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日本の色とオーラソーマ『LIVING ENERGIES⑦』

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鮎沢 玲子

千を越える色の名前を有する日本という国


一斤染、退紅、朱鷺色、桃染、撫子色、東雲色…これらはすべて、「ピンク」を表す日本の色名。ひとくちに「ピンク」といっても、さまざまな名前とその由来があります。

日本は世界でも有数の、色名の多さを誇る「色彩大国」です。ある調査によれば、日本には千以上の色名が存在し、それは世界でも稀なことだそうです。

色の名前の多さは、日本の絵画芸術はもとより染色、織物などの復職文化、工芸、文学作品やさまざまな文化における成熟度と関係が深いと言えるでしょう。

それはいにしえの日本人にとどまらず、近年の日本のアニメーションを見ても、色づかいの見事さには関心するばかりです。色彩に対する感性の豊かさ、繊細な色の見極める目を、私たちに日本人は今も昔も持っているのです。

今日の日本におけるオーラソーマカラーケアシステム®の普及、浸透の理由として、日本人の豊かな色彩感覚がひとつの要因になっているのではないかと思います。イクイリブリアムボトルの色彩の美しさに魅せられ、奥深いオーラソーマの世界に足を踏み入れた私もそのひとりです。

ところで、私自身のことを少しお話しますと、私は代々染物屋を営む家の長女に生まれました。家族の会話には日本の色名がたびたび登場し、子どもの頃の遊び道具は染物の色見本帳。

いらなくなった見本帳をもらっては、たくさんの色を眺めて遊んでいました。そんな私がオーラソーマと出会って「こんなに美しい色を毎日見て過ごしたい」と思うのはごく自然のことでした。

「日本の色」で理解が深まる「色の言語」

オーラソーマの授業では、まず「色の言語」を学びます。「色の言語」はオーラソーマのシステムの中では根幹をなすもの。木で言えば幹のような部分だと思います。

私は授業に中でいつも、その色から連想するものを生徒たちに挙げてもらいます。観念的な意味だけでなく身近なところにあるもの、自然界にあるものや人間が作ったもの、古いものや新しいもの、あらゆるところに色をキャッチするアンテナを伸ばしてもらいます。

すると日本ならではの色のシンボルが見つかることがよくあります。それを探求していくことで「色の言語」の理解をより深めていけることに気づきました。

「藍」のロイヤルブルーと「黄金色」のゴールド

日本には帰化した作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は明治時代、初めて日本を訪れたときの印象を、こんなふうに随筆に書いています。
「青い屋根の小さな家、青い暖簾(のれん)の掛かった小さな店、青い着物を着て微笑んでいる小さな人たち。すべてが神秘的で妖精の国を思わせる」

ハーンがみた青い着物や暖簾とは「藍」で染めた色でした。藍の染料は古代から世界中にありましたが、桃山から江戸時代にかけて、日本では藍染めが他に類を見ないほどに発展を遂げたのです。ですからこの時代の日本の街並みには、藍で染めた青色が溢れていました。

オーラソーマのロイヤルブルーは、日本においては藍染めの色です。
老舗であるとか、伝統や格式がある店のことを「古い暖簾」という言い方をしますが、これはまさにロイヤルブルー権威や信頼を表しています。

実際に暖簾にはロイヤルブルーがよく使われています。また江戸時代には職人や商人の仕事着として店主が従業員に紺地の法被(はっぴ)を着せるのが流行りました。

背中に店の屋号や紋などを染め抜いた、言わば看板でもあり、制服でもありました。今も「制服」というと、ロイヤルブルーのような色が多く使われています。忠誠心やまじめさ、誠実さ、信頼といった色の言語があてはまります。

B33 ロイヤルブルーとターコイズ

もう少し時代を溯ってみると、戦国の武士たちの間で人気があったのが、黒に見えるほどに濃い藍染め…それが褐色でした。茶系の褐色(かっしょく)とはべつの色で、「かちいろ」と読みます。

藍を何度も染み込ませるために布を叩く(衝く)のですが、その動作を「かつ」と言ったところから、戦いに勝つことに通じる名前「かちいろ」と呼び、鎧や糸、武具などに使われたそうです。

質実剛健な武士の色として好まれました。ここでもやはり武士の権威や高い志、主君に対する忠義、信頼などのキーワードに通じます。

一方、補色のゴールドはどうでしょう。日本の色名で言えば「黄金色」がぴったりです。現在ではあらかた掘り尽くしてしまったそうですが、かつての日本は金の産出国でした。

大航海時代、マルコ・ポーロの「東方見聞録」によって日本が紹介され、黄金の国「ジパング」を求めて欧州から外国人がやってきました。金箔を貼った建物や仏像などをみたマルコ・ポーロは、日本を非常に豊かな国だと思ったのです。


しかし実際のところ、黄金は一部の権力者や力のある神社・仏閣に用いられるだけのものでした。ならば、民衆が手にする「黄金」とはなんだったかと言えば…それはたわわに実った稲穂。それも年貢などで領地に納めなければならなかったかもしれません。

