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カウンセリング 「内なる魂への鍵」 Byラハシャ博士(オーラソーマアカデミー)『LIVING ENERGIES④ 』


この記事は、イギリスのオーラソーマアカデミーで長年カウンセリングトレーニングを担当し、世界各国での瞑想、セラピストの為のトレーニングを指導してきたラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士がカウンセリングについて語ったもので、『LIVING ENERGIES VOl.4』(2000年5月刊行)からの転載です。

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※『LIVING ENERGIES VOl.4』はこちらのサイトでお求めいただけます。

「ある」自分と「なる」べき自分との疎外

存在の中のあらゆる生き物は植物であろうと、動物や人間であろうと、潜在能力を持って生まれてきており、その潜在能力を実現して自分自身を生きたいという憧れ、衝動、動因などを持っています。

これは花にとっては、自分という固有の花になることです。また種にとってはそれは種としては死ぬことを意味します。つまり大地から太陽への道を見つけようとする傷つきやすい若芽の挑戦を、荒天に耐えて最後に花として開くという挑戦に応ずることを意味します。

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この潜在可能性の実現達成は保証されていません。いつ、いかなる時にも風や、洪水や、干ばつや、その他の大災害によって、その若芽が根こそぎにされ、死ぬ可能性があります。にもかかわらず、あらゆる生き物たちの欲望、あこがれ、衝動は、生きること、そして存在と共有されることを欲している、そして成長するためのこれらの内在的な資質を発見することなのです。

インドの神秘家「和尚」が講話のひとつで言っているように、植物の世界と動物の世界では、すでに彼らはその本質を生きています。

しかしそのプログラムはあらかじめ組み込まれたものです。犬は犬として生まれ、犬として生き、犬として死にます。彼らはその生の表現において自然発生的です。彼らは犬以外の何かになるべきかどうかなどとは考えません。

同じことがバラや、蓮の花、その他の花や植物にも起こっています。それは成長し、本来なるべく定められているものになるのです。またその成長において、それは一体性の中に生き続けます。どんな動物や植物も決して分離を経験しません。

どうやら人間は違うようです。人間は潜在的可能性を持って生まれてきます。その可能性に栄養を与え、それを発展させ、そのエッセンスを実現するのか、あるいはそれを忘れるのかは本人に任されています。

私たちが自分たちの文化、社会、家族などの考えに従って養育されるため、通常私たちは自分に本来備わっている潜在的可能性を発見することを、あまり支援されません。

私たちの全焦点は、周りの環境の要求に自分を合わせることです。私たちは何かに「なれ!」と言われます。そしてなろうとする努力の中で、私たちは自分が誰であるのかを考えることもなく、生涯の大部分をますます洗練された人格を作ることに費やします。

誰かが私たちに、自分のあるがままで「あれ!」と言ってくれることは非常に稀です。「なる」という条件付けを通じて、私たちは「ある」自分と「なる」べき自分との間に多くの分離の体験に苦しみ、すでにあるがままの自分から、自分自身をますます遠ざけてしまいます。

この疎隔こそがこの世の苦しみの主要な原因です。

ヒーリングとしてのカウンセリングとオーラソーマ

カウンセリングはこの苦しみに対するヒーリング・プロセスを始動させることができます。

今回、私たちがヒーリングと呼んでいるのは単なる肉体的な癒しではなく、マインドにある多くの誤解、そして傷を作ってきた過去の癒しでもあります。これらの傷は各人を取り囲み浸透しているエネルギー・フィールドである、オーラの中に運ばれています。

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これらの傷は今回の生涯や過去世の中に起源を持っている可能性があります。どうやら苦しみのパターンは繰り返すようです。

家族に目を向けると、その苦しみのパターンは引き継がれ、祖父母から両親へ、子供から孫の代へと転写されていきます。その習慣、行動パターン、人生での困難、思い込みは非常に類似しているようです。これが私たちがカルマと呼んできたものです。

その条件付けの下で発見されるのを待っているのが、それぞれの人間の真の本性です。その真の本性にはどんな条件付けやどんな育ち、どんな人格も影響を及ぼしません。私たちはそれを私たちの個性、潜在的可能性、あるいはこの存在の中での目的と呼ぶこともできるでしょう。

オーラソーマはその美しい色と香りによって、私たちの個体性の一部であるこの内在的なエネルギーを反映します。バランスボトルの中の反映として、これらのエネルギーは肉眼で見て認識することができ、故郷に戻ることができます。その統一の中でヒーリングが起こり、自分の潜在的可能性の開放が起こります。

