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自由、お金、つながり。喉から手が出るほど欲しいものは

「子どもの頃から10代にかけて手に入れられなかったものに、人は一生渇望し続ける」という言葉を聞いたことがある。

例えば、私の友人は厳しい家庭で育ったことから自由を渇望していた。

東京の大学に進学して一人暮らしを始めた時は、親からの解放感がそれはすごかったそうだ。その人はその後パートナーとの離婚を経験したのだが「これでやっと自由になれる」とすがすがしい顔をしていたのが印象的だった。

またある知人は貧しい環境で育ったことから、お金を渇望していた。
会社で石にかじりつくような努力を重ねたことで重要な役職を任されるようになり、今は年収一千万をゆうに超えて稼げるようになったが、お金を使うことが怖くて旅行にもいけないということだった。

先日の文章講座で「仁美さんの書くモチベーションを教えてください」と質問され、詰まってしまった場面があった。
ふと思い出したのは幼いころ、うまく気持ちを話すことが出来ずに泣いていた自分である。

小学校5年生の時だったか、話し合いの場で自分の気持ちを話していたら涙があふれてしまって、隣にいた好きな男の子が舌打ちをして「小澤はなんでいつも泣くんだよ」とボソッと呆れたように呟いていた記憶がよみがえった。

本当はわかり合いたいのに、うまく話せない。
話さなければいけないときは「この仕事、大至急30秒後に提出して!」と言われているようで、あせってしまってうまく言葉に出来なかった。

一方話すことと比べると、書くことはずいぶんスムーズにできた。例えるなら「この仕事は来週中くらい目安にお願いします~」と言われたときのようで、安心して平常心で出来るのだ。

本当の気持ちでつながっていたい、わかり合っていたい。その気持ちが人一倍強かったのに家族とも学校でもうまく人と話せなかったことが渇望となって、今、私の書くモチベーションになっているのかもしれない。

だがよくよく考えてみると、本来書くことにモチベーションも渇望も、必要はない。「あの花の美しさをあの人にも伝えたい」とか、「この美味しさをあの人にも伝えたい」とか、そんなちょっとした伝えたい想いが原動力になって、人は話したり書いたりする。

青い鳥を追いかけて崖から落ちてしまってもなお、青い鳥を自分だけのものにすることを諦められない人のように、自由もお金も人とのつながりも、それを外の世界に追い求め続けるのは不幸である。

喉から手が出るほど切望していたものはいつも自分の内側にあったことを思い出した時、人は鳥のように軽やかな本来の自分に還れるのかもしれない。
私も苦しみの答えを外に求めるように書くのではなく、いつも自分の内側にある源流とつながるようにして書いていきたい。

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