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本当に欲しいものは、外からはやって来ない

朝起きたらまず冷凍庫へ行って、氷を1つ頬張る。真冬でもカフェに入ればアイスのドリンクを注文し、ドリンクを一気に飲み干した後は氷をガリガリとかじる。セブンイレブン100円アイスコーヒーは、コーヒーよりも氷がお目当て。

長い間私は氷食症という、氷をかじらないと落ち着かない依存症を抱えていました。

依存症というとドラッグやお酒がやめられない、くら~いイメージがあるかもしれませんが、コーヒー・甘いもの・炭酸など害のないものであっても「これがないと私は絶対にだめ!」と感じるものが1つでもあるなら、それは依存なのだと思います。

私が氷をかじり始めたのは6歳の夏でした。
暑い日に氷をガリガリとかじっていたところ、気性の激しい祖母に注意されて私は思わず「うるさい!」と祖母に言い返しました。一瞬しまったと思いましたが、大人しい私が反撃してきたので祖母はかなり驚いた顔をしたのを覚えています。

そして氷をかじっていると、いつも夫婦喧嘩に忙しい両親が「あまり氷を食べるとお腹を壊すよ」と私の心配してくれるので、私にとって氷は祖母に屈しないための自由と、両親の注目を集めるためのツールだったのかもしれません。

2~3年前ごろからPMSがひどく、立っていることもままならないことが増えました。流石に「このままではいけない。身体を冷やすとろくなことはない」とは思うものの、我慢すればするほどストレスを感じて冷凍庫の扉を開けてしまう。飲食店などで氷の音を聞くだけでも落ち着かない。

ちょうど自己啓発の業界では「手放す」という言葉が流行り始めていた時期でした。「氷食症は鉄分の不足が原因」と聞き鉄材を飲んでいた時期もありましたが、結局私が氷を手放すことはできませんでした。

そんな私が氷をやめられるようになったのは、昨年末大きい子宮筋腫が見つかって以来、さまざまなセラピーを受けるようになってから、のような気がします。
セラピーやカウンセリングの中では幼い頃のことを振り返ることも多く「氷をかじっていれば私の家は平和になる」という思い込みと向き合うこともありました。

思い込みというのはそれ自体は悪いものではありません。ただその思い込みを採用した時の痛みを無視し続けることは、事態をより悪化させてゆく要因になるように思います。

氷は、私が本当に欲しかったものを満たすことは出来ない。家族の平和は、私を犠牲にしてやってくることは決してない。

そうやってただ真実を見ていくことで、私が氷に手を伸ばすことはなくなりました。
私が氷を手放したのでなく、氷が私を手放してくれたような感覚がありました。

「依存」というと、心の弱い人間がなるものというイメージもあるかもしれません。文章の世界で言葉を強く言い切らない方がいい本当の理由は、強い言葉に人は依存してしまうからということもあります。

ただどうしてもやめられないもの、頭では良くないとわかっているのに止まらないものがあるときは、短い道より長い道を歩いて自分を癒していくことをお勧めします。

氷食症で例えるなら、氷を止めるというゴールには鉄材を飲む・冷凍庫の氷を捨ててしまうといった道が一見、最短で最速の効果がありそうに見えます。だから人はまず短い道を選ぶと思うのですが、その道では奥にある痛みまで辿り着くことはできない。
パッとみたとき遠回りだなと思う長い道のりが、望む未来から見るときっと一番の近道なのでしょう。

最近は揚げ物とビールの組み合わせに依存しそうになっている自分がいますが、自分との対話は欠かさないようにしようと思います。


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