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人生、最初で最後の富士山登山

この7月に富士山に登った。

友人の娘夫婦が計画した、今年86歳になる爺様孝行プランに乗っかった。

山登りが好きな爺様は、日本中の山を登ったけれど、富士山はまだ登ったことがなかったのだ。爺様が大好きな孫が爺様が元気なうちに夢を叶えてやりたいと計画した。


爺様が登るくらいだから、楽ちん登山かなと思いきや、登山に楽ちんなどないのだった。

86歳になる爺様は、当日に長崎から1人で自分で車を運転し、富士スカイライン五号目までやっできて、合流。

本当に お元気な爺様です。

わたしは 都内前泊し朝6時半出発のツアーバスで富士スカイライン五号目まで。

登山服、用具、靴など一式をレンタルし、高山病とかもあるので万が一の安心料として600円の富士山登山保険にも加入しておいた。

わたしも登山は未経験ではなく
福島の山に 毎年夏に 林間学校と称して高校生を引率して1日登山をしていた。

が、しかしである。
3,000mの山は未経験。

どうなることやら…。

目標は当たり前だけど、
自力で登山し下山すること。



山開き直後で 登山客も
若干多いかと思ったけど
ガイドさんに よると
まだ 少ない方だとか。

五合目 富士スカイライン吉田口

登山口でガイドさんとミート。 

そして ガイドさんから
レクチャーを受ける。

いいですか、とにかく荷物は軽くしてください。水はペットボトル2本有れば大丈夫です。1.5ℓいりません。
水も食べ物も山小屋で売ってます。重い荷物でギブアップするくらいなら、そのぶん軽くしてお金を持って行く方が賢いですよ。多少高くても、絶対楽です。トイレットペーパーなんかいりません。山小屋の有料トイレには備わってます。トイレは有料です。百円玉を最低10個持って行ってください。

そして、リュックの重さをチェックされて中味を出された人もいました。

なんて、熱心なガイドさん。

歩きはじめてしばらくすると、
パラパラとプロペラ音を響かせて
ヘリコプターが山頂付近から
降りてきた。

あー、誰か滑落したみたいですね 
とガイドさん。

え!?
なんか いきなり不安になるわたし。

登山口
まだまだこれから
雲が湧き太陽を遮る


日焼け止めを塗り
水とか塩チョコとか
休憩毎に補給しながら
歩く。

まるで サウナに入ったみたい。
汗が半端ない。

高度が上がるにつれて
呼吸が苦しくなり
身体が 重くなり 足が上がらない。

自分の身体なのに 思うように
動かせない。

そして、夕方4時 やっと今日のゴール
八号目の山小屋到着。

到着すぐに食堂に案内されて夕食。
メニューは、温かい白米、レトルトカレー、レトルトハンバーグ、福神漬け、ペットボトルの水。

一斉に夕食を食べ始めたけど、
中には全く食べられない人もいる。

食事中に、明日の昼ご飯の白米とレトルト牛肉甘辛煮とお茶を渡された。

わたしは とにかく頑張って食べた。
食べないと この先が登ることが
できないと思ったから。

山小屋には有料トイレはあるけど
洗面所なんかないので
野外で歯磨きし、ペットボトルの水で口の中をすすぎ、身体拭きウエットシートで顔だけ拭く。髪は、砂埃でバリバリでヘアブラシも通らない。

そして 夕方6時に
砂でザラザラのドミトリーで
仮眠に入る。
下は寝袋、上は毛布二枚。
服はダウンやウインドブレーカー、あるだけ着込んでも、まだ寒い。

横になっても 呼吸が浅いのが
自分でもわかる。軽い頭痛もしている。
でも、記憶が途切れているから
断続的には 寝たみたいだ。

下界は38度でも
山の夜は ほぼ12度くらい。

夏服での登山なんか ありえない。
サンダルでの登山も ありえない。

途中で出会った 軽装の弾丸登山の外国人登山者たち
ほんとに やめてね。
登山ガイドさんやパトロールの方に
迷惑かけるから。 
と、思う場面も幾度もあった。

八号目山小屋出発時の夜景
まるで飛行機から見る夜景みたい

仮眠後、午前1時
ご来光に間に合うように出発。

星の瞬きが少なく きれいに見える。

ガイドさんが星空の案内をしてくれている間に ヘッドライトを探して頭につけた。

山頂を見上げると 既に登っている人たちのヘッドライトの光が長い点になって暗闇に浮かび上がって見える。

その列に加わって再び登山開始だ。

頂上が近くなるにつれて
呼吸もさらに苦しくなり
3歩進んでは立ち止まって、
深呼吸を繰り返す。

なんでこんな苦しいことやっているんだろうとか、チラリと思う。

でも 歩き続けるしかない。
こうなると 自分との闘いだね。

やがて 山頂に たくさんの人が
黒いシルエットになって浮かび上がって見えるようになった。

そして ついに 頂上にゴール!

