なぜ比例代表制であるべきなのか──アメリカを参考に

 支持政党を聞かれたときには、どの政党であっても小選挙区制で選ばれている限り正しくはなく、選挙は比例代表制でなければならないと自分は答えます。その理由を説明していきます。

■まずは二つの制度の違いを見てみます

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 全員が意見Aの議会ではもちろん意見Aが通ります。意見Aが60%の議会でも、裁決すればAが通ります。こうやって見比べるだけでは、どちらでも結局Aが多数決で勝っているわけで、違いがないようにも見えます。
 しかしそれは世の中に意見が二種類しかない場合です。現実には、世の中に意見が二種類しかないということはありえません。

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 つまり、実際は過半数もない意見が、議会では圧倒的多数を占めてしまう、という結果になります。

■この違いをどう考えるか。

 この違いをどう考えればよいでしょうか。
 ここで人間の考え方が分かれます。「30%でしかない意見が議会でなんの反対もされずに通るなどとんでもない」という考え方と、「30%が一番多い意見ならそれでいいじゃないか。それが多数決というものじゃないか」という考え方とがあるからです。
 しかし、過半数ではない意見が過半数であるかのように扱われるのには現実的な弊害があります。
 具体例を出します。これの書き手は大阪在住なのですが、少し前、大阪都構想というものをするかどうかの二度目の住民投票がありました。これは、以前に同じ住民投票をして否決されたテーマをもう一度やるというもので、そこだけ聞くと変ですし、前に否決されたのならまた否決されるのじゃないかと考えたくなります。
 では、この構想を進めた維新の会という党は、なぜ一度負けた住民投票に二度目は勝ち目があると思ったのか。それは、そのしばらく前に行なわれた選挙で、維新の会が大勝ちしたからです。これだけ民意に後押しされているのならもう一度住民投票をやれば通るだろうと考えた。しかし実際には二度目の住民投票の結果も否決でした。
 これがまさに小選挙区制の弊害です。維新の会が大勝ちしたのは小選挙区制の仕組みに後押しされた勝利であって、この党の政策は過半数の人が望まないものであったにもかかわらず、選挙結果では大勝利だったのです。
 やはり、「30%が一番多い意見ならそれでいい」と考えるのは無理があります。それは過半数の人が望んでいない政策を通してしまう危険性をはらんでいます。都構想は否決されましたが、それでめでたしというわけではなく、維新の会は都構想にかなりのお金を注ぎ込んでいてそれが無駄になりましたし、それにかけた人力や時間も他のことに使えたはずです。(なおここで、それだけリソースを注ぎ込んでしまったのならやるべきでは、と考えるのはコンコルド錯誤です。)

■小選挙区制のメリットはメリットじゃない

 小選挙区制が導入される一番の理由は、議会が政策を通すことができるようになる制度だから、という理由です。
 上に出した例で、比例代表制の結果、A3人、B2人、C2人、D2人、E1人のようになった議会があったとすると、それぞれが違うことを言い、どの派閥が政策を出しても他の派閥が全部否定に回るので、あらゆる政策が通らない、ということがありえます。これが小選挙区制だったらどこかの党が過半数を取る可能性が高く、政策がちゃんと通る、というわけです。
 しかしこれは、どんな政策が採用されるかではなく政策が通ること自体を目的としてしまっており、いわゆる「手段が目的となっている」というやつです。さらにここでは、話し合いというもの自体が否定されてしまっています。

 例えばこの状況であれば、B、C、Dが話し合って妥協点を見つけることができれば、それで6人になって政策が通ります。
 またAとBが同意見、CとDが同意見、という状況では一人しかいないEの行方が重要となり、それを引き入れるためには一人しかいないEの意見を採用してやる必要もあるでしょう。つまり比例代表制は、少数派にも意見を通す機会がある制度です。
 みんなの意見が違うから話し合って決めるというのがホモサピエンスがやるべきことであって、話し合っていては決まらないから話し合いを捨てて過半数が取れる制度にするというのは率直に言って知性を欠いています。
 そもそもひとつの政党で過半数を取ろうと考えること自体が間違いで、なぜなら人間は過半数が同じ意見を持つような生き物じゃないんじゃないでしょうか。

