映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』監督記:64 取捨選択
続けて編集のお話。編集は作品を構築する作業であるけれど、同時に捨ててゆく作業でもある。ドキュメンタリーは特に撮っても使わない素材が多い。なにを残すかは企画を始めた当初に立ち戻ることで判断する。本作の企画は原発問題を知らない人、よくわからない人に向けているので、お客様に劇場から持って帰ってもらいたいこと、心に深く留めてもらいたいことは、沢山あるわけではない。“原発はいけない”と思ってもらうというシンプルな目的を達成するために撮影素材を取捨選択することになる。
素晴らしい映像、素晴らしいお話しが撮れたとしても目的にそぐわなければ捨てなくてはいけない。断腸の思いとよく言うけれど、そこをドライに捨てることが監督の役割になる。
何を捨てるのかの判断は多数決では決められないので、監督役の者のたったひとりの判断が作品というものを作るわけだ。だから当然、出来上がったものの責任は監督にある。かといって責任の取り方というのは現実的には存在しない。発表した以上はただ、まな板の上に乗るだけだと自分は思う。
徹底的に吟味した素材で作品を世の中に送り出すのだけれど、その後必ずやって来るものは「ああ、ああすれば良かったかもしれない」「編集の時に、どうしてアレを思いつかなかったのか!?」という思いだが、それを自分は後悔とは呼ばない。出来上がった時点よりも自分が成長したからそう感じるのだろうと呑気に思っている。
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