やらかした翌日、自己嫌悪の乗り切り方
やらかさないように生きている。
人に失礼をしないように、自分が変な人だと思われないように、人と人との関係性が壊れないように。人と会う予定があるときはそんなことで頭がいっぱいになるくらい、自分の体面を気にして生きている。
それでもたまにやらかす。正確に言うと「やらかしたかもしれない」に心が囚われて動けなくなる。
会議でのあの一言は余計だったかもしれないとか、その余計な発言のせいであの後輩はもしかしたら今泣いているかもしれないとか。
自分は楽しい飲み会だったけど、もしかしたら酔っ払いすぎていたかもしれない、もしかしたら楽しかったのは自分だけだったかもしれないとか。
その場にいた多くの人にとってその出来事はほんの一瞬、とっくに終わったことなのに、自分だけその時間から動けなくなる。
生活のあらゆる瞬間にそのときの記憶が頭をもたげるような日々が何日も何日も続く。
嫌な記憶に他の嫌な記憶がつながって、フラッシュバックの連鎖が起きる。頭の中がそのことでいっぱいになって、手が止まる。
大人になって絶望したのは、こういう自分ともキッチリ付き合っていかないといけないということだ。
「嫌なこと 忘れ方」で調べても、出てくるのは既に試したようなことばかり。特効薬なんてなくて、自分で自分をうまく騙し、甘やかして記憶が薄れるのを待つしかない。
昨日は、散歩に出かけてとにかく歩く、というのをやってみた。嫌な記憶が頭をもたげそうになったら、周囲の建物やすれ違う人を観察し、適当な物語を作って頭をいっぱいにする。脳みそはとても疲れるが、なかなか効き目があった。
今日は、とにかく常に動画を流し続けていた。内容はできるだけ、自分の日常から遠いものがいい。海外のトークセッションとか、SFアニメとか。とにかく頭を情報でいっぱいにするということだ。
記憶は、繰り返し思い出すことで定着するらしい。嫌な記憶を反芻するのは自滅行為ということだ。ならばなぜそういう風に思考が動くのかと文句を言いたくなるが、今日も手のかかる心を飼いならすように生きていくほかない。
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