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母と絶縁することを決心できた2回目の乳がん



医学的に右の乳房と左の乳房は別の臓器なので、1回目の乳がんの後反対側にも乳がんが見つかった場合、それは再発でも転移でもない。
新たな原発がんだ。

それでも1回目より告知されるショックは大きく、私の場合は、はっきりとショックを自覚した、という感じだった。

進行度が1回目より進んでいたし、治療についての知識も前より持っているだけに、今後どうなっていくのか、何をしていくのか、何となくわかっていた。
それ故に、たくさんの情報が私の中で一気に渦巻き、逆にどうしよう…とオロオロしてしまった。
事が起きた時、冷静な私のはずなのに。

何かがポキッと折れたのかもしれない。
いろんな許容範囲を超えたのだと思う。

自分の運や未来を信じる力や、今を踏ん張る力、一番近くにいて一番大切な子ども達や夫を気遣う力、全てが無くなってしまった感じがした。



そんな私がその時取った行動は、実家に帰るだった。
実家に帰ってお墓参りをしてお仏壇に手を合わせて、亡父やご先祖様にお願いをしたかった。
全くもっていい関係ではなくなっていた母と一対一で会って話したかった。
その二つの気持ちだけで、片道4時間かかる実家へ日帰りの帰省をした。


いつも帰省をする時、私の都合だけではできない。
前もって、忙しい母にお願いをして許可が出ないと出来ない。
その時も同じだった。
話したい事があると言って帰省する娘の話は、良い話な訳がない。
だけど母は帰省を許してくれた。


でも会ってからずっと相続の話をし続けられて、私は話せなくなった。

母は自分の理不尽な望み、(前記事にも書いたが、財産のほとんどを甥に相続させる、つまり姉一家だけが恩恵に預かれる) を私に承諾して欲しくて仕方ないのだ。
それを姉から言われていて困っていると言い続けていた。
自分を正当化したいのだ。
母と姉との間には利害関係が一致していることくらいわかっているし、目の前にいる娘の話より、相続の事しか考えていないこともわかっていた。

だから、なかなか話せなかった。
でも言わないと、何の為に帰省したのかわからなくなる。
そう自分を奮い立たせて、帰る時間まであと数十分の頃に、やっと切り出せた。


母は『やっぱり…』と言った。
『病気かお金の話だと思ってた。』と。
そして、多分、夫と頑張れみたいな事を言われたように思う。
はっきり覚えていない。
なぜなら、また相続の話をし出したからだ。


病気をするとお金がかかる。
本当はお金の無心をしに来たと思われたのかもしれない。
後日、治療費としてお金が送られてきた。

姉にはメールをしたが、音沙汰がなかった。
母から問われて返信がないことを伝えた2日後に、お大事に。という返信がきた。

二人からのリアクションは以上だ。


情けなかった。
心底情けなかった。
あの人達にとって、私はこんな程度の人間なんだ。
親や姉は私のことを大切に思ってくれているはずと思っている自分の未練や幼稚さが恥ずかしくなった。
親や姉とは仲良くしたいと思っている自分が馬鹿にみえて消え入りたくなった。

1回目の時にわかっていた筈なのに往生際の悪い私を、まだわからないのか!と叱られているような気さえした。
これは絶縁を決心をさせる為の2回目なのではないか? 
と思うほど、自分の依存心や理想や期待や真面目さに腹が立って情けなくて、人生で一番、心が荒れ狂った。
冷静からは程遠いところにいた。

もう離れよう。
母が年老いていても、私がいい歳した子持ちのおばさんでも構わない。
誰の目を気にしているのだ?
何歳かということに意味はあるのか?

そして実行した。

絶縁を決心した私のことを、母は受け入れてたくなかったのだろうか。
親戚や知り合いに、
"あの子には次々不幸がやってきて、鬱になった。かわいそうなの。"
と言いふらしていた。

いつだったか母から
『あなたは転落人生ね』と言われたことを思い出していた。
そして私は本当に転落しているように思い、悔しくて悲しくて情けなくてうずくまってしまった。




これが3年前のことだ。

"母の言葉に振り回されない"
今はこのフレーズを心と頭に刻み、苦笑いができるようになった。
辛かった自分、頑張った自分を癒やしてあげよう。
私は私の言葉で生きるのだ。

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