感動する間もなく ご来光ポイントに案内されて 太陽が出るのを待つ。

太陽が昇る
ご来光

ご来光で 辺り一面が
太陽の光に つつまれる。

なんと神秘的な光なんだろう。
浄らかで 温かく すべての穢れを
取り去ってくれる光だ。

なるほど この光に出会うために
たくさんの人が富士山に登るのかと
思った。

万歳🙌🙌🙌が始まった

さて、感動もつかの間
登ったということは
とうぜん 自力で下山するのだ。

登るのも大変だったけど
下るのは さらに大変だった。

火山礫の石ころだらけの坂道を
ひたすら 歩く。

予想はしていたけど
膝と太腿に 痛みがきた。

石ころに足をとられて
途中 2回転んで 腕に
軽い擦り傷。

やがて 足が痛くて
筋肉痛で 歩けなくなった。
わたしの他にも 歩けなくなった外国人が 座り込んでいた。

途中 登山パトロールのお兄さんが
座り込んでいる わたしを
心配して 声をかけてくれた。

ありがとうございます。  
大丈夫です。
歩けます。
と、わたし。

ヨロヨロと歩き始めた わたしをしばらく 見守ってくれて なんとかなるかなと思ったらしく 先に下りて行った。


ピーカンの太陽が
時々 湧き上がる雲に遮られ
天然のミストが 
ほてった身体を 冷やしてくれて
助かった。

そして 五号目吉田口のゴール近くで 
馬引きのおじさんに 
乗っていく?
と 声をかけられた。

あと どれくらいの距離ですか?
その足だと 1時間くらいだね。
いくら ですか?
2万円、10分でつくよ。

なんとお高いお値段!
人の足元をみるとはこのことだ。

ここまできて 馬になんか乗るもんか
自力で ゴールするぞ!

と 馬とおじさんを 後にして
痛む足を 騙しながら
歩き続けた。

約5時間かけて 休みながら
自力で最終ゴールした。

とにかく 重たいリュックから解放されて 埃と汗で ガビガビに
なった顔と身体を 水で拭き
着替えをして さっぱりしたい。

レンタル登山服、靴などを返却して
集合場所に行き 無事解散となった。

あの頂上に居たのだ、わたし。

富士は日本で1番高い山。
姿も美しい。

最初の一歩を 踏み出したら
ゆっくり マイペースでも
いいから 決して諦めない。

諦めないで 歩き続ければ
必ず ゴールに たどり着ける。

そして そこには
たどり着いた者だけが見ることが
できる素晴らしい景色と 感動が
待っている。

この夏 この歳で 
自分を信じる大切さ
目標を諦めない大切さ
を改めて学んだ 富士山登山だった。

86歳の爺様は 今回の自分の登山に満足できずに 来年 リベンジ登山をするそうだ。

遅くても 自力で登山し
ご来光も しっかり見て
富士山神社で 70歳以上の人が
もらえるお神酒を 飲んで
長寿願掛けの土器をもらい
火口に 投げて
もう 爺様 最高だねー
と わたしは思っていたけれど
爺様のレベルは 遥かに高かった。

そして 爺様は 温泉にも入らず
また自分で車を運転して 長崎県の
自宅まで 1人で帰って行った。

86歳の爺様 恐るべし。


帰りに 温泉♨️に入り
遅くランチを食べて
首都高速で おきまりの渋滞にはまり
自宅に帰り着いたのが11時。

そして
次の日から 3日間は
富士山登山のオマケがきた。

全身が筋肉痛で 動けなかった。

まず、自力で立ち上がれない。
階段の登り降りができない。
身体が自分の意思で動かせないとは
こう言う状態なのかと思った。

まるで 90歳の身体になった感じ。

でも お風呂に入って
身体の血行が、良くなる毎に
回復していった。


富士山登山
わたしは もう いいかな。

爺様 来年 わたしの分も
頑張ってくださいね。

下界から 応援してます。

#富士山登山 #オバサト63#夏の思い出

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