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モーガン・フィッシャー「光の画家」『LIVING ENERGIES⑧』

リビングエナジー8

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少年の興味

小さな少年は、池の水をいっぱいに入れたビンを持って家に帰ってくると、自分の部屋でさっそく採ってきた水の一滴を顕微鏡で観察しはじめた。

そうして一時間ほど、彼は一滴の水の中で、たくさんの小さな生き物たちが泳ぎ、食べ、交合し、戦う姿を見て驚嘆していた。もうひとつの次元、もうひとつの宇宙のように感じられたのだった。

次に、彼は右側にある板の上に、ピンで止められたカエルの死体に目を止めた。そのカエルは、解剖についてのガイドとともに科学教材として注文したのだ。

カエルが届いたとき、彼は大喜びだった。なぜなら、カエルはメスで、卵がいっぱい入った大きなお腹をしていたからだ。

カエル


学校ではそういうことを教わるにはまだ幼すぎたが、すでに彼には、なにが動物や人間を動かし、呼吸させ、食べさせ、生きさせ、死なせているのかを知りたいという、燃えるような欲望があった。

カエルを解剖して、その神経組織の構造を見てから左を向くと、彼は古くなった野菜の匂いに出会う。その匂いの理由は、彼が飼っているたくさんのカイコが食べているレタスの葉でいっぱいのトレーだった。その隣にあるビンの水のなかから、一匹のイモリがカイコを見ていた。

そして、日が沈みはじめる一日の終わりに、少年は花の写真を何枚か撮るために庭に入っていった。これはおそらく彼のお気に入りの、ことによるピアノを弾くよりもっと好きな活動だった。けれども彼はその活動でも手を抜かず、自分自身であることを主張していた。


キャプチャ

音楽との出会い

ピアノの先生は、彼に子ども用のバッハの教本で教えていた。彼は、それらのテキストの曲をたくさん弾いて、覚えてからそれに飽きて、先生になにかもっとおもしろい曲を教えてほしいと頼んだ。

老齢な先生はとても親切だったので、すぐにバルト-クの「ミクロコスモス」という教本の、シリーズの一冊をてわたしてくれた。少年はバルトークの奇妙なハーモニーと一風変わったリズムに情熱を掻き立てられたのだった…。その少年とは、50~60年代にロンドン北部で育った私のことです。

すべての子どもと同じく、私は自分のまわりのあらゆることに強い興味を持ち、本が読めるようになるとすぐに、夢中になってさまざまな本を、知識を追求していました。

もしかしたら、歩けるようになってすぐのことかもしれませんが、いつも五感のなかで、もっとも私を魅了したのは視覚と聴覚-光と音-であり、この二つは生涯を通じて情熱を感じつづけるのだろうと思います。

18歳のとき、私はあるポップスバンドで演奏をしていましたが、幸運にもこのバンドでナンバーワンのヒット曲が生まれました。この出来事が、私の音楽的キャリアを急発進させ、サウンドに対する私の情熱を不動のものとし、じきに前衛音楽とシンセサイザーの世界を研究するようになっていきました。

8ミリカメラ


その傍ら、趣味として私は8ミリ映画を撮りつづけていました。さまざまな映像技術を試み、体験し、視覚へ芸術のパイオニアたちについてのさまざまな本を読みました。そして、ある小さな出来事が起きたことによって、自分の写真活動を、趣味から天職へと拡大させたいという望みを持つようになったのです。

1990年、ハワイのマウイ島でのある夜、私はクリスマスイルミネーションの写真を何枚か撮りました。ハワイのこの時期、家のほとんどが、イルミネーションで覆われることがしばしばありました。

私は誤ってカメラを長時間露出してしまい、翌日できあがったプリントを見て、自分の失敗した写真を新鮮な目で見たとき、その長く尾を引いた光が実がとても美しく見えることに気がつきました。それは写真と言うよりは、まるで絵画のようだったのです。

