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お気に入りの場所を危うく凄惨な場所にするところだった

一人暮らしの我が城は、閑静な住宅街にあるマンションの3階にある一室だ。やや狭いが一人暮らしには十分な広さで、日当たりがいいところが気に入っている。とりわけ、南向きの窓から出たベランダが一番大好きな場所だ。

新型コロナウイルス感染症が蔓延し、各地で緊急事態宣言がなされた5月頃、もともとインドア派な私にとって「stay home」は苦ではなかった。しかし、初夏の日差しを浴びれないのが少しもったいなくて、ベランダで過ごすという楽しみを見出した。

休日は11時頃に起き、大好きなベランダに簡易テーブルを出して、日光を浴びながらトーストを食べ、コーヒーを啜った。怠惰な生活リズムだったが、「ベランダでブランチを楽しみ、優雅に過ごしているのだ」と自らに言い聞かせ、満足していた。

しばらくして仕事が忙しくなり、休日にベランダで過ごす余裕もなくなった。正直、8月頃の記憶が所々ない。特に帰り道の記憶が飛び飛びで、終電に乗ったのか歩いたのか定かではなく、気が付いたら家の近くに来ていた。どうやら帰宅途中であるらしいと自分でも驚くことが多々あった。そして、早く寝ればいいものを、ベランダに出てぼーっと過ごすことが増えた。

8月末になると残暑とはいえ、深夜の夜風に涼しさを感じた。夜風にあたりながら周囲を見渡すと、住宅やマンションの窓はほとんど灯りが消えている。街灯だけが点々と光り、静かな夜だ。

多くの人が今日の疲れを癒し、明日に備えて寝静まる深夜に、私はやっと帰宅した。今日片づけられなかった業務を思い返し、明日の業務工程を頭の中で組んだ。退勤しても脳はフル回転し、明日も片づけ終わらないであろう業務に辟易した。

急に、「明日が来なければ明日の業務をやらなくていい」という考えが頭に浮かんだ。ベランダの少し高い塀から顔を出して、地面を見下ろした。コンタクトを外していたからなのか、いつのまにか溜まった涙のせいなのか、地面はぼやけていた。涙を拭いて目を凝らし、もう一度地面を見下ろした。片足をかけた。

でも、できなかった。3階のベランダから見下ろした地面は、なんだか近く感じた。3階からじゃ死ねない。それに飛び降りなんてしたら、周囲の住民は驚いて、子どもたちもトラウマになっちゃうだろうな。そして、こんなときにすら周囲のことを気にする自分になんともいえない笑いが込み上げた。ぼやけた視界で星空を眺めながら一頻り泣いた。

今振り返ると、相当ヤバイ精神状態だ。業務量から逃げ出したくて、自ら明日が来ないようにするなんて。でも3階に住んでいてよかった。地面との距離がなんともいえなくて苦笑いしながら感謝申し上げます。

最近は、3階だろうと何階だろうと落ちる角度によっては死ねないと考えている。しかし、たまに地面を見下ろす癖がついてしまった。それ以降、映画『最高の人生の見つけ方』にあった、「死ぬ前にスカイダイビングをする」をいつか挑戦してみたくなった。「普通なら絶対死んじゃうような高さから落ちて死ぬかと思ったけど死ねない経験」を一度すれば、一般的なビルほどの高さから見下ろすことを諦められるだろうか。

脱線してしまったが、お気に入りの場所で酷い思考を巡らせ、泣き暮れていた夜が確かにあった。休職し、以前より日が暮れるのが早くなった今では、夕方になると周囲の住宅の窓にぽつぽつと明かりが灯り始める様子を見ることができる。暖色系の明かりや蛍光色の明かり、家庭によってさまざまだ。深夜には見られなかった周囲の明かりに、心が少し落ち着いた。

明日は久しぶりに大好きなベランダで優雅な生活をしようかな。日光を浴びると気分も晴れやかになるし、「今、自分はお気に入りの場所で優雅な時間を過ごしているのだ」と楽しむことができる。

幸い、時間は腐るほど余っている。気持ちに余裕のある日は、ベランダ生活を復活させようと思う。

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