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もう、全部どうでもいい。そんな時に響いた大船駅のアナウンス

頭がフラフラして、すれ違う街の人の声が遠くに感じる。
その夜、私は疲れ果てていた。

会社では隣の課と直接やり合いたくない上司と、上司と直接やり合いたくない隣の課との間で板挟み。
一日中聞きたくない言葉を聞き、言いたくないことを言って、ヨロヨロとおぼつかない足取りで何とか退勤した。

寒くてお腹が空いたので「今日はやりたくない仕事を頑張ったし、大好きなラーメンでも食べて帰ろう」と大船駅で途中下車し、駅の中にあるとんこつラーメン専門店に入る。
ラーメンをすすっていると、どんぶりの底の方に髪の毛が1本入っていた。それもちじれ毛。怒りや悲しみより先に「お前、どうやってそこに入った?」という疑問が口をついた。

ただ温かい美味しいものが食べたかっただけなのに。
ただ穏やかに仕事を進めたかっただけなのに。

早足で駅の階段を降りていると、ホームの電光掲示板には「電車が遅延しています」という文字が光っていた。
深いため息をついていると、ちょうど遅れていた電車が到着し、みんな我先に電車に乗りこもうとしている。戦後間もない頃のような電車の混雑具合を見て乗るべきか、見送るべきか迷う。でも、これに乗らなかったら次いつ来るかわからないし・・逡巡していたその瞬間、

「7分後に、次の電車が到着します。次の電車は定刻に参ります」

と、よく通った駅員さんの声が、大船駅の久里浜行きホームに静かに響いた。

人で溢れかえった電車に乗ろうとしていた人たちの何人かは「次は来るのか」「じゃあ次にするか」と言うように、ホームに並び始める。
ただ闇雲に「次の電車にご乗車ください!」「危ないですから、次のに乗ってください!」と叫ぶ駅員さんはよく東京で見てきたけれど、現状を冷静に伝えようとする駅員さんには、もしかして始めて会ったかもしれない。

その後も駅員さんは「お待たせしております、あと5分後に電車は参ります」「あと3分で、定刻で次の電車は到着します」と、至って冷静に駅のホームに呼びかけ続けた。
時間ぴったりに電車が到着すると「大変お待たせしました、先ほどの電車を見送って頂きましたお客様、ありがとうございました」と穏やかな声でお礼まで言ってくださっていて、何だか目頭が熱くなった。

その駅員さんは巧みな弁術だったとか、話してることに論理性があったとかいう訳ではないけれど、寒いホームで電車を待っている人たちの神経を安心させるような「何か」が声にあった気がする。
言葉は所詮記号でしかない。そこにどんな想いを込めるか、どんな風に相手に寄り添うか、どこから言葉を発するかで命は言葉に宿り、伝わり始める。

まさか駅のアナウンスで胸がいっぱいになる日が来るとは思わなかった。駅員さん、ありがとう。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。