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初めてカウンセリングに行った時のこと


しばらく間が空いてしまいました。
〜しなければいけない。という私の悪い癖が出て、ちょっと苦しくなっていることに気付き、軌道修正をしていました。

のんびり気楽にマイペースに書いていこうと思います。




今から7年前の冬、初めてカウンセリングを受けました。
私にはとてもハードルが高くて、覚悟が必要でした。


世間一般の感覚にとらわれていた部分もあると思います。

カウンセリングを受けないといけないくらい病んでいる自分を認められなかったし、そのくらい悩んでいることを夫に話せなかったのです。(話す必要ないのに、誰かの許可がないと動き出せないのです)

でもそういう気持ちを越えてでも、クリアにしたい事があったのです。



毒親について、いろいろな本や記事を読み、考え悩んでもどうしても自分が毒親育ちであることを認められなかったのです。
それは母への思慕とか、そういう類いではなく、何か責任転嫁しているのではないかと思えてならなかったからです。

自分は流行りに乗っかった悲劇のヒロインを気取っているのではないか?という疑念とか、友人に言われた"50歳を過ぎてやってきた遅すぎる反抗期" という言葉も引っかかっていました。

それらのいろんなモヤモヤをプロに判断してもらいたかったのです。
本当に毒親育ちなのか?
それなら深刻度はどの程度なのか。
連鎖はしてしまっているのか?
していたらどうすればいいのか。
自分では判断が出来なかったその辺りを探りたかったのです。


そして行くなら、ここかな?というカウンセリングルームの目処もつけていました。
本はもちろん、数々のメディアで親子関係の専門家として出ていらっしゃる先生がボスの所です。
地方出身東京在住の私は、東京って何でも手近にあってすごいなぁなどと妙な感心をしたりしながら、なかなか行動に移せなかったのです。



それはまず、カウンセラーさんとの相性があるということ。
カウンセリングは答えをくれるのではなくて、自分で答えを出さなければいけないから、相性によっては無駄になったり、より迷路に入ってしまう可能性があると知っていたからです。
それと料金が高いこと。
当時、一回45分で1万円だったと記憶しています。
その値打ちがあるだろうか、夫は理解してくれるだろうか、などと考えて前に進めなかったのです。


それが、何がきっかけになったのか定かではないけれど、ちょっと社会勉強のひとつくらいの気持ちで行ってみよう、とか、大好きな明治神宮の近くだから、お参りしてお茶飲んで、そのついでくらいの感じで行ってみよう、とか、とりあえず、予約の電話をしてみて雰囲気を感じ取ろう、などと自分を説得し行動を起こしたのでした。
夫が反対しなかったのも大きかったと思います。


電話の応対は明るく軽やかで、行く気を進めてくれました。
そして、短時間で話せるように自分のことを纏め、質問を箇条書きにしたノートを作り準備をしたのです。



担当のカウンセラーさんは年齢も近く、明るく気さくな感じの方で、深刻な雰囲気にならないのが私としては良かったようで、ノートを握りしめ、一通り話すことができました。
そして即答して下さったのです。


『ここに来ようと思った時点で、それは育ちに問題を抱えているということです。』
『連鎖をしていないか悩まれているということは、大丈夫ということです。問題のある方は連鎖していないか?なんて気にも留めませんから。』

まさかの即答であっさりと私のモヤモヤは解消したのです。
勇気を出して行って良かったーと心から思いました。



そのカウンセリングルームでは週に一回、ボスの先生も含め全員が集まって、受け持っている事案について話し合っているそうで、2回目のカウンセリング時に

『あなたのこの事例は特筆すべき事例です。ボスも驚いていました。』

と言われたのです。


短い時間の中で、母と私との長い時間のことを全て話せる訳ではなく、たまたま話した、相続の時に兄と私で取り合って揉めて欲しい、と言われたことは特筆すべきことなのか…、たくさんの事例を持っているこのカウンセリングルームの先生達でも驚くような事なのか…、私にとっては母なら言いそうなことの一つとしか思えないので逆の驚きを感じたのでした。

それと同時に、母が毒親であること、私が毒親育ちであること、それも結構深刻かもしれないことをより悟ったのでした。

そしてもっと悟ったのは、いかに自分が罪悪感にがんじがらめになって生きているかということでした。

その日は東京では滅多にない交通が乱れる程の大雪が降ったのです。
そのことを私は"母からの罰だ"と思ってしまっていたのです。
いい大人がバカみたいだけど、母に感謝せず悪口を言いに来た罰、と本気で思ったのです。

毒親育ちは洗脳され罪悪感を植え付けられ自分を責めると知っていたけれど、カウンセリングではっきりと毒親育ちなんだと自覚したことで、自分の罪悪感や洗脳は余計なものと気付いたのだと思います。

カウンセリングを受けるまでに時間がかかったのも罪悪感だったのかもしれません。


私の罪悪感はすっかり身についてしまっているようで、母に対してだけでなく、夫や子ども達にも罪悪感を持つことがあるようです。
今もまだ、ふと気付くと背負っている罪悪感に時々向き合いながら過ごす日々です。


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