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リップクリームを塗るのも、きっとエステ

トレーニングサロンの中にあるエステで勤めていた頃、お客さんによく言われたのが「夫にはエステに通ってることは内緒にして」ということだった。

トレーニングに通っているのは健康のためと胸を張って言えるが、美容のためにエステに通うとはどうも言えないということだった。

女性は一定の年齢までは「若く、美しくしろ」という圧を掛けられるわりに、中年以降は「ほどよく綺麗に」が求められるような気がする。そのほどよく綺麗にを保つにはそれ相応の努力がいるのだが、その努力を見せることを社会は良しとしないようだ。

「女性は美しくないとだめ」「美しくなる努力は隠さなきゃだめ」という社会の風潮は、全て他人軸によるものだ。
世間一般の基準を常に意識し、その合格ラインを超える努力をしなければいけないというのは、ゴールのないマラソンを走り続けているのに似ている。

私は20代の時そうした社会の風潮を敏感に真に受けて、自分の価値を外見で立証しようとしていたことがある。

自己肯定感が異常に低く、せめて外見くらいは、と髪も服も顔もいつもばっちりにしていた。その代わり表情は死んでいたのであちこちアンバランスな見た目だったように思う。
 
27歳でコーチングに出会い、そこでたくさんの綺麗な女性に出会ってから「美しさとは表情で決まるのではないか」という想いがだんだん強くなった。

私が通っていたコーチングスクールの女性ファカルティたちは、皆さんラフな格好でお化粧っけもない。でも真剣に笑ったり泣いたり豊かな表情が、私にはなんだかとても美しく見えた。
 
コーチングで心の世界を知り文章を書いて冷静に自分の心の裡を見つめるようになってからは、自分の美しさも素晴らしさも全て自分で決めてよいということに気づいた。

私の思う美しい人とは前述のとおり、表情豊かな人である。髪ははねていてもすっぴんでも、心から笑っている人に惹かれる。

おしゃれとは本来、自分がご機嫌でいるためのツールの一つにすぎない。外からの「美しくあれ」という圧に応じたり、内側の欠損を埋めるためのものでは決してない。

そういう意味で言うならちょっとリップクリームを塗ることだって、エステに入るはずだ。目に映る美しさは全てその人の中にあるから共鳴するもので、それを自分のできるペースで大切にする方法の一つがおしゃれなのだと私は思う。

私もそろそろシミ取りやシワ治療が気になるお年頃ではあるが、そうした外側のケアと同じくらい、内面を充実させることを大切にしたい。
 

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