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文化庁から(メディア芸術祭終了についての)お返事をいただきました

先日、文化庁メディア芸術祭の終了宣言について意見書を文科省及び文化庁宛てに内容証明郵便でお送りさせていただきました。

経緯(1) #メディア芸術祭 公募展中止、理由がわからなかったので徹底的に調べてみた。(2022/8/29)

経緯(2) どうやら本気で終わるらしい - R5概算要求から読み解く #メディア芸術祭 の未来 (2022/9/1)

経緯(3) "さいごの"文化庁メディア芸術祭にいってきた #メディア芸術祭終わらないで (2022/9/24)

経緯(4) 文化庁メディア芸術祭の終了宣言についての意見まとめ (2022/10/23)

経緯(5) 「文化庁メディア芸術祭の終了宣言についての意見書」(2022/10/23)

先日、返信が届きましたので共有させていただきます。
(あまりのショックで寝込んでしまい、しばらく時間がかかってしまいました…)

せっかくなので、勇気を出して、一文字一文字噛みしめながら、文字に起こしてみました。



白井暁彦様
令和4年11月16日
文化庁 参事官(芸術文化担当)付

謹啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
 平素より弊庁事業にご関心をお寄せいただき、誠にありがとうございます。
 この度、「文化庁メディア芸術祭の終了宣言についての意見書」を文部科学省及び文化庁にお送りいただきました。白井様からの意見書は、長官の都倉を含め関係者において拝読しておりますが、命により当事業の担当係よりご連絡申し上げます。

 文化庁メディア芸術祭について、事業の意義をご評価いただきましたこと、誠にありがとうございます。また、本芸術祭について、白井様の貴重なお時間を割いて意見書をお送りいただきましたことにも、御礼申し上げます。
 白井様よりいただきましたご要望についての、弊庁の考えは以下の通りです。

 文化庁メディア芸術祭の今後については、25年間の成果や実績を生かし、人材育成やアーカイブ等の取組を進めるとともに、我が国メディア芸術のグローバルな評価を高めていくことに資する、新たな国際的な採点に向けた準備を進める等、我が国メディア芸術のさらなる振興を図ってまいります。
 なお、令和5年2月に「文化庁メディア芸術祭25周年企画展」を開催し、これまでのメディア芸術祭の25周年の歴史を振り返ることとしています。

 弊庁では、メディア芸術分野における振興施策として、これまでにも文化庁メディア芸術祭以外にも、若手クリエイターの創作活動を支援する人材育成事業や、メディア芸術作品や資料のアーカイブ化や利活用等を推進する事業等を実施しております。引き続きこれらの事業を実施するなかで、アーティストや鑑賞者等の交流や対話の機会創出に努めてまいります。

 文化庁メディア芸術祭の成果等に関しましては、多くの皆様からご意見を頂戴したところです。弊庁といたしましては、白井様からいただいたご意見も含め、いただいた様々なご意見を踏まえ、今後のメディア芸術の振興施策の検討を図ってまいりたいと考えております。

 今後とも、文化庁事業へのご支援・ご協力賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

謹白


ああ……
理由がどこにも、書かれていない!!
メディア芸術祭をやめる正当な理由や経緯、意思がどこにも書かれていない……!
そして相変わらず「新たな振興」の中身が書かれていない!!

25周年企画展については既に知っています。まるで「通達」で、非常に一方的で、理解がなく、通り一遍な返信であり、コミュニケーションする気がない。

正直「がっかりだ…」「もう関わりたくない」「こんな日本に生まれて残念を通り越して恥ずかしい…」という気持ちで数日ふさぎ込んでいましたが、他にも同様の内容(本当にほぼ同じ文面)が届いた方がいらっしゃいましたので、『ああ…やっぱり…とりあえずアンケートに答えたりしてご協力いただいた方々もいらっしゃるからまずはブログにまとめておくか…」という気持ちで筆を執っています。

冷静に読み直してみると、怒りにも似た感情が湧き起こってきます。

そもそも「我が国メディア芸術」って何ですか?おそらく「我が国のメディア芸術」なのでしょうけど。私の手紙の中で2回も間違えている。他の人の手紙の中でも間違えている。文化庁長官や文科大臣はこんな文面で大丈夫だと思ったの?そもそもなんの印も押されていないただの怪文書じゃないですかこれ。

日本語で日本人をガッカリさせてどうするんだよ文化庁。
(英語でも日本語でもいいけど)国際的に価値を高めるというのであれば、
せめて「来年からメディア芸術作品の募集もフェスティバルもしません」というこの状況を明確に説明できるロジカルな説明を各言語で発信してください。

国民の税金を使って、まともなキュレーションプロセスも承認プロセスとらずに、日本語も正しくなく、ロジックも、説明責任も認識していない、カルトのような集団になっていませんか?メディア芸術祭をそんな力でやらないのであれば、新しい事業だって、やる必要がないのではないでしょうか?

