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やたらと物を壊す最近の自分への考察

やたらと物を壊しちゃう時期ってありますよね。ぶつけたり、倒したり、無くしたり…

最近の僕はコンセントにソファーをぶつけてぶち割るわ、タワーファンを倒して襖をぶち破るわ、椅子の肘掛けが折れるわ(これは本当になんでかわからん)、とにかく色々な物が壊れます。こういうのはやたらと続く…

滅多に起きないような事が続くときは「これは何かのメッセージでは?」と考えるようにしていて。この出来事たちは僕に何を伝えようとしているんだろうか。ちょっと考えてみました。

まず1つ、引っ越しを控えていて、日頃やらないこと(机のサイズを測ったりソファーを移動させたり)をしていること。物理的にいつもより物を動かしてるんだから仕方ないよねって話。

2つ、5月6月に来ていた仕事の波が落ち着いて、本来5月6月に処理しなければいけないような厄介ごとが7月になって一気に集まっているということ。今振り返ってみると不思議なくらいトラブルが少なかったんですよね。調子の良さの反動の可能性。

3つ、お金の流れについての強制執行。これはちょっとスピリチュアル的な話かもしれないけれど、「お金の流れに偏りがあるとき」は何かしらのイベントごとが起きると思っていて。最近の僕はお金を稼ぐこと自体が楽しすぎて、全然お金を使っていなかった。

引っ越しというお金のかかるイベントも「1年かけて賃貸を徹底リサーチし(妻)」「手数料が安い仲介エージェントを探し」「契約の際は初期費用を徹底的に交渉」「引っ越し会社も相見積もりを持ってビデオ電話交渉」など、徹底的に勉強をして、支出をかなり抑えることに成功した。

好きなことにお金を使うために必要のない支出は徹底的に削りたいタイプなのはずっと同じだけど、最近は「削る」ということに時間と労力を割きすぎている気がする。なんていうかな、バランスが悪い。お金に関してリサーチする時間が長すぎて、「使うこと」があんまりできていない。

だから物が壊れて「修繕費」という名目でお金を使わせたかったんじゃないか。(誰が?って話だけど)

知識をつけて支出を減らすことは確実に成果が出るから楽しいのだけれど、ほどほどにしないとバランスが悪くなってしまう。節約できたお金の「出口戦略」がないと、ただの貯金マンになってしまう。

楽しそうな貯金マンはいいけれど、苦しそうな貯金マンはよくない。僕の方針と外れる。僕はお金を貯めたいとは思っておらず、「常にいくらか余っている」という状況を常に目指してきた。出ていくお金よりも入ってくるお金の方が多いから自然と増える。貯めようとせずとも貯まるのがいちばんいいに決まっている。

書いていて分かった。多分3番目だ。核心をついている話は筆がすすむ。お金の流れが全体的に「守り」に寄っている。バランスが悪くなっているなあ。出口戦略を考えなければ。

「書く界」のみなさんへ

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