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リーダーはオーケストラの指揮者のように、調和を促す人のこと

CTIでコーチングとリーダーシップを学んだ後、しばらく学びの世界から離れていた期間があった。
コーチングは「結局クライアントをコントロールしないといけないのではないか」、リーダーシップは「結局、前に立って大声でものをいう人間がリーダーじゃないか」と感じ、それなら自分には向いてないと思ったのだった。

考えが変わったのは、ザリッチ宏枝さんというコーチのスクールに2年間通っていたとき。

宏枝さんはコーチングのことを「温かいミルクティーにちょっとお砂糖を入れて差し出すように、相手の話を聞く。ミルクティーそのままでもいいけど、ちょっとだけお砂糖を入れてあげるように」と言っていた。ようわからんという人もいるかもしれないが、自分にはこの例えがしっくりきた。

そしてリーダーシップについては「オーケストラの指揮者のように、場に集まった人たちの音色を引き出すこと」とおっしゃっていた。俺が俺が、とジャイアンリサイタルのように大声で目立つのではなく、それぞれの楽器が真のハーモニーを奏でるように、というリーダーの例えはこれも自分にしっくりきた。

日本、特に昭和の社会では「この音しか発してはいけない」という同調圧力のようなものがあった気がする。みんなが同じで、この音に合わせないといけないという明確な基準があって、そこから外れた人は落第者とされていた。無理に自分の音を抑えられても、ずっと誰かの音に合わせているとだんだん自分の音色がどんなだったか忘れてしまう。

オーケストラの楽器は実に多様で、弦楽器(バイオリン・チェロ)、木管楽器(フルート・クラリネット)、金管楽器(トランペット・トロンボーン)、それに打楽器やハープ・チェンバロなど多岐に渡る。

自分はオーケストラ部に5年所属したが、やはり違うもの同士がハーモニーを奏でるというのは非常に難しい。
夏は合宿して5日間合奏し続けるも、中々合わない。毎年3月の定期演奏会は難しい交響曲にも挑戦するも、やはり中々合わない。

だんだん違う音色が一つになってくるのは、本番直前だろうか。録音したものをみんなで聞いて「え・・嘘、やばくない?」と危機感が出るあたりがスタートだ。自分の耳で聞いてるとなんとなく良さそうでも、録音した音源はなかなかに残酷な現実を教えてくれる。

各々の練習が佳境に入り、バイオリンならバイオリンパート、ホルンならホルンパートと、楽器ごとの音の質が上がってからみんなで合奏を繰り返し、自然と完成度が上がっていった記憶がある。

リーダーをしていれば異質の人たちをまとめていく必要がある。そんな時どうすればオーケストラの指揮者のように、各々の力を引き出すことができるのか。
合奏が演奏会本番が近づくにつれよくなってきたことを考えると、一つの目標を意識させる、なのかもしれない。いや、メンバー全員の中にある想いを思い出させる、というか。

あるネイティブアメリカンの長老も「ゴールを指し示す。長にできるのはそれしかないんだ」と言っていたと何かの本で読んだ。
それも必死で成し遂げるというより、遊び心や子どもの純粋なワクワクからゴールを目指している人は、自然と周りを巻き込んでいく。

あと音大志望の人が多い学年がトップの年は、素晴らしい演奏になることが多かった。
たった一人でもセミプロ級の人がいると、その人の音色には自然と周りを巻き込んでいく力があった。

音楽とリーダーシップ。また自分の中で深まったら記事にしますね。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。