236. スマホにキン*マ掴まれるぞ! それくらい自分でできるからという開放感

こんばんは、梅田王子です。
今回は、ナンパや恋愛とは少し旗色が違いますが、俗に言う「スマホがあるのだから計算なんでできなくてもいい」的な考え方の危うさについてお話しします。

これからは全てAIが代替する?

よく聞く話に、これからはAIが代替するから英語なんか学ばなくていいし、計算なんかできなくていいし、字なんかかけなくていいし、学校なんか行かなくていいし、友達なんかいらないし、彼女なんかいらないし、嫁なんてなおのこといらないとか、そう言う「スマホというテクノロジーによって人間は自由になるべし!」という動画や記事が特にここ最近増えています。

どこか危うさを感じながらも、それはでも違うんじゃないかなという疑いも晴れない、そう言うモヤモヤを感じつつ「本当にスマホさえあれば勉強をしなくてもいいんだろうか?」という期待というか疑問は、どうしても払拭しきれません。

しかし、私は断言できますが、スマホの有無にかかわらず、人は計算できないといけないし、語学も学ばなければいけないし、字も書けないといけません。
なぜかって?
だって、それじゃあスマホがないと生きていけなくなっちゃいますからね。

能力は取り上げるという脅しが効かない

ありきたりな答えで拍子抜けしたかもしれませんが、「自分でできる」という能力は、誰にも侵されないのです。つまり、取り上げるという脅しが効かないのです。

人が良い学校に行き、良い会社に就職し、したくない仕事でも自分に鞭を打って働き、些細な報酬と「大企業の社員」「正社員」とかいう肩書に虚栄を張り、それでもその些細な報酬と見栄のために自分の人生や価値観を犠牲にするのは、結局のところ、会社という存在に生きる術である「お金」のイン(IN)、お金を恵んでくださる会社様という存在に尻尾を振る以外に方法がないからという理由に他ならないでしょう。

会社という存在なしに、お金という生きるためのエネルギーを得る術がないから、つまり、言うこと聞かないとお金を与えてくれる会社という存在を取り上げちゃうぞ!という脅しが効いているから、ここまで都合よく人は働かされるし、ノー(No)も言えないし、自由がないのです。

これは、お金のインを会社に所属するという方法で叶えているからに他なりません。この場合、会社に見捨てられたら生きていけないから、「お願い私を捨てないで」並の惨めな人生を送る羽目になるのです。

そこで、先の「スマホさえあれば」の話に戻ります。結局、頑張れば自分でできるようになる能力ごときをスマホの機能に依存してしまおうという話なのですから、仮にスマホの能力に依存した仕事を始めると、先の会社の例のように、今度はスマホにまで「お願い私を捨てないで」と懇願し惨めな人生を送る羽目になりかねません。

努力すれば修得できることは、絶対に自分でできるようになっていたほうがいいです。何かを誰かに依存すると、結局はその何かのためにその誰かに隷属することになるのは程度の差があるだけでこの関係は絶対です。

誰にもキン*マを握られていないという快適さ

私がなぜこの話をしようと思ったかというと、私は炊事・洗濯といった家事全般は難なくこなせるし、大概のことは自分でできるようにしておこうと努力した結果、いつ会社をクビになってもどこででも働ける自信というか確信があるし、誰かに対して「あなたがいなくなっては生きていけません」というような依存の関係がほぼないという暮らしをしているからで、この「誰にもキン*マを握られていない」という快適さというか気楽さは、一度経験するというかこの状態に達すると、みる景色が変わるのです

そして、こうなれば女性は「性」以外にプライオリティがなくなってしまいます。可愛くなって、エロくなって、梅田王子に可愛がってもらうためには「性」のプライオリティを向上させる他ありません。
弱みも全く握られません。自分から女性にアプローチできるのですから、女性にとては「さらにいつ捨てられてもおかしくない状況」が出来上がってしまいます。

その上、お金も仕事もいくらでも働き口はあるのですから、拾われ口はあるのですから、会社なんて少しでも嫌なことがあればさっさと縁を切ってしまえばいいのです。
そうすると、「まぁ、かわいそうだからいてやろうか」と、返っていてあげるという上から目線で逆に被用者である私の方にプライオリティがあるかのような雰囲気になってきます。

便利なのに不幸な理由

私はナンパ、恋愛の真髄は「自分から声をかけることだ」という考えを展開していますが、これは人間関係の主導権は常に自分が握っておくことだと言い換えることもできます。

誰かに何かを依存すると、つまり誰かの行動に付随して自己の行動が決定されるという関係性を甘んじて受け入れると、それだけ自分の自由度が減ることになります。自ら行動するという負担と、自分の自由度が減るという負担を等価交換したことになります。

世の中は便利になったはずなのに、なぜ幸せになれないのだろう?

よく言われるこの答えは、便利と引き換えに自己の自由度を差し出した結果として、それを「取り上げられる恐怖」「捨てられる恐怖」に怯える生活を余儀なくされるようになったことに他ならないでしょう。

そして、ついに読み・書き・計算まで、スマホにお願いしてさらに能無しになって、スマホ、ひいてはその運営者に「キン*マを握られないか」という誘いが襲ってきた、そういうわけです。

ありきたりな表現ですが、「これくらいのこと自分でできるし別にあんたなんかいなくても困らないよ!」という態度を取れることは、人生の自由度を本当に上げてくれます。

いいよ、自分でやれるから!

街に出ればいくらでも声掛けできるし気に入った子がいれば自分からアプローチできるし、こういう態度を虚栄ではなく経験から取れるようになれば、男の人生を狂わす「歪んだ性欲」という悪魔からも身を遠ざけることができます。

仕事もお金も女も、人生で必要な程度は自分でコントロールできるし、これが取り上げられたからと言って別に自分でやるからそれなら仕方ないな、こういう人生の自由度、選択肢の幅と数を最大限他人に奪われない、こういう人生を送るために、英語くらい自分で読み書きできないといけないし、計算なんか暗算でパパッとできないといけません。

頑張れば自分でできるようになる能力ごときなど、スマホに依存する前に自分でできるようになる方が早いし、容易(たやす)い。
女だって、自分で見つけて口説いて裸にしてしまうほうが、あれやこれやのサービスに大金を搾り取られる恐れもなく、容易(たやす)い。

あなたの望む人生は、間違いなく「スマホ」の中にはなく、あなたご本人の「能力」によって実現するものだと思います。私はそれを実現できる人が一人でも増えるように、せめて「好きな人に自分から話しかけられる男」になれるための情報を発信していきます。

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