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その後も一向にお菓子熱はやまず
卵、小麦粉、白砂糖、マーガリンを基に暇があればお菓子作りをしていました。

小学校高学年になると
ご近所さんにお裾分けをしたり
お友達の誕生日には
決して豪華ではないバースデーケーキを持って行きました。

勉強はそっちのけで、料理やお菓子のレシピ本を読みあさり、暇があったらお菓子作りをしていた10代の頃。

電車通学だった高校生時代は、毎月オレンジページやレタスクラブ、分厚いnon-noのお菓子大百科を持ち歩き、電車の中でひたすら読み続けている、かなりへんてこな女子高校生でした。

そんな、私の将来の夢は
365日、毎日お菓子を作ること。

高校卒業後は両親の反対を押し切って
夢の大阪あべの辻製菓製菓学校へ。
洋菓子の基礎を学び、その後は更なる夢であったフランスへ。

フランスパリ、シャルルドゴール空港に降り立ち日本の新幹線と言われるTGVへ乗り込み、食の都リヨンへ向かいました。

いよいよ、心ときめくフランスChateau de l'Eclair 製菓学校に入学。

フランス人のMOFの先生方から、伝統的なフランス菓子や、ヌーベルパティスリーを毎日直伝していただきました。

フランス校卒業後は真っ暗な朝の4時から歩いてフランスリヨンのパティスリーへ行き

日本人ひとり、日本語が一切通じない環境の中フランス製菓用語、フランス語を必死に学びながら一生懸命働きました。

今思い出しても
あの時代にしか
あの頃の自分にしか

経験できなかったフランスでの生活、
フランスでの修行経験だったと思います。

何もかも、必死でした。

KUNKUN history3に続く

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