共感したのに嫌われた!全肯定という名のネグレクト

こんばんは。
梅田王子です。
今回は、共感の話第2弾!「共感したのに嫌われた人にありがちな勘違い」についてお話をします。

共感とは単に肯定することではありません

他の記事でも、共感とは相手を単に肯定することでも話を合わせることでもなく、感情のシェアであるというお話をしました。
さらに、シェアというと分け与えるという意味になりますが、あなた自身まで怒りの感情が湧いてきて夜も眠れなくなったり、イライラしたり、喜んだり悲しんだりする、非常にしんどい現象であると説明しました。

私の見解では、共感などなるべくしない方が良く、何を言われてもデーン!と構えているくらいの大木のような態度をとっている方が良いのではないかと考えています。

今回お話しするのは、にわか心理学の解説でYouTubeで一発お当てにでもなろうかな程度の人が解説する、俗にいう「共感」についてです。

肯定したのに嫌われた原因

そうか、とにかく相手を肯定して話を合わせておけばモテるのか!

そう思って、何にでもうんうん、何にでもそうだね、何にでもわかる〜といってあげたのに、それ以降連絡がなかった。なぜだ!とキレている人がいます。

原因が分かりますか?(いや、むしろなんでわからないんですか?)

簡単です。相手の期待が「肯定ではなかった」からです。
こういう場合、本当は「それは違う!」とハッキリ言って欲しかったのに、「そうだね、わかるよ、誰だってそう思うよね!」とか言われて、(この人は私の話を聞いていない。聞いていても、何もわかっていない。)と思われて、完全に愛想を尽かされた。
それだけです。

その子の全てを認めてあげましょうという教育理論

一時期、子育てでも「全肯定」を推奨することが流行ったことがあります。どんなに悪いことをしても、それにはきちんとした理由があるはずだから、まずは話を聞いて、肯定して、その子の人格を尊重してあげましょう。そういう教育が行われたのです。

ちょうどその時代、ある痛ましい事件が起こります。
予備校生だった子供が、両親を金属バットで殴り殺したのです(神奈川金属バット両親殺害事件)。

この事件の背景に、異様な教育方針と家庭環境の問題があったとの指摘がされています。どうやら、この殺害された両親は「全肯定」を推奨する教育方法の影響を受け、いずれ殺されることになる実子に対し、一切抵抗せず、どんなに家の中で暴れまわっても「そういう精神状態を認め、尊重する」という対応を徹底したようです。これは、相談していた精神科医だかの助言でもあったようです。

無条件肯定というネグレクト(虐待)

現在、このような教育方針は広義のネグレクト(無視)として、虐待という扱いになっています(抵抗している勢力はありますが、それは一貫性の原理によるものでしょう。)。
子供は、自分が悪いことをしたことにより、それを指摘され、更生するように指導されて当然であり、それは権利であるという堅苦しい言い方もあるのですが、悪いことをしても叱らないのは、無視だということです。

児童発達の研究でも、子供は叱られることに快感を覚えるという結果が示されています。この快感は、おそらくは承認欲求が満たされたことによるもので、平たくいうと「親の気を引こうとわざと怒られるようなことをしたことによって、正しく期待通りの結果が得られた=親が自分を叱ってくれた」という満足によるものです。

先の神奈川金属バット両親殺害事件でも、予備校生の年齢にもなったのだから、このようなことをしたらよくないことくらい知りながらわざと暴れているのに、それを「今はそういう精神状態なんだね、仕方ないね、僕たちは君のそんなところも尊重するよ!」などという態度を取られ続けようなら、最終的にどこまで「わざと怒られることをしなければならないか」くらい、当然見当がつくものです。

その結果が、両親の撲殺だったのです。

本当は、叱られたかったのに!

話が大きくなり過ぎましたが、多かれ少なかれ、特に依存心が強い人や、自分のあるむべき道に迷いが生じている人は、自分を肯定する人よりも、正しい方向に導いてくれる人を求め、わざと怒ってもらうための言動を取ったり、時には試したりもしたりします。

「私、本当に仕事できなくて。」
「ほんとだね、俺もたまに嫌になるよ!(惚れたか惚れたか?)」
「私、本当に仕事できなくて。」
「どうしてそう思う?」
「いっつも怒られてばかり。」
「何をしたら怒られたの?」
「それもわからない」
「そんなんだから怒られるんだよ!それじゃ君が悪いのか、上司が悪いのかもわからないじゃないか!」

下の会話例は実際のものですが、この話は20分以上も続き、最終的には「会社が思ってたのより違っててがっかりした」というだけのことでした。

「確かにそれじゃ期待外れだね!」
「本当そうですよ!(プンプン)」

そして、最終的に現状に期待外れとなったことの残念さを、私と二人で共感したのです。

わ・た・し・の話を聞けぇ〜♪(ただし、本気でな!)

確かに、女性のいうこと全てを肯定して、笑っていいとも!なみに「そーですね!」と答え続けたところで「なんで私の話をちゃんと聞かないんだ!」と金属バットで殴られるようなことはないと思います。
しかし、男女関係のもつれによる暴力事件とは、往々にして一方の無関心が関係することがほとんどです。

それを、「こいつ、何にもわかってないわ!」と諦められて連絡が来なくなるくらい、私はむしろ女性に優しさを感じます。
「共感したのになんで!」と疑問に思うのは大切ですが、そこは共感するところじゃなかったというのがその理由です。そこじゃないところで無思慮に肯定したのが原因です。

一言で言うと、人の話を聞いてなかったからです。

共感でモテると言うのはウソではありませんが、自称専門家を好きなだけ名乗れるネットの情報には、こういう落とし穴もあるので注意が必要なのですね。

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