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旅する日本語

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「旅する日本語」投稿キャンペーンhttps://note.mu/info/n/ndba45f9d066a に参加しています。対象になっている全ての言葉について書きました。
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記事一覧

恋草(こいぐさ)

「理由ばかり尋ねる世界で、わけなど一つもなく恋をした」という歌詞が好きだ。 時代の転換期には今までなかったことが言語化され、みんなその言葉に耳を傾ける。 だからということもないけれど、言い表せない感情はとても贅沢だ。自分が好きな気持ちは自由で、その一部は恋人とだけ共有できるのだと思う。 旅をしている時は、普段とは別の時間が流れている。自分の気に入らないところを日常に置いてきて好き勝手に振る舞うこともできる。 旅先で出会った人と恋に落ちたという話を時々聞く。 日常の中

奇偉(きい)

記録する簡単な作業より、何かを見つけることに注意深くいる方が楽しい。モネはその事柄を絵で残してくれた。 この夏に行ったモネの美術展は、魅力的に感じる絵が多かった。 モネの絵は夕日が水辺に反射している色や、木々の隙間から漏れ出ている光の色が鮮やかに見える。強調されたデフォルメに強く惹かれた。 ある色や一部分をフォーカスして描く写真の修正技術をとっくの昔に気づいて実践していたのだ。 でも本当に素晴らしいのは先進的な技法などではなく、美しい目線を景色に投影していたことだ。

差添い(さしぞい)

温泉に行った時、「あっ」という声がして振り返ったら、おばあさんが支えられていた。 どうやら、転びそうになったおばあさんを見知らぬ人が支えてくれたらしい。 付き添いの娘さんが支えた人にお礼を言った後、「ちょっと目を離すとこうなんだから。」とおばあさんに言った。 その声に不機嫌な感じはなくて、朗らかだった。 見る人が見れば、足元がおぼつかない老人から目を離すと怒るかもしれないけど、意思ある人間をずっと見張っておくのも無理がある。 支える人は一人でなくてもいいのだと思う。

幸先(さいさき)

同じ場所に日をおいて何度も旅することがある。 私が気に入っている場所は新旧入り混じる街で、いつ行っても同じものがある安心感と発見の両方があるから楽しい。 ある日その街の割烹の店で、料理人と会話した。 料理人は地元の人ではないらしく「店の入れ替わりも激しくて。」と言った。 私は能天気な自分に気づいた。商いをする側からしてみれば、競争も多く厳しい環境なのだ。 人は大抵、自分のポジションからしか物事を見れない。 「街も自分もアップデートしている感じがして気持ちが良い。」

昧爽(まいそう)

旅館に泊まると、興奮して早く起きてしまうことがある。 朝焼けをまじまじと見たのは初めてだったけれど、夕焼けとほとんど一緒だった。 違いのわからない人間だとわかってがっかりだったけど、同じに見えることに安心感を覚えた。 日が昇ることに望みを託し、日が沈むことに哀愁を感じる。毎日がそんな感じだったら気持ちのアップダウンが激しすぎて大変だ。 地球のルーティーン活動と捉えてしまった方が、むしろ楽なのではないかと思う。 始まりは希望で、終わりは絶望と考えたとしても、交互に入れ

礼遇(れいぐう)

豪華な料理とか、広い温泉とか、美しく整えられた庭園とか、非日常のものを提示することが「もてなす」ということなのだろうか。 確かに、旅館の部屋でシワのないシーツが被せてある布団に入る時はとてもも心地良い。 けれども、寒い日に柄違いの毛布や掛け布団を重ねて作られていた実家の寝床にも旅館の布団と同じものを感じた。 質素に暮らしている男が食通の男をもてなすという話がある。アワビとか伊勢海老とか高級な食材は買えないが、料理を食べてもらった後に食通を感動させる。 質素な男が出した

碧空(へきくう)

晴れ渡った空は、こちらは山です。私は空です。というように、景色をはっきり見せてくれる。 平成という元号が終わる年に、「忖度」という言葉は良い意味では使われていない。 「私は本意ではないけれど、あなたの気持ちを優先しました。」という感じで使われることが多い。 柔らかな文句なのかもしれないけれど裏を返してみれば、「あなたの気持ちを優先したわけだから、あなたのせい。」と言っているようでたちが悪い。 言葉の表面をなぞるのではなく、その奥にあるものを読み取ることは乙なものだけれ

炎節(えんせつ)

コンクリートジャングルを歩いた後に食べるかき氷は美味しい。 でも涼しい日に食べると、価値の半減どころではなく必要のないものに感じてしまう。 高級なものを美味しいと感じるには、毎日食べていたらわからないように、夏の暑さがあるから感じられる氷の美味しさというのがあるのだと思う。 ただ、季節を感じることは難しくなっている。 暑い日に食べるそうめんや、かき氷は美味しいけれど、クーラーなしでは過ごせない。冷え切った体では、涼しい美味しさを堪能することはできない。 だから旅に出

生ひ優る(おいまさる)

初めて展示を見たとき、チームラボはもっと遠くを目指しているんだろうなと思った。 2回目に出会った作品は、鏡を使って空間が拡張されていた。作品の中に入る手前のような感覚だった。 3回目、渋谷ヒカリエで行われた参加型のアートはとても楽しかった。全身で体験できるインタラクションは、光に触れたりするだけで自然と参加できた。 昼は親子で楽しめて、夜は大人のためのコンテンツに変わる。 時間でターゲットを切り替えられているから、限られたスペースでも思いっきり参加できた。 4回目に

涼飇(りょうひょう)

湖畔のレストランで食べたピザの味は覚えてないけれど、そこに漂っていた空気は覚えている。 箱根に旅行した時のピザの写真が出てきた。この写真だけ見ていると最近食べたピザと変わらないけれど、前後の写真で食べた時の感覚を思い出す。 湖畔のレストランは賑わっているけれど、圧迫感はなかった。 天井が高いことや、湖畔の風の気持ち良さとか環境的な理由はあるけれど、本当の理由は違うところにある気がしてきた。 目を凝らしてみると、食事をしている人々がとてもくつろいでいるのがわかった。

寸景(すんけい)

休みの日、東京のカフェに行った。 店内は明るすぎることはなく、とても落ち着いている。 だから窓際のカウンター席には、午後になると光が差し込んできてカップやお皿を照らす。 外を覗くと、はとバスやタクシーが見えて、運転手は今日も日常を紡いでいるのだと思った。 考えてみれば旅行で使う鉄道やバス、観光地の飲食店も誰かの日常で成り立っている。 私の旅も、名前の知らない誰かによって作られていた。 そんなことに気づいたら、知らない土地の一度きりしか会わない人にも感謝の気持ちが湧