どうしてもやめられない癖から見る、自分の生存戦略
早食いが習慣になったのは高校3年生の初夏だった。記憶の中の自分は夏服だったのでよく覚えている。
同じクラスで「一族全員が東大大学出身なので、自分も東大に入らなければいけない」と必死で猛勉強している子がいた。元々頭のいい子だったが、受験生になってから特に成績はうなぎのぼりで上がっているのが、ちらっと見える彼女のテスト用紙の点数などから見えた。
そんな彼女は3時間目が終わった後、お弁当を5分でかきこんで食べていた。お昼休みの45分間を全て勉強に充てるため、こそこそと、しかし凄まじい速さで弁当を平らげて、お昼休みの鐘がなるとすぐに塾の教科書を開いていた。
「成功してる人間は早起き・・じゃあオレも早起きできれば成功できる!」と単純な人が考えるように、自分も彼女のやっていることを真似すれば頭が良くなるかもと思い、早弁をしてみた。
最初はなかなか5分で食べることができなかったが、徐々に①一口の大きさを目一杯多めに口に含むこと、②噛まないで飲み込むこと、これで5分で食べれるようになった。
一族全員が東大という彼女は結局東大に落ちてしまったそうで、浪人を選んだと聞いた。その後の消息はわからない。
自分は受験でなんとか一つの大学に引っかかり、割と楽しい大学生活を送った。
受験時に早食いを取得して得をしたのはサービス業時代だ。朝からお客さんが多いと、一日食事を食べれないこともしばしば。5分あればお弁当を平らげられる技はここで大いに活きた。
その後OLになって同僚と食事に行くようになると、あまりの食べる時の遅さにびっくりした。特に女性陣は食べるのが遅い。
「小澤さん、もっとゆっくり食べなきゃダメですよ」と若くて綺麗な新卒ちゃんは微笑んでいて、5分で食べなくてもいい世界を生きてきた彼女が一瞬眩しく見えた。
とここまで書いて、どうも自分は自分を犠牲にして相手に合わせることで、相手に認めてもらいたいと思ってる節があることに気づく。
自分は「自分を犠牲にしてでも、状況や誰かに合わせることを生存戦略・強みとして生きてきた」のだなと思う。昭和の時代なら上司の覚えも良かったかもしれないが、今の時代そんな生き方をしても評価されることは少ない。
最低30回くらいはよく噛んで食べた方が体にいいことはわかっている。ゆっくりと食事するのは丁寧な暮らしをしている感じがする。でも心のどこかで「食べ物を飲み込むようにかき込めば、自分さえ犠牲になれば、うまくいく」という幻想は消えず、結局今日も食事を丸呑みのように食べるに至る。
人の行動には全て肯定的な意図があると言われている。ゆっくり食事ができないという望ましくない行動にも「それをすることで周りに認められる」という無意識のうちの望みがある。
誰しもが「やめたいけどやめられない癖」の一つや二つを抱えて、生きている。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。