次の夜、私はまた外に出て、もっと多くの写真を撮りましたが、今度は自転車に乗って家々を通り過ぎながら、音にかけたカメラを意図的に動かしてみました。できあがった写真を見て、そのイメージの複雑さとエネルギーに喜びを感じたのです。

これは私の興味を深く捉えた唯一の写真形式になりました。対象物や人々を写真に撮ることではなく、ただ純粋な音のみを扱ってきたように…。

私はカメラのなかでイメージを生み出す、このテクニックを洗練させるために、さらにたくさんのテクニックを考案しました。フィルムからデジタルカメラへと変更してからは、コンピュータが有益なツールになりましたが、それはただ、トリミングとカラー調整のためだけに使用します。

私が使う主要な三つテクニックについて説明します。

カメラだけを動かす「Hikari I 43」

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20年以上も前に、撮影上の小さな「偶発事故」のときに初めて使ったテクニックで、今でも最も多く使うテクニック。
興味を持った光源に、さらに目を向けることによって洗練させました。私にとって最も微妙な光は、川や滝の上に照り映える太陽です。

肉眼で見ると目が眩んでしまい、明確に見ることはできません。カメラは水に反射するたくさんの微小な光の線を、まるで絵筆の毛先のように、完璧な明瞭性を持って見ることができます。

光だけを動かす「Akari G-24」

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長年かけて、私は風変りな電球をたくさん集めました。そして、カメラを動かさずに、これらの光だけを動かすと、一風変わった形がたくさん生まれることを発見しました。この種の「ライトペイティング(光の絵画)」が評判になり、人々は空中に自分の名前や絵を「描く」ようになりました。

しかし、私は特定のイメージを描こうとする欲望はありません。ただ真っ暗な暗室に立って、あたかも太極拳のように、自然に起こるままに両腕と両手を動かして、自分にとっての喜びと静けさをもたらす動きを探していく…。

私は、その動きが、結果として永遠の美とバランスを生みだすことを信頼しています。


カメラと光の両方を動かす「Shindo H-35」

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片手にカメラを持ち、もう片手に光源を持って、私は大いなる親密さを感じながら、地面の上に座ります。(ときにはベッドに座ることも…!)
光(私の手のなかにあるハート)への親密さと、それをレンズにどれほど近寄せられるかとう挑戦は、ほとんど他者との官能的な体験を持つにも似た、非常に心温まる体験になることがあります。

ここでもまた、親密さと優しさの感覚が、これらの資質を示すイメージを作る方向に自ずとガイドされるに任せます。私がフィラメントの動き(例えば、ロウソクのように見える電球の瞬き)を完全にはコントロールできないという事実が肝心です。

つまり、光の自然な流れに乗る必要があり、それをコントロールするわけではないのです。あおれは、一つひとつにつけられたタイトルについても同じで、タイトルがこれからの絵画について、見る人々が持つそれぞれの個人的解釈を制限すべきではないと感じました。私はイメージについての解釈はしません。

たとえ瞑想中に私の全身が純粋な光に変わるような体験をしたとしても、私は自分の芸術を通じて、体験を「表現」しないと決心したのです。
私はただ審美的快感という原則にしたがうだけで、それが自然に多くの洗練されたイメージを作るように私を導きました。

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この芸術形式を発展させてくれたこの国への敬意として、これらのイメージを光源となんらかのつながりのある日本語を用いることで分類しました。
例えば、ここで分類された説明は、Hikari(光:水面上の陽光の煌めき)、Akari(灯り:ランプ)、Shindo(振動:タングステンフィラメントの急速な波動)、Tamashii(魂:ビンのなかで生きている霊のように見える特別なプラズマランプを指す)です。(「Tamashii H-109」)


これらの光の絵画を、すべての芸術のパイオニアたち、私に啓示を与えた自由を探求する賢者、そして純粋な探求者たちに捧げます。

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