死についての妄想
初めに
皆さんこんにちは。実はこの文章はテスト期間中に書いてます。来週、低い点数に打ちのめされてる私の姿が浮かんでくるようですね。
さて、本題なのですが、皆さんは「死」ってどういうふうに思ってますか?怖い、はよく聞きますけど、普段あんまし向き合う瞬間もないですし、怖すぎて何も考えてない、っていうのが実際ですよね。私もホラーとか苦手なので、得意という訳ではありません。
しかしながら、昔こういう話を聞いたことがあります。出典は忘れました。
「ある人が、自分の死ぬ直前に死を理解した。曰く、『自分が死んだ瞬間に世界が止まる』らしい。その人は発狂しながら、その時を迎えたという」
底知れぬ恐怖を覚えますよね。死を目の前にして怖気付いた人間の本質的な畏れ、みたいな。まぁ、言ってる意味は全く分かんないんですけど。
……というのが初見の感想でした。そこから数十分、考えてみると理にかなっているのかもしれない、と私は考えを改めたのです。今では私の中で定説となっています。残念ながら、こんな話をする機会はこうでもしないと設けられないので、とりあえず話そうかな、と思い立ちました。
皆さんもこれを機に、私のように考えていただけると幸いです。私に人望がないので、議論とかに植えてるんですよね。意見質問文句共々、絶賛募集中。
1.睡眠から考えてみる
医学的に死を断定する時、どうやら「脳死」が主たるものらしいです。高校の教師が言っていました。死にアプローチするために臨死体験をすることも叶わない一般人の私は、「脳死」という観点に着目したのです。脳が死ぬ、と言うと物騒ですが、脳が活動を止めている瞬間って、ありますよね。
睡眠時ですね。寝ている時は脳が活動を休止しているので、殆ど脳死みたいなもんです。というか、脳死と何か違うんですかね。(因みに、これは動画を見ながら脳を止めて書いています。つまり脳死ですね)
寝ている時は死んでいる、となれば、最早分かったも同然です。
睡眠に入る瞬間は自分では分からないので、死ぬ瞬間も自分では分かりません。自覚できないんですよ。じゃあ私達、なんで「寝た」って分かるんですかね。当たり前ですけど、それは「起きた」からですよね。
……では、次に「起きることの無い」死は、どう感じるんでしょうね? 死の境目は、無いものだと思った方がいいでしょう。夢も見れません。医療ドラマでよく見るように、心拍数と同じような意識なんでしょうね。主観的な、宇宙の誕生前の体感ができるでしょう。
2.記憶喪失から考えてみる
さて、二つ目のアプローチです。こちらの方が本筋ではあります。さっきまでのは前座です。記憶喪失の人間っていますよね。某インクレディブル的なテレビ番組でも、そういう話を取り扱うことがあります。私はこの「記憶喪失」と「死」に、関連性があるように感じてしまいました。言語化するのは難しいですが、輪廻転生を踏まえると人間は死んだ後に「記憶が無くなる」ので、ここに「記憶喪失」の要素が絡んでくるのかな、と。喪失前の自分なんて、地続きの前世と同じです。
私の見た某信じられない的なテレビ番組では、確か
「目が覚めると自分が大人になっていて、詳しく聞くと二十年過ぎていた」
みたいな筋書きでした。この人は記憶を取り戻していた気がします。良かった。
しかし、これを死に結びつけようとすると難しいですよね。記憶を失う時って体験していない私らには到底及ばない想像です。じゃあ、諦めるしかないのか……。
ん? 何? 私が居るって? いや、でも貴方の出番はさっきで……まだ出演したい? 仕方ないなぁ……。
という訳で、記憶を失うもの、普段ありますよね。「夢」ですね。ここまで「死」と「睡眠」が結びつくとなると、人間にとって死ってやっぱり休息なんじゃないかって訝っちゃいます。死は救済なのか?
夢には大きく分けて二つ、普通の夢と明晰夢がありますが、少なくとも前者を覚えている人はほとんど居ません。後者の体験はした事ありません。そして、覚えていない時の感覚は、最終的に「そもそも夢なんて見てなかった」にまで迫ります。というか大体そうです。三日前に夢を見たかどうかを答えられる人、一桁パーセントじゃないですかね。
ここで拡大解釈。人生八十年程度を「一つの夢」と解釈します。現実と夢は信じる方で逆転するので変わらないですよね。夢の終わり、私達はどうなるのか。これも、私達が「起きた」からこそ分かることです。
頭の冴えてる人は分かったかもしれません。死んだ後から見て、生きている間の記憶って消えるんですよ。じゃあ、今私達の体験している世界って何なんだってなりますよね。いつか死ぬんだったら、忘れるんだからここまで体験できるわけないじゃないかって。少々、未来的な現在の捉え方ではありますけどね。
だから、私は「死なない」んじゃないかって思うんです。先の人も、「死んだ瞬間に世界が止まる」って言ってましたよね。死なないんだったら、それでも筋が通ります。死ぬ事が決まっていたら、自我と記憶は存在できないはずなんです。私達は死なない。それが死ぬ瞬間の世界停止なのか、不死なのかは分かりませんが、死にはしません。(この説は大分宗教的な観念に囚われていますが、人間の思考範囲の限界ではあります)
生きている時点で、もう死ぬ事はありません。死んだら記憶が消えるはずなのに、今の記憶が消えてないからです。そう考えると、死ぬまでは気楽に生きていけそうですよね。
終わりに
手始め的な形で、私が思っていることを書いてみましたけど、実際どうでしたかね? 突然、書いたのが「死」っていうのがちょっと引かれそうですけど、その日の気分が乗ったから書いただけなんです。こんな風に、適当に思ったことを徒然的に書いていくつもりです。気分が乗った時に、自分の考えたことを、誰かに向けて書いていく。実に気ままな人生ですね。
死について論じましたけど、詰められると厳しいところもあります。例えば、「夢は体感中は覚えているだろ」って言われれば多分説得は難しいです。私は五分前想像説的な考え方をしてしまったので、現在から未来を捉える場合と異なってきてしまいます。やはり、人に説明をするっていうのは難しいですね……。
——まぁ、死ぬ瞬間にこの説を思い出したくは無いですけど。
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