落ち込んで仕方ない日は、「できたこと」を数える
ここ数ヶ月、muuteというアプリで日記を書いている。
公式では「AIジャーナリングアプリ」という紹介がされていて、入力した内容から、どんなキーワードが多いとか、今週はどんな感情の起伏があったとか、自分を見つめる示唆をくれるアプリだ。
投稿した内容は、別に誰に見られるわけでもない。
AIが週次や月次でレポートにまとめてくれるが、それも別に読まなくてもいい。
自分の感情や思考を書き留める、ジャーナリングという行為自体に気持ちが整理される感覚があり、気に入っている。
数ヶ月続けていると、自分について気付くことがある。
muute では、1つの投稿につき3つの感情をタグ付けすることができ、カレンダーでその起伏というか色合いを確認することができるのだが、わたしの場合、まあネガティブな色味の日が多い。
ネガティブなことしかない人生なのだろうか?
もちろんそんなことはないと思う。
一日を振り返る中で、自分自身が「ネガティブな出来事・感情に注目してしまっている」のである。
「できたこと」は当たり前と感じ、「できなかったこと」への後悔を綴る。
感謝や労いの感情ではなく、誰かへの不満や愚痴に文字数を使う。
そういう日記になってしまっていた。
だから、毎日日記の終わりに「今日できたこと」を書くことにした。
中でも、「自分が能動的に動いて達成したこと」や、「誰かの行いによって自分が達成できたこと」を意識的に思い出すようにしている。
そうすると、平凡な日々の連続でも、意外に「できたこと」がある。
職場の誰かの功績に、嫉妬や焦りではなく、感謝と尊敬を持って接することができたとか。自分の何気ない一言で、内気なメンバーが今日はたくさん発言してくれたとか。
できてありがたかったこと、感謝の気持ちを思い出すことは、実際精神衛生上もいいことらしい。
誰かや何かに「ありがとう」と思うことで自分の心に良い影響があるのは、何かお得な感じもする。
とはいえ、「今日できたこと」が一つも思いつかないような日もある。
今日はそんな一日だった。
だからnote を書く手が動いた。これで今日も1つ、できた。
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