そもそも何をやるかも、まだ何も明かされていません。
2月の25周年企画展で、明かされるのでしょうか。
平民は黙ってお上が選んだ我が国メディア芸術のグローバルな評価を高めていくことに資する活動に手を叩いて喜んでいればいい、そういうことでしょうか。

……なんというか、こういうのよくないと思うんです。
協力応援している側なのに、文化事業へのヘイトが溜まるじゃないですか。
ここ数週間のうちに海外で起きている「作品にスープや小麦粉をぶっかけにいく環境保護活動家の方々」をみて、『作品には何の罪もないじゃないか』という憤りを感じていた私ですが、この国の文化庁を名乗る団体は、自分たちの都合で特に理由も説明もなく、その作品を共有する場所にエンドロールもなしに終了宣言をぶっかけておいて、そのあと自分たちの芸術をあたかもそこにあったかのように展開しようとしている。

この文化は破壊されても何も文句は言えないのでは?
少なくとも無視、軽蔑、嘲笑の対象にまで毀損されている。
文化庁も、メディア芸術祭も、応援してきた人々も。
唯一評価できる点があるとすれば、25周年企画展をやるということ。

でも、そこに「参加してください」とも「来てください」とも書かれていないですからね…。

寺田倉庫で以下の日程で開催されるそうです。

文化庁メディア芸術祭25周年企画展
会期:令和5年2月4日(土)~2月14日(火) ※2月7日(火)休館
時間:日~木 11:00~19:00、金・土 11:00~20:00
会場:寺田倉庫B&C HALL/E HALL(東京都品川区東品川2-1-3)
入場料:無料

がっかりです。
がっかりです。
がっかりです。

なんだかとてもがっかり過ぎて 「チコちゃんに叱られる!」がエンターテインメント部門の大賞をとったときの講評を引用したくなった。


昭和を終わらせられなかった平成の終わりを象徴する大賞

『チコちゃんに叱られる!』の大賞授賞を避けられなかったことは、かえすがえすも残念でならない。もちろん、例年の大賞ラインナップの水準に鑑みた場合、時代を象徴する話題性やポピュラリティの面で、本作が優秀賞の『TikTok』とならんで双璧をなしていたことは間違いない。片や、着ぐるみの挙動をトラッキングしてキャラクターの表情をCGでマッチムーブするという先端的な映像技術を駆使しながら、手練れのテレビマンたちがお茶の間向けにつくり込んだ「最も成功したVTuber」コンテンツとして。片や、スマホの利用環境に最適化したショート動画コミュニティの巧みな設計によって素人の発信ハードルをさらに下げ、大人たちが思いもよらないティーンズ文化の流行圏域を出現させた特異なコミュニケーション・プラットフォームとして。見事すぎるほどに対照的な性格を背負った両作のどちらを大賞に推すかで、最終審査会は大いに紛糾した。筆者の信念としては、文化庁メディア芸術祭が未来に向けたあゆみに価値を置くならば、大賞は当然後者であるべきだった。だが、中国産のアプリを日本向けにローカライズしたにすぎない後者に対して、前者の方が応募主体の創意がわかりやすい「作品」だし、授賞によるクリエイター支援の意義が明確だという審査意見の大勢を覆すことはできなかった。そのこと自体はメディア芸術祭の制度特性上、もっともな結論であると呑み込むほかなかった。『TikTok』ムーブメントを積極的に推せるだけの説得ロジックまでは、さすがに自らは当事者ではなかった身の見識不足で見つけ出せなかったためである(こちとらも所詮、四十路も半ばのオッサンなので......)。しかしながら、それでも昭和末期のフジテレビ的な民放バラエティセンスを今更NHKに持ち込み、ベテラン芸人の加齢臭しかしないゲストいじりトークを、幼児キャラクターのガワの力で「ちょっと耳年増な5歳の子の稚気」として誤魔化すこの番組の基本設定は、どうにも醜悪に過ぎよう。そのフォーマットに載せて繰り出される「大人なら知っていて当然の素朴な疑問」への回答トリビアの数々を「諸説あります」などと逃げを打ちながら断定調で叩きつけるあたりの身振りも小狡い。それぞれ一歩間違えれば、バラエティ発のいじめ助長の空気形成だったり、偏った学説演出による情報番組系のデマ拡散だったり、平成年間に何度となく問題になったテレビエンターテインメントの悪癖と同根の構造を抱えた代物だ。もっとも裏を返せば、そうした民放バラエティ型の失敗に学び、NHKの制作環境とテクノロジカルなキャラクター演出の媒介で(今のところは)ギリギリ回避しているのが『チコちゃんに叱られる!』の巧さとも言える。だから上で述べたdisは、すべてそのまま贈賞理由に転ずる。そう得心してしまっているがゆえに、あれ以上は審査会で頑張れなかった自分が、とても悔しい。ただ思うのは、そのような昭和期の旧体制の延命のみにしか新しい技術を有効に使えないネオテニージャパンの限界を、『チコちゃんに叱られる!』はこの上なく象徴していたということ。冷戦後の政治経済の明白な失敗に頬被りしながら、自分だけは無垢な幼児に退行したフリをして安易に捏造した「正解」に自閉しつつ、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」などとすべての日本国民を罵れるメディア人の、なんと多いことか。そんな平成日本の転落の最大限アイロニカルな自画像という意味の大賞であることは、くれぐれも強調しておきたい。ひとつ希望を見出すなら、奇しくも日本での平成初年にあたる世界にゲームの力で介入して想像的にリニューアルするインディーVR作品『PixelRipped1989』を新人賞にできたのは大収穫だった。願わくば、次の時代からこそは、避けられない衰退の現実を直視して有効なテクノロジー運用で処する、本当の文化成熟と更新の始まらんことを。
第22回 エンターテインメント部門 講評 昭和を終わらせられなかった平成の終わりを象徴する大賞(中川 大地:評論家/編集者)