しかし今も昔も、黄金色の稲が一面に広がるさまは、豊の象徴です。日本人にとって主食であるお米がじゅうぶんに収穫できる喜びは、大きなものでした。

ロイヤルブルーが質実剛健な武士の色、古い暖簾が老舗の色だとすると、補色のゴールドは神社や仏閣など智慧と価値があるものの色。またゴールドpは実った稲穂に象徴される豊かさの色です。


「絆」のコーラルと「遊び」のターコイズ

初めて105番のボトル「大天使アズラエル」を見たとき、なんて日本的な色だろうと思いました。神社の鳥居や巫女さんの袴、漆塗りの漆器などを連想しました。

このボトルの色、ヒューのコーラルは「朱色」という表現がぴったりです。実際、漆器や鳥居のレッド(朱色)は海外で「ジャパン・レッド」と表現されることがあります。

漆塗りは何十もの工程を経て塗り重ね、ぬり固めていく工芸品です。まるで珊瑚の表面が時間をかけて固くなっていくさまと通じるものがあります。漆器は湿気がありすぎても乾燥しすぎてもだめというデリケートな素材。

陶器などに比べると表面に傷がつきやすく、丁寧に扱わなくてはなりませんが、それゆえに神聖で高貴なものでもあります。

朱色の代表的なものは神社の鳥居です。朱色は古くから魔除けの意味を持ち、神聖な場所を邪なものから守る結界の役割を果たしていました。
巫女さんの袴も同じ意味です。
また、印鑑を押すときの「朱肉」もこの色です。

B105「大天使アズラエル」

ヒューのコーラルは、本当に日本ならではのものによく使われていると思います。まさに、ジャパン・レッド。
日本人をよく表しているレッドかもしれません。

今回の東日本大震災で、日本人の規律正しい行動が海外メディアで話題になりました。暴動も略奪も起きず、みんながルールを守り行動している様子が紹介されました。

おそらく日本人のなかには、単一民族であることの信頼感、安心感、一体感が根底にあるのではないかと思います。

コーラルは、レッド(行動すること)に少しのイエロー(コントロールや知性)。この色は、珊瑚のようにみんながひとつになる連帯感、絆を意味します。

B93 ペールコーラルとターコイズ


一方、補色のターコイズはどうでしょうか。コーラルほど日本独自のものにターコイズは見当たらないように思います。
ところが時代をさかのぼるとこんなことが分かりました。

平安末期、貴族や僧侶の間に広まった「末法思想」。極楽往生を願い建立されたとされるのが、京都宇治の平等院鳳凰堂です。ユネスコの世界遺産に登録されています。

ここに使われている配色を「紺丹緑紫」(こんたんりょくし)と言います。紺は岩群青の顔料。丹は、古代からある顔料の鉛丹(えんたん)で、くすんだオレンジ。緑は今も日本画に欠かすことができない「緑青」のことで、孔雀石(マラカイト)を砕いて作る、緑と青の中間の色を持つ顔料。

そう、この「緑青」がターコイズの色だったのです、ちなみに紫は紫土(しど)という、赤鉄鋼を焼いて作る赤紫色の顔料です。

そして、古い時代の曼陀羅を見ると、ターコイズの色がよく使われています。いにしえの日本人は、極楽浄土を、ターコイズで表現したのだと思います。

今がどんなに辛くても極楽に行けば、肉体や現実の束縛から解放されて、真の自由を手に入れる…ターコイズは、そんな憧れを表現していたのかもしれません。

また、絆や一体感を意味する「コーラル」の補色である「ターコイズ」は遊びやお祭りの色と言えるかもしれません。コーラルのある神社にはお祭りがつきものです。

むかしの日本人にとってお祭りは最大のイベントであり、エネルギーを発散し、クリリティブになれる最高の表現の場だったのではないでしょうか。

今も、例えば青森の「ねぶた」、仙台の「七夕まつり」など見ればわかりますが、創造性豊かな行事であることは見ればわかりますが、創造性豊かな行事であることは疑う余地がありません。

そして、お祭りを通して地域の一体感や傷ねは強められます。ターコイズとコーラルのオポジッションの関係性です。

これもお祭りのひとつと考えてもいいのかもしれませんが、むかしの日本には「講」という文化がありました。二十三夜講や庚申講など、室町時代から盛んになった民間信仰です。

地域の仲間が集まって、夜を徹して話したり、「月待ち」といって、月の出を待って月見や食事会を開いたりしたのです。仏教から生まれた信仰ですが、深夜まで行動をともにすることで、地域の連帯感や絆を強める働きをしました。

地域によっては、たとえば十七夜講(月齢十七日目の夜に集まる)は女性の集まり、庚申講は男性だけ…というように、さまざまな決まりごとがあったようです。

地域の女性だけで集まって、なにか持ち寄って食べたり、朝までおしゃべりしたり…その日だけは家事から解放され、ストレス発散の場、コミュニケーションを通して、共同体の絆は強まります。