オーラソーマの素晴らしいところは、癒しを必要としている人自身が、あるがままの自分の反映としてボトルと色を選ぶことです。オーラソーマ・プラクティショナーは、クライアントが自分をもっと理解して、この生に本来備わっている潜在的可能性を発見できるようにするための、色彩の言語とそれらのボトルに秘められた叡知の翻訳者にすぎません。

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カウンセリングもまた、同じ目的を持っています。

カウンセリングはクライアントが人格から個性へ動くことを助けるために、現在の心理学的洞察を使います。それは心身を超えて行くために心身の表現を使います。

内なる宝の扉の錠を開く鍵として、カウンセリングはそれが視覚的であれ、聴覚的であれ、運動感覚的であれ、嗅覚的であれ、味覚的であれ、言語、コミュニケーション、感情、情緒、肉体感覚、感覚的体験を使います。

これらの感覚的体験の背後に、実際あるものをすべて見つけることは、大いなる発見です。カウンセラーが自分自身の潜在的可能性と接触すると、彼または彼女が作り出すエネルギー・フィールドの中で、クライアントは自分の潜在的可能性と共鳴して、その覆いを取ることができるのです。

自分は誰なのか?

カウンセラーは「私が両親や社会から借用した人格の背後にいる、自分とは誰なのか?」という疑問の中にいるクライアントをサポートします。

クライアントが人格的側面の背後にあるものを発見したら、その人は本質(エッセンス)と呼べるものと接触したということです。その本質(オーラソーマではそれを「魂のボトル」にも結びつけます)から、クライアントは自分の個性の非常に特有な要素と特色を発見することができます。

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彼または彼女はすでにある花、あるいは今回の生涯で自分がなるべき花を発見することができます。クライアントはこれを理解し、他の誰かになろうとするのを止めることができます。

バラが蓮の花になろうとはせず、バラであることを楽しんでいるのとまさに同じく、クライアントはあるがままの自分の覆いを取り、その自分を喜ぶことができるのです。

本質はいかなる意味でも人格や人格の変化によって影響されることはないので、カウンセリングはクライアントがこの心身における生の流れが表現しているものを受け入れ、抱擁し、楽しめるように助けることができます。

人生における大部分の苦しみは、私たちが自分の源泉から切り離され、分離し、切断されていると感じるために起こります。苦しみが起こるのは、私たちが押されたり引っ張られたり、外側にある何かの圧力の下にいて、そこで自分が外的境遇の(主人ではなく)奴隷や犠牲者になっていると感じるからです。

この犠牲と苦しみは誤解です。それは自分の外側にある対象と同一化しようと外側に向かって動くエネルギーのせいなのです。

カウンセリングは、クライアントがエネルギーの向きをグルリと変えて、すでにある自分を発見するように助けます。

不思議な現象とは、その瞬間何が体験されていたとしても、それが悲しみであれ、怒りであれ、失望であれ、無力感であれ、あるいは喜び、幸福、愛であれ、すべて自分が個であることの発見への扉になることです。

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どんな感情や状態でもそれが拒否されることなく、それを別のものにしようとすることなく、それを変更しようとするいかなる期待もなく全面的に体験されたなら、その経験そのものが喜びとなります。この瞬間にあるものを全面的に体験しようとする意志そのものの中で、ネガティブな、あるいは苦しい出来事が喜びに変容するのです。

あるがままの自分に寛ろぐ

では、なぜそうなるのでしょうか?

それは、どんなネガティブな体験の痛みも、事態が別であるべきだという解釈の中に横たわっているからです。

人が体験そのものとひとつになった瞬間、その副産物が喜びであり、愛であり、あるがままの自分への寛ろぎなのです。驚愕すべき現象とは、感情や情緒や体験とひとつになることの中で、ネガティブな側面はただ消えてゆくことです。

神秘的な発見は幸福、至福、平和、愛、自由のように、常に外側に求められてきたものが、すべて内側にすでに存在していたものとして再発見できることです。

人間が追い求めているものはすべて、お金でも、もっと大きな家でも、もっと大きな車も、あるいはもっと面白い愛のパターンを追い求めることも、それは基本的には幸福、至福、平安、愛、自由といったものを求めるという、この必要性を充足しようとしているのです。

あらゆる欲望は、一体性に戻るという根本的必要性を満たそうとするのです。けれどもいったん私たちが内側に目を向けそこにあるものを見ようとしたら、私たちはこの一体性から自分が一度も離れたことがないことを発見します。

