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瞑想は私の人生をどう変えたか アルヴィナ・ワンドレス


内側で愛が拡がるにつれて、私はいたるところに愛を発見しました。花
のなかに、木のなかに、子どもの笑顔のなかに…。
―アルヴィナ・ワンドレス

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わたしが本当に望んでいるものは?

 私はいつも、なにかより大きなものの一部となって、つながりを感じ、く
つろぎや平安や調和を感じたいと願っていました。大家族のなかで育ったの
で、そういう資質の多くは私の日常生活の一部でした。
 私は家族の一部で、安全だと感じ、いつもつながることのできる誰かがい
ました。けれども、家族の一員であることは、妥協することでもありました。つながりを感じるためには、私は誰かに合わせなければならず、彼らの目を通して、自分自身と行動を見る必要がありました。

 誰かに合わせることはあまりに自然にできたのですが、あるとき、家族が
自分になにを望んでいるのかはとてもよくわかるのに、自分がどうしたいの
かがわからないということに気づきました。
 どうしたら相手が気に入るかばかりを感じてきたので、自分にとってなににが気にいるのかがわからなかったのです。
 このことがあって、自分がほんとうに望んでいることは、ほかにあるということがはっきりしました。それは「自分自身である」ということでした。私は誰なのか、私にとってなにが大切なのか、なにが私を幸せにさせ、満足させるのか…、どうすれば自分の人生で自分自身を表現できるのかについて、もっと発見することでした。

 このことを自覚するのは、最初はかなりつらいことでした。というのは、それを知るには、相手と対立するしか方法はありえないと思われたからです。相手が正しいと思うことに従いたいのか、それとも自分にとって大切なことに従いたいのかを決めようとして、私は自分の内面で葛藤していることに気づきました。それに加えて、自分がなにを望んでいるのかを見つけることでさえ、非常に難しいように思われたのです! 私は自分が人生で、なにを望むかを認識するために感じたり、内面を見たりする方法すら知りませんでした。

瞑想と葛藤

 ところが23歳のとき、Oshoに出会って瞑想を見つけたときに、すべてが変わりました。しばらくのあいだ、私は内面の葛藤を忘れてOshoの動的な瞑想を楽しみ、また内なる旅を全面的にサポートしてくれたほかの瞑想者たちとつきあうことを楽しみました。

 しばらくすると、私にとって瞑想がより難しいものに思えるようになりました。瞑想のなかで、なにが起こるべきか、自分はどうやって過去から抜けだしはじめるべきかといった思考や考えが浮かぶのです。
 私は、瞑想を深めるとは、動かずに静かに座ることだと思っていました。しかし、静かに座っていようとすると、いつでも身体は不快を感じはじめ、動きたくなるのです。瞑想のなかでは自分は心を静かにして無思考でいるべきだと思うのですが…、思考を持つまいと懸命に努力しても、思考は現れつづけました。瞑想者として、自分は感情的になったり、嫉妬したり、イライラしたり、怒るべきではないと思うのに…、逆にあらゆる類の感情がわきつづけました。私は別人のように変わろうと懸命に努力しましたが、結局、自分はけっして良い瞑想者にはならないだろうと感じるようになりました。

 ほとんど諦めかけたちょうどそのとき、私はハート瞑想を見つけました。
 私は、Oshoが「瞑想者がしなければならない唯一のことは、頭からハートへ移動することだ」と言うのを聞きました。今までずっと瞑想しようと努力してきたのは、私の頭だったのです。瞑想とは、なんであれ現在起こっていることを拒否せずに、ただそれに気づいて、それとともにいることだと理解するようになりました。この臨在(今あることとともにいる)がハートです。

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