■小選挙区制は二大政党を生み出す制度だが、二大政党という状況がそもそも間違っている

 そしてまた小選挙区制とは、「二大政党を生み出す制度」です。
 これはどういうことかというと、小選挙区制では上でのEのような政党には根本的に勝ち目がなく、Eの支持者であっても、そこに投票するのは明らかに無駄な努力と感じてしまうようになっています。もしもその時の第一党の政策に反対したいならば、そのためにできることは勝ち目がある第二党に投票することだけです。これが続くと、第三党以下の得票数はどんどん減っていき。ついには二大政党ができ上がると、理屈ではそうなっています。
 例えばアメリカが、まさにこの二大政党の状態になっています。日本人はアメリカに憧れを持っており、アメリカみたいになりたいという気持ちが、小選挙区制の採用を後押ししているでしょう。
 しかしそもそも二大政党という状態はよい状態なのかというと、実は全然そんなことはないです。アメリカの二大政党がどうなっているかというと、完全に敵対し、ほとんど何の話し合いもなく、お互いのやることすべてに反対しています。
 確かに、小選挙区制の特徴として、アメリカでは政策は通りやすいです(とはいえアメリカにもねじれ国会の状態もあるのですが)。しかし、政権が交替すると、新たな政権は相手の政権が決めた政策を片っ端から無効化してしまいます。話し合って決めていないので、相手が一方的に通した政策だから無くそう、という発想になっています。政権交替の度に国としてそれまでやっていたことをやめてしまうわけです。
 政策は確かに通るが後からどんどん取り消される、というのでは、小選挙区制は政策が通るのがメリット、という論点そのものが成り立っていません。それに比べれば、比例代表制で話し合って合意した政策を長続きさせる方が明らかによいでしょう。

■小選挙区制では一党独裁になることもある

 小選挙区は二大政党になる、と言われていますが、そうとばかりは限りません、中くらいの支持率の政党が一つあり、二番目の大きさの政党というものがいまいちなくて、他は細々とした政党が沢山ある、という状況で小選挙区制で選挙を行なうと、中くらいの政党が圧倒的多数で大勝利、という結果が生じます。現在の日本では、自民党がその位置にあります。そしてもちろん、自民党としては小選挙区制が自分たちが勝てる制度なので、その制度を死守する、という状況になっています。
 これについては、もう少し長い目で見る必要があり、小選挙区制を続ければやがては二番目の政党が出来上がってくるはずだ、ということも言えます。しかしそもそも、二大政党という状況がよくないものであるので、これは間違った方向に進んでいるとしか言えません。

■アメリカの選挙制度はぜんぜんうまくいっていない

 もう少し、現に二大政党になっているアメリカがうまくいっていないという話をしましょう。
 二大政党と聞くと、右寄りと左寄りの政党がひとつずつ、というイメージをつい持ってしまいますが、実のところそれには何の保証もありません。
 上に書いた理屈で、選挙で第一党に対抗するためには第二党に入れるしかないわけですが、このときもし第一党も第二党も右寄りだったら、その二つが巨大化し、他の党には勝ち目がなくなります。するとどちらも右寄りの二大政党が固定されてしまいます。上位二つが左寄りで、結果左寄りの二大政党になるということもありえます。右と左ひとつずつになる可能性もあります。単に偶然で決まるわけです。
 そしてアメリカですが、完全に右寄りの二大政党です。共和党が右寄りで民主党は左寄り、みたいに思われていることが多いですが、共和党は極右で民主党が右寄りです。
 バーニー・サンダースという大統領候補がいました。この人はアメリカでは非常に珍しい社会主義者の候補となっていて、一部で強い支持を集めつつも、社会主義に拒否反応のあるアメリカでは予備選で勝てませんでした。
 しかしこのバーニー・サンダースが実際に主張していた政策をみるとビックリです。日本だったら自民党でも問題なく賛成するような内容がほとんどなのです(例えば国民皆保険とか)。それが左寄りと見なされてしまうほどに、アメリカの政界は恐ろしく右寄りなのです。
 二大政党の問題が一番わかりやすいのはキリスト教に関わる部分かもしれません。共和党は完全にキリスト教原理主義者に支持された政党ですが、実は民主党も非常にキリスト教を重視しています。
 アメリカは、諸外国が侵略戦争を行なうことには基本的に反対しますが、これに顕著な例外があります。それがイスラエル政策です。
 イスラエルという国は、パレスチナのガザ地区に武力侵攻しています。これは、ロシアがウクライナに攻め込んだことや、中国が南シナ海を実効支配しつつあることとまったく同様の振る舞いであって、通常のアメリカの外交政策の傾向ならばもちろん反対するはずの動きなのですが、イスラエルについてだけは、アメリカはその動きを支持しています。これは、聖書にその土地がユダヤ人のものであると書かれているからです。千年以上も前に書かれた何の根拠もない本を元にしてひとつの国が外交政策を決め、侵略戦争を肯定するなどというのは狂気の沙汰ですが、それが現に行なわれています。これは、キリスト教原理主義である共和党がそうというだけではなくて、民主党もイスラエルを支援する方針です。民主党も、非常に強固というわけではないだけで、キリスト教に沿った政党だからです。
 アメリカにももちろん他の宗教の信者はいますし、無神論者もいます。アメリカの、キリスト教徒ではない人にとって、選挙は悪夢でしかありません。選択肢が二つしかなく、狂気の沙汰その一と狂気の沙汰その二しかないのです……。