オリーブの「ガーデン」とマゼンタの「おもてなし」のこころ

オリーブグリーンもまた、日本的なシンボルがたくさん見つかる色です。オリーブは鋼ではないがしなやかな強さがある「竹」の色。日陰にいて、初めは目立たず時間がかかるけれど、石の上にでも育つ忍耐力の「苔」の色。

他にも畳表の井草の色や、茶人・利休の名を冠した「利休色」など、日本的なモチーフにはオリーブグリーンのものが多いのです。

オリーブといっても多くの日本人は、実際にオリーブの木を見ていないのかもしれません。オリーブの実が実際には渋くて苦い味であることを、多くの人はあまり知らないのかもしれません。

でもその代わりに、「苔」で長い時間がかかっても諦めない忍耐強さをイメージすることができますし。「抹茶」から、苦みや渋みといった味を連想することができます。

ところで「茶道」には「一期一会」という言葉があります。これは「人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対して最善を尽くす」という意味です。

この相手とは出会うべくして出会っているという感覚。「一期一会」はシンクロニシrヒの通じる言葉です。茶道とは時間の芸術ではないでしょうか。
この「今」という時間は、もう二度と戻ってこない…日本ではこの感覚を「無常」と表現します。

この世界は無常であるからこそ、今という一瞬に心をこめて、一つひとつの所作を丁寧に行う。それが茶の湯の世界であり、これはまさにマゼンタの感覚です。


オリーブグリーンの畳の上で、オリーブグリーンの一服のお茶をいただく。そのための一瞬一瞬にこめる想いはマゼンタそのもの…という補色の関係性は非常に興味深いものがあります。

前述で茶道を「時間の芸術」と言いました。それまでどんなに忙しくても、ひとたびお茶室に入ると、時間感覚がすっかり変わってしまいます。
そこにはくつろぎがあり、自分の時間を取り戻す感覚があります。

茶道を行う「畳」は、ペールオリーブグリーンの色をしています。畳を敷いた和室は非常にフレキシブルな空間です。
物を片付けてしまえば、どんな用途にも使える受容性、柔軟さは、これもまたオリーブグリーンと言えるでしょう。

平穏な状態で命をまっとうすることを、日本人はよく「畳の上で亡くなる」と表現します。畳の上とは私たちに「日本人にとって終の棲家であり、安心でき場所。オリーブグリーンの楽園に相当します。

茶の湯の世界とは、自分にも相手にも楽園つまり「ガーデン」を提供することです。そのおもてなしをする心が、まさに、マゼンタ色の言語である、ケアすると言うこと。奉仕であり相手への細やかな心づかいです。

そのマゼンタに相当する日本の色名には「牡丹色」があります。かつて日本では、女性の美しさを表現するときに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」などと言いました。

このように牡丹は、女性的な美しさを表します。百合の花は白やオレンジ色、黄色などいろいろありますが、芍薬と牡丹はマゼンタ色のものが多いです。

マゼンタの持つ成熟した大人の女性の気品と美しさが表現されています。マゼンタは自然界にあまり多く存在しません。花の色に見られるくらいでしょう。マゼンタ色の花…たとえば牡丹の花は、オリーブグリーンの茎や葉によって支えられ、美しく咲くことができます。


巧みな色の言語を持つ国、日本

ターシェリーカラーの色の言語を日本の色名や日本の文化と重ねて考えてきました。私はあらためて、日本文化における色の重要性や豊かさを感じることができました。しかも声高に語る色の言語ではなく、ひそやかな言葉でもあります。

ひとつの例をあげれば、江戸時代に幕府から「奢侈(しゃし)禁止令」というものが幾度となく出されました。金銭的に豊かになりはじめた庶民が華美な服装をするのを禁じた法令です。

しかし江戸時代の人たちは、着用を許された色(茶色・鼠色・青など)に中で、たくさんの流行色を作り出します。そのバリエーションの豊富さから「四十八茶・百鼠」と呼ばれたほどです。

制限された色の範囲の中で、微妙な違いを繊細に感じ取り、まや豊かに表現する力を養っていったのです。

2011年3月11日を境に、私たちの国は今、たいへんな事態に直面しています。こんなときだからこそ、思い出してほしいのです。何度も何度でも立ち上がる国の住人であることを。

日本の色は、私たちにその知恵と力があることを教えてくれています。


鮎沢玲子(あゆさわ れいこ) プロフィール

有限会社「カラーズガーデン」代表。
英国オーラソーマ社公認ティーチャー。
栃木県宇都宮市生まれ 生家は染物屋を営む。
中学校美術教師を経て、インテリアコーディネーター
として14年間住宅メーカーに勤務。
2002年よりオーラソーマ・プラクティショナー
として独立開業。
2006年より公認ティーチャーとして活動中。
http://ameblo.jp/aurasoma-c-garden/

また、シンガーソングライターの一面も持っています。
6月に初のオリジナルアルバムのCDをリリースしました。
作詞作曲はもとより、ジャケットのイラストも自身の作品です。

「烏兎匆匆」
全7曲入り/1500円(税込)
こちらからオンラインで購入できます。
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