべて建物という書物だけにしか、じゅうぶんには書かれなかったのだ。建物という形をとらなければ、思想は写本という形にならなければならず、うっかり写本などになったら、あまちの広場で死刑執行人に焼き捨てられてしまったであろう。…そこで、無数の大聖堂がヨーロッパ全土を覆うに至ったのである。
繰り返して申し上げるが、印刷という形で表現されるようになってからは、思想ははるかに滅びにくいものになった。誰がこれに異議をさしはさめよう?むかしは硬い石で表されていた思想は、根強い生命力をもつものになった。石を積んだものはこわすことができるが、地上のあらゆる場所を占める印刷物を根絶やしにすることなど、どうしてできよう?
そんなわけで、印刷術が発明されて以来、いかに建築が、しだいに色つやを失い、痩せ衰え、裸になっていったかをごらんになるがよろしい。水位が下がり、樹液がなくなり、時代の思想や諸民族の思想が建築から離れていくのが、いかにありありと感じられたことだろう!(中略)だが十六世紀になると、もう、建築の病気ははっきり目に見えるようになった。建築はもう社会そのものを表現する主役ではなくなった。哀れにも古典芸術と化してしまった。


こちらは
『ノートル=ダム・ド・パリ』(上)
著・ヴィクトル=ユゴー
第5篇-2 これがあれを滅ぼすだろう

より引用しました。

つまり、タイトルにもした『これがあれを滅ぼすだろう』という言葉は『書物が建築物を滅ぼすだろう』という意味で使われています。

なぜ急に書物と建築を並列させて語るのかと思ったかもしれませんが、この作品の舞台となっている15世紀は、ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷を発明した時代である、という背景があります。

この印刷革命はもちろんグラフィックデザインの発展に大きく影響を与えます。書物という観点からみると、印刷革命を軸にして建築とグラフィックデザインが逆の立ち位置(滅ぼされるものと生かされるもの)にあるのでは?ということを感じ取りました。また、建築は思想表現の手段であり記録媒体である、という考えが今までなかったので、とても新鮮でした。

今はもう21世紀にまでなりましたが、どうなんでしょう?建築はまだ生きているように思いますが。次はグラフィックデザインがデジタルに滅ぼされる、とも言われていますが、なんだかんだ価値を生み出しながら続いていくのではないかなとも思ったりします。


あと余談ですが、このヴィクトル=ユゴー、ストーリーとあんまり関係ないことをめちゃくちゃ熱く語る悪いクセがありまして、この『ノートル=ダム・ド・パリ』という作品でも建築のこと、ノートルダム大聖堂のこと、当時のパリのことなど、ユゴーの考えが盛りだくさんでおもしろいですよ(^_^)


おわり!


by matsu

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