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「末永くお幸せに」の、その先について

長い間、パートナーシップというものに希望が持てなかった。むしろ結婚という制度は人の人生を縛ってしまうのではないかという気もしていた。

恋愛しているときは幸せの絶頂にいるため「離婚している人たちもいるけど、私たちは違う。きっとうまくいくに違いない」という想いがちだが、恋愛というのは一種の熱病のようなもので、平熱に戻った結婚後はまた別のコミュニケーションが必要になってくる。

にも拘らずこれまで「夫婦のことは夫婦にしかわからない」という言葉が大手を振って「末永くお幸せに」のその先について詳しく言及している人は、これまであまりいなかったように思う。我慢をしたり、相手を攻撃したりするのが結婚生活だと信じ切っていた。

・・そんな私に衝撃だったのが、本日ご紹介する本「愛を伝える5つの方法」である。この本では結婚後の二人がお互いに幸せになるための具体的な方法が書かれている。

具体的な点についてはぜひ本を読んでいただくとして、私が心に残ったところを紹介する。
それは「パートナーが違う言語を話す人だったら」という視点だった。

私たちは家族やパートナーをつい自分と同化して考えがちだ。しかし例えば自分が日本語、パートナーがスペイン語を話す人と考えるとどうだろう。なんとかしてコミュニケーションを取ろうと必死になるのではないだろうか。この「なんとかしてわかり合おう」と努力する、この姿勢がパートナーシップでは必要らしい。

以前「ダイアログ・イン・サイレンス」という、言葉を話さずにコミュニケーションする学びの場に行ったことがある。

あるワークの中で、私はペアを組んだ人に「その赤いブロックを取って」と話さずに伝えなければいけなかったのだが、相手はブロックを取ることはわかったものの、色まではわからないという事態になっった。

言葉を使わずに、なんとかして「それは赤」と相手に伝えねばならない。

ふと自分がその日に赤い靴を履いていたのを思い出し、靴を脱いで必死の形相で赤い靴を相手に見せつけたところ、相手は「!」という表情になって赤いブロックを取ってくれたことがあった。裸足になろうがなんだろうが、使えるものはなんでも使えという境地になったとき、初めて伝わった気がした。

資生堂のCMで「一瞬を永遠に、永遠を一瞬に」いう言葉があった。
独身の私は結婚イコールゴール、結婚すれば全てが完了するような気にたびたびなってしまうのだが、永遠の愛というのは具体的には「どうせこの人にはわかりっこない」という悪魔のささやきを振り切って走り続ける、瞬間更新制によるもののようだ。

パートナーというのは最も近しい存在なので、つい自分と同化して見てしまう。

だけど「パートナーは違う言語を使う人」くらいの意識で「ではどうしたら伝わるのか、わかり合えるのか」という問いを持ち続ける姿勢のことを、もしかしたら真実の愛というのかもしれない。


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