見出し画像

あなたの人生を信頼する

「信頼と瞑想」

「信頼」さえあれば、瞑想さえも必要ではなくなる
とOshoは語っています。

なぜなら、「信頼」があれば、瞑想は自然に起こってくる
ものだからです。

私たちが瞑想を難しいもののように思ってしまうのは、
信頼を知らずに、瞑想から始めようとするからです。

Oshoは次のように語っています。

画像1

「ウパニシャッドの賢者は、
 瞑想を献身のあとに持ってきた。
 あなたのハートに献身があれば、そうすれば、
 あなたのマインドを瞑想に導くのがどれほど簡単か、
 あなたには想像もできないだろう。

 もし信頼があるなら、
 そうすれば献身は影のように付き従う。

 もし信頼があるなら、
 そして献身がそれに影のように続く。

 もし信頼があれば、献身がそれに続き、
 そして瞑想がその香りのように続くだろう。

 瞑想が難しくなるのは、
 あなたが信頼も献身もどちらも知らないのに、
 直接瞑想しようとするからだ。

   だが瞑想を直接試みることは困難を生み出す。
 なぜなら、そうなると
 瞑想に多大な努力を払わなければならなくなり、
 しかもその結果はそれほど目覚ましいものにはならないだろう。

 なぜなら二つの基本的な成分が欠落しているからだ。

 その存在全体が愛で満たされている人は、
 その人の立ち居振る舞い、
 その瞬きさえも献身をもってする人は、

 あらゆる仕草が世界への献身に満ちている人は、
 瞑想へと動いていくことに何の問題もない。

 その人は瞑想を思い出すだけでよい。
 それだけで、瞑想の中にいるだろう。
 なぜなら、その人の中になんの葛藤も、
 緊張もないからだ。

 緊張は、あなたが世界を敵とみなすときに生じる。
 緊張は、あなたが存在が自分に敵対するものだと
 感じることからやってくる。

 そうするとそこには戦いが続いている。
 そこでは人生は戦場になる、戦争だ。
 献身者は何の緊張もなく、瞑想へと動いていく。
 そういうふうになっている。

 献身者は、自分が瞑想の中にあるとは知らない。
 なぜなら、その人にとって瞑想は副産物だからだ。
 瞑想はその人につき従う。

 瞑想は信頼と献身の自動的な結果としてそこにある。
 そして、最後にあるものがヨーガだ。
 瞑想をマスターしてしまえば、
 ヨーガは自然にそれについてくる。

 しかし、みんなはそのちょうど逆をやっている。
 人々はヨーガから始めて、それから瞑想を練習する。

 そして、なんとかして、いろんなものごとを
 いろんなふうに操作することによって、
 献身をもたらすことができると考える。

 そして彼らは、どうにかして、最後に信頼を見いだす。
 しかし、その人のマインドが瞑想に滑り込んだとき、
 そうすると、その人の体がヨーガをしようとする。
 ヨーガは体に起こっていて、瞑想はマインドに起こっている。

 このように理解するといい。
 信頼は宇宙的だ。それは全体の感覚だ。
 献身は何か魂のものだ。個人の感覚だ。
 瞑想はマインドに関係し、
 ヨーガは体に関係する。

 私たちがすることは、体から始めて、
 そしてマインドに移動し、
 それから魂に行って、
 全体へと行く。

 しかし賢者は言う。
『最初に全体を信頼し、
 そして魂の中で献身し、
 そしてマインドのなかで瞑想し、
 そして体の中でヨーガをする。』

 もしこの順番で続けていけば、
 一歩一歩がより簡単で、もっと自然だ。

 もしこの逆の順番で 進んでいくと、
 それぞれの次のステップが、
 進むごとにもっと難しくなっていく。」
               Osho

このアルヴィナによる「あなたの人生への信頼」のzoomクラスでは、
あなたの人生を信頼することへと導かれることでしょう。

今の時代は多くの恐怖と不安と混乱の中にあります。
そんなときに必要なのは、

まずは自分の人生に信頼を取り戻すことです。
そんな機会にしていただければと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?