大庭和佳子の子育て人生8

8,ドイツで4人の子育て 日本人学校と校則
2006年、夫の駐在を機に家族5人でドイツへ。長男12歳、長女9歳、次女7歳小6、小3、小1の子ども達はデュッセルドルフ日本人学校へ転入しました。
2007年、第4子となる次男をドイツで出産。4人の子育てが始まりました。
住居は、日本人学校に近いオーバーカッセル地区のプリンゼンアーレにあるマンション。当時日本人が多く住んでいる住居でした。オーバーカッセル地区はドイツ人ならある程度の富裕層が住む、住み心地の良い安全な地区でした。子ども達は、入学するとすぐにドイツ語と英語の補修授業を放課後受けなければなりませんでした。デュッセルドルフ日本人学校では、ドイツ語は小1から、英語は小3からそれぞれ週2時間の授業がありました。3つのレベルに分けられていましたが、日本から来たずぶの日本人生徒は、学校の語学授業にいきなり入れないため、補講を受ける機会を与えられたのです。そのため入学当初は7時間授業でした。
日本人学校の生活にも慣れ、落ち着いたころ、3人の子ども達は、口をそろえて「英語の勉強がしたい!」と自ら言い始めました。彼らの学校環境を見れば、それは自然なことであったと思います。日本人学校の生徒は日本から来た子どもばかりでなく、ずっと海外を転々としていたり、ドイツが2か所目、3か所目という生徒も珍しくありませんでした。英語圏の場合は現地校へ通う、英語圏でなく日本人学校がない場合は、インターナショナルスクールや現地校へ通っていた経歴の持ち主なので、小学生といえども英語がかなり話せる生徒が、クラスに何人もいたのでした。またドイツが長い生徒はドイツ語も出来たりする、という同級生を目の当たりにして、英語をやらなければ!と思ったというわけです。
日本人学校の特性上、生徒や先生の入れ替わりが激しかったことと、生徒の語学能力の差が大きかったので、3クラスに分ける程度では、授業構成が難しかったと思われます。上のクラスでも、授業が簡単なため一部の生徒は英語の本を読んでいたそうです。そのため、時間数のわりに英語もドイツ語も中途半端な内容でした。語学の先生は現地の外国人先生でしたので、難しすぎたり、簡単すぎたり…6年間あれば、もっと力をつけることができたはずだと後になって思います。

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