■選挙は、味方と敵を作るためにやるものではない

 アメリカの選挙が駄目だ、という話をしましたが、これは端的に、政党が二つだけでは人間の様々な意見を汲み取るには足りない、という実例だと思います。二つしか政党がなくどちらも右寄り、みたいな状況はリアリティがなく聞こえるかもしれませんが、決して他人事ではありません。例えば大阪では、選択肢が自民党と維新の会のどちらかしかない、という選挙がありました。これは本当に冗談じゃないという感じでした。
 またこう書くと、ああこいつは自分が左寄りだから自民と維新の二択を嫌がってるんだな、のように思われるかもしれませんが、これはそういう話ではなく、右寄りの考え方をする人でも、「私は右寄りの政策を正しいと思うが、それでも右寄りの政党しかない状態は不健康であり、多様な政党が存在するべきだ」、と考えるのが本当だと思います。
 日本には幸福実現党という党があります。まず、これを書いている自分は幸福実現党の政策には一ミリも賛成しません。また、幸福実現党は見たところ選挙では全然勝っていません。しかし投票者数を見たところ、幸福実現党に票を入れている人は一定数います。
 自分は、例えば幸福実現党に投票する人が百人に一人おり、国会議員が七百人いるならば、そのうち七人は幸福実現党の議員であるべきだと考えます。幸福実現党の政策にはまったく賛成しないにも関わらずそう考えます。
 これはもう十年以上も前の事なのですが、テレビの選挙のニュースで街頭インタビューを受けた人が「自分は建築業界なので自民党に入れます」と答えたのを見ました。
 これを書くと、建築業界に偏見がある、とか思われそうな気がするのですが、あえて怖れずに書いてしまえば、自分はそのインタビューを見たとき、だから自民党は駄目なんだよ、としみじみ思いました。
 そもそも選挙というのは、自分に金を儲けさせてくれる党に入れる、というものではないんじゃないでしょうか。そういう発想によって、利害が異なる人たちがそれぞれ自分の味方の政党に入れ、相手を敵と見なすことで社会を分断していくんじゃないでしょうか。
 最近はマイノリティという言葉が一般的になり、マイノリティの声を拾おう、などとも言われるようになりました。しかし、百人に一人が投票する政党が、議会の百分の一の議席を得ることができないならば、マイノリティを支援するという言葉など空虚です。小選挙区制は、まさしくマイノリティを圧殺する制度です。

■まとめ

 アメリカの二大政党は言ってしまえば「悪い見本」なのに、小選挙区制を採用した日本はその悪い見本を目指して進んでいます。過半数が賛成しているわけでもない政策が、圧倒的多数のような顔をして通っています。小選挙区制は、話し合いを拒絶し、社会を分断する制度です。比例代表制で、話し合いのある政治を望みます。



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僕がnoteに投稿した社会派の文章は今のところ二つだけです。もう一つはこれです。

ブラックライヴズマター運動について知ったことのまとめ
https://note.com/o_ri_i/n/n838c99d1b9fa