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子どもの視点に立って

育児は日々勉強である。もちろん、そんな堅苦しいことを毎日考えながら子どもと接しているわけではない。日々、慌ただしかったり、たまにだらだらしてみたり、平凡な日常を過ごしているだけなんだけど、それでも子どもと共に暮らす生活は、多くの気づきがあるものだ。そして、自分の未熟さを知る。

一歳の子は、まず、歩くということ自体が楽しい。歩くのは、ほとんどの大人にとってはどこかに移動するための手段だけれど、子どもにとっては、手段じゃなくて、目的なのだ。何かのために歩くのではない。ただ歩きたいから歩くのだ。

そして、虫でも草でもただの看板でもマンホールでも水溜りでも、全てが新鮮に映るようで・・・何度も何度も立ち止まり、じっと見たり触ったり、なかなか進まないけど・・・。

それを「早くしなさい」と思ってしまうのは、大人の思考なんだなって、思う。

私は育休に入って、はじめて、周りに目を向けた気がする。自然にここまで触れ合ったのも初めてだし、昼間の人々の暮らしを眺めるのも初めて。

野草ってこんなに綺麗なんだと初めて気づく。

子どもに教えようとして、その草花の名前を知らないことに初めて気づく。こんなにも知らないことが、たくさんあるんだと。

小さな子どもを持つ母親たち、おじいちゃんおばあちゃんたち。そこには穏やかな暮らし、心の豊かな暮らしが、垣間見える。仕事をしていた時はあまりわかっていなかった。みんながせかせかと生き急いでいるように見えていた。

それから、

自分の親がどんな気持ちで自分を育てたか思いを馳せたりね。過去の親を許せなかった気持ちが少しだけやわらいだりとかね。

育児を通して、視野は広くなると思う。

たくさんぐずる時もあって、お手上げになる日もあるが、子どもってほんとに尊いなと感じる。間違いなく、笑顔が増えた。まさに、幸せを運んでくれた。

まだ子どもが0歳だったころ、今よりさらに神々しく尊い存在だと思っていた。世の中に降り立って間もないから、世の中のことは何もわからない。だから怖くて泣くんだろう。天界から降りてきたばかりの神様の使いの子を預かったみたいだ。ただ生まれてきたというだけなのに、何故か、物すごく大切にしなければならないと思わせる神秘的な力を宿している。すごいことだ。

今は一歳を過ぎて、人間の生活にも慣れて、人間の言葉もわかるようになって、見た目もすっかり普通の子どものようになった。

それでも、日常のなかのふとした瞬間に、彼女の純粋さに触れると、不思議な力を今でも感じる。子どもってすごいな。

子どもの視点に立って物事を見られたら、世界が変わるだろうな。

やりたいから、やる。本当は、大人の私もそうありたい。そしたらもっとハッピーだ。

子どものやりたい!これは嫌!を、子どもの視点に立って、受け入れられたら幸せな育児ができるだろう。ああしなさい、これはダメ、を言わずにいられたら、イライラせずに済むし。

ダメなものはダメ!とか、汚れるから、時間がかかるから、意味がないから、とか大人の理屈で禁止せず、

なんでこの子はこれをやりたいのかな?

なんでこれが嫌なのかな?

を考えられたら。

そして、大人の私自身も、子どものような視点で物事を考えたら幸せなのに。〜だからダメ、じゃなくて。そういうつまらない大人にはなりたくない。


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