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それはきっと「音楽性のちがい」だね

「ずっと一緒にいるんだろうなあ」と思っていた人と急に話が合わなくなることがある。ビジネスでも、友人関係でも、恋人や家族とさえも。「あんなに一緒にいて楽しかったのに、なんか変わっちゃったな」と思うことがある。

僕はこの現象のことを「音楽性のちがい」と呼んでいる。バンドが解散する時によく言われる、あれだ。音楽性が違ってしまえばひとつの音は奏でられない。もちろん表に出せないような問題があるんだろうけど、「まあ音楽性のちがいなら仕方ないよね」という感じが、個人的に好きだ。

「ずっと同棲した彼氏と別れちゃったんです」「あら、喧嘩でもしたの?」「いや、仲はいいんですけど音楽性の違いというか…このままずっと一緒にいても、あれかなって」こんな雰囲気で使う「音楽性のちがい」が好きだ。パワーがあっていい。「それ言いたいだけやろ」とツッコみたくなる感じがいい。

ここで言う「音楽性のちがい」とはつまり価値観の違いである。僕も最近は特に「なんか話が合わないなあ」と思うことが増えた。と、いうことはきっと僕も思われてるんだろう。今は仕事としても大きくスタイルを変えているし、「今までのなおとは好きだったけれど今の感じはなんか違う」と感じている人もいるかもしれない。音楽性のちがいだ。しかたない。

30歳も近くなってくると、学校という共通のコミュニティを出てからもつ10年近く経つ計算になる。一流の会社に勤めた同級生もいるし、僕みたいにふらふら働いてんのか働いてないのかわかんないようなことをやっている奴もいる。生き方が多様すぎて、隣の席に座っていたあいつが今どんな人生を送っているのか、想像することさえできない。

たまに考えてゾッとする。え、みんなどうやって生きてんの。僕は僕で必死にもがいてたらこんな感じになっちゃってたんだけど。他の選択肢が思い浮かばなかったよ。何やってんの。元気ならそれでいいよ。ただもうどうしようもなく交わらないんだろうね。

例えば僕には固定収入がないから、常に「どうやって仕掛けるか」「いかに守りを固めるか」ということを考えている。同級生が40人いたら、こんなこと考えているのは精々5人か6人くらいだろう。会社やってる人が僕みたいなフリーランスか、そうでもない限りこんなに頻繁にそろばんを弾く必要はない。これだけで既に「話が合わない」の一要因になる。

さっき床屋で髪を切っている時に大将と引っ越しの話をした。住む場所を伝えると「え、そんなところに引っ越すの?もっとマシなところなかったの?」と言う。悪気はないと思うんだ。ただ、その世代の人の「家賃にお金かけてなんぼ」という価値観は僕には合わない。そもこも頻繁に引っ越しをするという考えもないし、同じ商売人でも家賃がかかる床屋と僕のビジネスではかかる経費がぜんぜん違う。

僕の考えは限りなく僕の生活に最適化をかけたものだから、人から見ると「え、なんでそんなことするの?」と言われることばかりだ。わざわざ不便なところに住むのは、僕の仕事に出勤が必要ないから。交通の便よりも部屋の中がすっきりしていた方がいい。人との関わりが無さすぎてスーツすら持ってない。いつもユニクロの短パンと無地のTシャツを着ている。人から見れば「何が楽しいの?」なんだろう。

話が合わないことや、話が合わなくなることは悲しいことじゃない。きっとそれはそれぞれの「最適化」であり、「音楽性のちがい」なんだ。みんなちがってみんないいと小学校で習ったじゃないか。音楽性が違ったって同じ惑星に住んでる者同士、なかよくやりましょーや。なんの話?おわり。

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