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「いつか完璧になったらやろう」の「いつか」について

先日の週末、駅のパン屋さんで美味しそうなベーグルが売っていました。
イートインコーナーでコーヒーと一緒に食べてしまおうかとも思ったのですが「明日の朝ごはんのお楽しみにしよっと♪」とテイクアウトして帰宅。

翌朝温めたベーグルを一口食べた時、なぜか「あれ、思ったより美味しくない。こんなもんか」という感じがしました。

やりたいことを一番やりたいタイミングでやらなかった結果、その後やったら思ったより楽しくなかったという経験が私はよくあります。

例えば大学受験の時、私は「受験が終わったら渋谷のスイーツパラダイスに行く」というごほうびを自分に設定していました。

当時の女子高校生の間では、渋谷のスイーツパラダイスというケーキバイキングに行くことが流行っていたのですが、うちの両親は「渋谷は危険きわまりない場所だから、子どもは行っては行けない」という方針だったので行けなかったのです。

でも渋谷のスイパラで楽しい想いをしたという友人の話を聞くたびに「いつか行ってみたい」という想いは膨らみ、受験が終わったら行こうと楽しみにしました。

高校卒業式の次の日、お友だちを誘って夢にまでみた渋谷のスイパラへ。
ケーキは美味しいですし友人との時間は楽しかったのですが、正直「ふーん、こんなもんか」という想いは拭えませんでした。

辛い想いをしている時、私たちは「この辛い日々を乗り越えたら〇〇をしよう」と自分へのごほうびを考えることで今を乗り切ろうとする時があります。
また「今はできなくても、もう少し落ち着いたらやろう」と思ったりします。

ですが物事には旬というものがあるようで、ご飯は出来立てが一番美味しいように、自分が一番やりたいというタイミングを逃すと例えずっとやりたかったことでも、思うような結果が得られないことがあるようです。

私は今から5年前、一番きつい職場にいた時、毎週木曜日のお昼休みにセブンイレブンの当時150円だったカフェラテRをビルの外で飲むことだけを生きがいにして何とか日々を乗り越えていた時がありました。

こうした日々のコーヒー代を金融意識の高い方は「ラテマニー」と揶揄して呼んだりしますが、今振り返ると当時あんなに辛い想いをしながら頑張ってたのだから、ラテくらい毎日飲めばよかった、と思うのです。

過去を振り返ると「あの時あれをやればよかった」という後悔は多いのですが、不思議と「あの時あれをやらなくてよかった」という後悔は少ない気がします。

私の友人は以前リーダーシップ研修でワークショップをやる課題に対して「私はまだ完璧にできないので、完璧にできるようになったらやるようにします」と言ったところ、ファカルティに「残念ですが、その時は永遠に来ないです。完璧な準備というのは不可能です」と返されたそうです。

大事なことほど私たちは失敗を恐れて後回しにしがちですが、案外見切り発車で行かないと永遠に出発できないものなのかもしれません。

インプロ(即興劇)では初めからみんな失敗するという前提でやったりするものですが、何でもこれくらいの気持ちでトライした方がいいのかもしれません。