カウンセリング、オーラソーマ、その他のヒーリング・テクニックによって、再びひとつになろうとするこの試みは支援されるはずです。オーラソーマの色彩の中で、クライアントは「これが本来の自分だ」と明確に思い出すことができます。

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その認識の中で寛ろぎが起こり、その色で表現される拒絶されていたかもしれないエネルギーが、家路に着くことができるのです。そのまさに歓迎の中で癒しが起こるのです。それはそこに一体性が起こるからです。その一体性の副産物が喜び、愛、至福であり、平安なのです。

カウンセリングでは、カウンセラーがクライアントをサポートして、別であろうとするどんな希望も持たずにただあるがままを見て認識できるようにすると、一体になるというこの同じ現象が喚起されます。クライアントが現にあるものを完全に体験できるようにカウンセラーがサポートすると、現にあるものとの闘いに囚われていたエネルギーが解放されます。

自分に目を向けると、私たちはどれほどのエネルギーが、あるがままの自分との闘いに浪費されていたかを発見します。自分の中で闘っている対象はすべて外側の世界にも反映されますから、私たちは同じものと自分の外側でも闘っているのです。

私たちが自分と闘うのを止め、自分の中にあるものを全面的に体験する瞬間、私たちは内なる愛と受容を発見し、同時に全ゲシュタルトが変化し、世界の見方の全体が変化します。私たちは世界と闘うことも止めます。これは恋に陥った人が最もよく表現しています。恋人は全世界が愛であることを、全世界が花園であることを感じます。

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ですからカウンセリングとは、クライアントがすでにある自分を発見するのを助ける単純なサポートなのです。

クライアントが何かを変更したいと望んでいる場合でも、カウンセリングはクライアントの中の何ひとつ、変えるという意図を持っていません。

逆説とは、内側の何かが変わるのを待つことによって変化が起こることはありえないことです。変化と変容が起こるのは、別のものであろうとすることを止めることによって、あるがままを見て生きることによって、そしてあるがままの中に寛ろぐことによってしか起こりません。

私たちは分離していない

それを説明する一番いい方法は、樹木を例にすることかもしれません。

もし一枚の葉っぱが不幸で、自分を変更したいと思ったら、それは難しくなります。また、その葉が他の葉の様子を見て不幸になり、それを変えようと望んだら、それはますます難しくなります。

どちらの状況においても、エネルギーの全体はその樹木自身と対立することになってしまいます。葉っぱが自分は分離していると考えているのが誤解であるのと同じように、人間が自分が分離していると信じているのは誤解なのです。

樹木の葉が内側で寛ろぎ、ものごとのありようを体験した瞬間、自分が樹木の一部であり、葉が必要としているすべての栄養を与えてくれているのが樹木であることを体験します。

樹木はすでにそこにあって、生きることを楽しみ、生きることを祝っています。その祝祭の一部がこの葉であり他のすべての葉なのです。その認識の中で、その葉っぱは不幸から幸福へと変化が起こります。

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同じように、あらゆる生命存在は、存在という大きな樹の一枚の葉であるということができます。存在はすでに起こっています。

私たちは存在の中の何からも、また誰からも切り離されてはいないのですから、もし私たちが自分自身、あるいは他の誰かと闘うのなら、自分が常に闘って自分自身を傷つけていることになるのを発見します。

私たちが発見したように、あるがままの私たちはすでに起こっており、比較と競争の中で生きることは馬鹿げたことになります。

そのとき私たちは自分の周りの誰をも、また何をもただサポートすることを望みます。なぜなら私たちが誰かをサポートするとき、私たちは自分自身をサポートしているのですから。

カウンセリングというアートは、そのサポートのためのひとつの鍵です。ですからカウンセリングは、内なる宝の扉を開くひとつの鍵なのです。

ラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士

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ラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士はドイツで医学を修め、医師として活躍していました。そしてよりホリスティックな観点からヒーリングの研究をするため、フランス、アメリカ、インド等で東洋医学やカウンセリング、プライマルセラピー、エンカウンター、ブレス、エイクソニアンヒプノシス、タントラ、メタフィジカルリーディング、オーラソーマ、エナジーワークなどの様々なセラピーや、瞑想についても研究を深めました。グループセッション、瞑想およびセラピストのためのトレーニング等をアメリカ、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパなどで指導し、オーラソーマ社公認のカウンセリングトレーニングの講師を勤めてきました。


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