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情報発信者が「自分語り」をするべき理由

よく何万人もフォロワーを抱えたインフルエンサーやブロガーが「自分語りはするな」「価値ある情報を発信しろ」と発言していますが、僕は「だからこそ自分語りはガンガンするべき」だと思っています。

その理由は「練られた自分語りはおもしろいから」です。自分語りばかりする人に客がつかないのは「おもしろくない」ことが原因であって、「自分語りをしているから」ではありません。

だって「すべらない話」はおもしろいじゃないですか。あれは究極の自分語りですよね。人気番組になるってことは、それだけ自分語りには需要があるってことです。

「それは芸人さんがやるからおもしろいのであって、素人の自分語りなんて誰も聞きたくないよ」と思いますか?僕はむしろ逆だと思います。

この「一億総発信者」の時代で、「フォロワーを増やすためには自分語りをするな」という風潮の中で、「自信満々に自分語りをする素人」はむしろ求められていると思います。

現に僕が好きな発信者さんは全員「自分語りばっかりする人」です。僕の発信をいつも見てくれている人は「なおと節が好きだ」と言ってくれます。

つまり?僕たち程度の発信者に「役立つ存在であれ」だなんて求められてないってことです。お茶の間全員がダウンタウンを見ていた時代は終わったんですよ。

みんなそれぞれにヒーローがいて、そのヒーローが日ごろ何を考えて生きているか、どんなものを買い、どんなものを食べ、誰とどんな遊びをしているのかを知りたがっている。

できることなら一緒に遊びたい。時間を共有したい。そう思っている人たちがいるんですよ。「この人は役に立つから見とこ」なんてフォローしてくる人を1万人集めても、その道のプロにはもう勝てないんです。

ならばどうするか?素人に毛が生えた程度の僕たちに、ちょっとその辺にいる人よりもネット社会に詳しくて、文章を書いてきて、私生活を公開してきただけの僕たちに。残された手段は「自分語り」しかないでしょう。

「45歳のオッサンの自分語りなんて誰が聞きたいんですか?」とあるインフルエンサーが言ってました。確かにその辺のさえないおっちゃんの自分語りなんて聞きたくない。

でも「45歳のおっちゃんの震えるほどおもしろい自分語り」だったら、聞きたくないですか?話がおもしろいならむしろビジュアルなんて冴えなければ冴えないほどよくないですか???

ボロボロの定食屋に入ったらびっくりするほどおいしかった。感動しませんか?人に伝えたくなりませんか???

逆にこう考えてみてください。素人が、素人なりに情報を集めて、素人まるだしの文章を書いて、素人同士で意見を交換し合う。何がおもろい?誰が好きになるねん???

どうせ素人で、下手くそで、大した実績もないなら、「カマす」しかないわけですよ。何を?盛大な自分語りを、です。

滑っていいんですよ、素人が滑るのは当たり前です。自分にとっては大ダメージでも、見てる人は何も思ってない。そもそも見られてない。

そうだとするなら「素人が素人なりに頑張って描きましたぁ!役に立つ情報を発信したらいいんですよねぇ?」なんて発信をするよりも

「僕の自分語りおもしろいでしょ?こんなにおもしろい人他にいます?すべってる?ああ全然問題ないんですよ、僕海賊王になる男なんで今のうちに目に焼き付けておいた方が得ですよ」くらいの気持ちでカマした方が、結果として読者がつくと思うんですよね。

ちなみに僕はその姿勢でnoteアカウントを開設して1記事目に5万円の有料noteを出しました。素人の僕には攻めることしかできなかったので、攻めに攻めた結果、あれ以上の熱量のものを作ることは3年経った今でもできていません。素人にしか咲かせられない華ってあるよ…

結局メンタリティだと思うんですよね。素人が素人なりに書いたっておもしろくない。創作っていうのは真面目にやったらダメなんですよ。

いくら役に立とうが役に立つコンテンツは溢れているし、新世界にはもっと強い海賊がたくさんいるから正面切って戦っちゃダメ。

「素人はまずこうしよう!」という情報に飲まれてる時点で負けなんです。それを言ってるインフルエンサーのフォロワーが増えるだけです。

優れたポーカープレイヤーは、自分の手が弱くてもハッタリを使って相手を降ろさせる技術を持っています。麻雀もそうですよね。ブログも、そうだと思ってます。

だから大穴狙いで自分語りをしまくって、すべってすべってすべり倒して自分語りを磨いて、「素人である」という属性さえも武器にして、自分の道を切り拓いてはどうでしょうか。という話でした。おわり

いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。