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どんな父親が理想ですか?〜理想の父親〜

30歳に近くにつれ、周りの友人には子供が1、2人と子宝に恵まれインスタやFacebookは微笑ましい投稿が増えてきました!
自分の子ではないのにめちゃくちゃ可愛いく癒されています。
人様の子がこんなに可愛いのならば自分に子供ができたらどうなるのだろう?可愛くて仕方がない、親バカになってしまいそうです 笑

周りがお父さんになっていくのを見ていくと自分もどんな父親になりたいのかを考え、自分の父はどんな思いで私に接してくれて、育ててくれたのかを深く考えるようになりました。
そこで、今日は理想の父について noteに書き留めようと思います。

父の紹介

自己紹介noteでも紹介しました通り、父と母の歳の差が20歳あり、私は父58才、母38才の時に長男として生まれてきました。

他の家庭では味わえない家庭環境です!

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皆様のお父さんは昭和何年生まれでしょうか?
私の父は昭和8年生まれです。写真は4年生の時のクラス集合写真。
拡大してよーく見ると、一番右の方は、

いまにみろ英米なんかふっとばせ

とんでもない事を黒板に書いています。時代を感じます。
いや歴史を感じますね!

私が小学生ぐらいの時に父に、『お父さんの夢って何だったんですか?』
という問いに、『お国の兵隊さんだよ!』と返ってきたのを今でも覚えています。私はその時ギャグにしか思っていませんでした 笑

父との会話で敬語?と疑問に思った方も多い方思います。
そうなんです。高校にあがるまでは、父との会話は敬語を用いないとゲンコツを喰らっていました。面白いですよね 笑
多分、母が台湾出身で日本語がネイティブではないので日本語習得の遅れを感じていたのかもしれません。

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父の思いを知る

そんな歳の差58歳の父の教育を受け今に至りますが、
そんな父も、僕が中国へ留学している間に亡くなりました。
78歳でした。
中学3年生で私は父と同じ背丈で、体力テストでもかなり良い成績だったはずなのですが、腕相撲は勝てなかったですし、押さえられたら動けませんでした。そのぐらいパワフルな父でした。留学先で訃報を聞いた時はへんな冗談だと思っていました。

留学の途中での訃報で日本に戻ろうと思いましたが、途中で投げ出すなと言う両親の判断で留学を終えてから自宅へ戻り遺品整理をし、父の日記が出てきた時に、自分に対する思いが大量に書き記してあり、涙を流しました。
もう一つのタイミングが、今年です。
今年は母が亡くなりました。台湾へ移住する計画の半ばでの他界。借家に住んでいたので、少しずつ家のものを減らしていき準備を進めていました。
2年以内には台湾に完全移住というプランでしたが、母いない今はそんなプランも関係なく、身の回りの全てを断捨離していきました。

そこで見つけたのが、1枚のプリント。
小学校のお便りが1枚だけ残っていました。不思議に思って懐かしながら読んでいくと父の文章が記載されてました。

父の思い

約束(躾)

 私と息子(小学二年)との間にいくつかの約束があります。約束を破った時『約束を忘れたの』と問うと約束は覚えていて、きちんと言います。知っていることと、実行することは別です。口に出す事柄は、いわば理想です。実行するのは現実です。どんなに口うるさく『約束は守ってください』と言っても、私が息子との約束を守らなければ、息子も約束は守らなくても良いのでと思います。
『子どもは親の後ろ姿を見て育つ』と聞きます。息子が私の後姿を見て育つなら、私も一緒に育っていく必要があると思います。後姿とは、建前や見栄で飾られた正面の姿ではなく、私の現実の生き様を毎日見られているのです。
 約束を守ってもらうには、私が約束を守ることが肝要のようです。
 約束を守らせること、躾をするということは、どうも、私の側の問題のようです。

これを読んだ時に、こんな父親になりたい。その前に、こんな大人になりたいと強く思いました。

最後に

私にとって2020年は特別な年となっています。
素晴らしい仲間たちと仕事をする機会を断り、台湾で新しいチャレンジをしようと思った矢先に、母が他界、新型ウィルスにより台湾への渡航もできず多くの時間を色々な事に対して使いました。
しかし、こんな出来事があったからか、自分の将来像を強く深く考えることができ、新しい事に興味が湧いているのだと思います。

皆さんはどんな大人、父、母になりたいですか?

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