中川先生は正しいことを言っているよ、言葉遊びみたいに見えるけどさ……チコちゃんが悪いんじゃない…そうだよ、その下の「PixelRipped1989」は素敵な作品だよ…世界には最優秀賞をとらないけれど素敵な作品がたくさんあるんだよ…その出会いの場だったんだよ…。

https://archive.j-mediaarts.jp/festival/2019/entertainment/works/Pixel_Ripped_1989/

そういえば、先日放映されたNHK「ゲームゲノム 孤独と生命 〜ワンダと巨像/人喰いの大鷲トリコ〜」の冒頭でも「文化庁メディア芸術祭で受賞し」って紹介されていた…。こういう歴史も批評もコンテキストも全部ぶち壊しにしてるんだよ…この破壊活動は……!

どこかの担当者や審査員が「終わらそうと思った」で終わるもんじゃないんだよ、文化や芸術、産業や人々の感受性のゲノムなんだよ……どうしてそれがわからないのか……担当している部門なのにだよ……絶対何かおかしい…

(私見と今後のお気持ち)
文化庁から毒のある返信を頂いただけで1週間近く寝込んでしまうところだったのですが、これはあれですね、パワハラとか宗教とかの組織的なスポイル独特の匂いがします。

私は救ってあげられない。
国会議員の方々、ぜひ救ってあげて…。

2022/11/27
草原真知子先生の美術手帖への寄稿が公開されました。

文化庁メディア芸術祭終了の問題点と今後への提案:草原真知子
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/26359

少しでも多くの方に読んでいただきたい

文化庁側の理由は相変わらずどこにも示されていないし
Webにも残っていないメディアアート展は世界中にある
世界のどこでもできない場が作れていた、大変だったけれど。

その苦労が闇歴史にされる

草原真知子先生の記事
非常に長いけれど濃縮された記事です
「機密性保持」などの制約がある中で、大変な思いで書かれたことと想像します

議論の中では「国がやる必要はない」「他の国ではやっていない」という理由が再三示された。私は1990年代にアメリカやカナダやヨーロッパ各地でメディア・アートの公的サポートの状況について現地調査したことがあり、多くのフェスティバルに企画側としても参加してきてもいるが、国と地方自治体の関係や予算規模、メディア・アートセンターへの公的サポートのあり方は国によって違う。ドイツ、オーストリア、ポーランドなどでメディア・アートセンターが国際的なフェスティバルを開催できるのは年月をかけて基盤が整備されているからであって、それを突然日本で実現するのには無理があるだろう。アメリカでは隣国カナダと違って公的支援が乏しく民間活力に任されているため、美術館のキュレーターは収支を重視する理事会の下で苦戦を強いられ、メディア・アートの展示機会は少ない。作品発表の場は主にヨーロッパだが、せっかく先端技術を使いこなせる若手が実験的な作品ではなくギャラリーで売れそうな作品の制作に転向してしまう、とつい最近も友人がこぼしていた。SIGGRAPH(編集部注:アメリカコンピューター学会のコンピューターグラフィックを扱う分科会とその会議/展覧会)に出せばいい、という人もいるようだが、SIGGRAPHは学会なので渡航費も作品の海外輸送も高額な参加費もすべて個人負担で、誰もが応募できる場ではない。メディア・アートとメディア論の国際会議であるISEAやMAH(Media Art History)にも作品展はあるが規模は小さく、学会への参加はやはり経費面の負担が大きい。
美術手帳より


そうです
欧州の公的資金によるフェスティバル「Laval Virrual」にも15年関わってきましたが、Webにすら残っていないのです。

「海外では国がこんなフェスティバルをやっていない」という意見は、挫ける側の甘い誘惑で、大変なことだけれども、きちんと続けてきたことなので、時の文化庁内の権力者のよって破壊されることがないか、目を向けていく必要があります。

しかしここから先は個人のクリエイターだけでは難しい
まずは国会議員に伝えてみました。

https://twitter.com/o_ob/status/1596762834293075969?s=46&t=ur97ulvIbOeraLSGGc1Njg

☆本件へのコメントがあるようでしたらこちらのFacebookコミュニティまでお寄せください。
https://www.facebook.com/groups/1777130165965781/posts/1834705103541620/

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