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【最新作云々㊾】恋愛しないのかそれとも恋愛できないのか...どっちでもOKだろ!! 周囲からの善意の押し付けにめげず自分なりの幸せ探しの映画『そばかす』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 遅ればせながらお正月といえば『春の海』、『春の海』といえば伊東四朗さんの「つん、つくつくつくつん。つん、つくつくつくつん。ひやーひんひらひらりー、べんべらべんべらべんべらべんべらべん」をやりたくなっちゃう、O次郎です。

ご本人はもとより、とんねるずのタカさんがお正月番組で掴みとして
やったりしてたからYouTubeに転がってるかと思いきや無し…。
まぁ、そもそもギャグが生まれてから優に半世紀ほど経ってるもんねぇ。

 今回は最新の邦画『そばかすです。
 一昨年前に『ドライブ・マイ・カー』で一気に注目された傍ら、歌手としても高く評価されている三浦透子さん演じる他人に対して恋愛感情を抱かない女性が自分なりの幸せを追い求める、劇作家出身の若手監督玉田真也さんのヒューマンドラマ作品。

※ちなみに本作の主題歌も主演の三浦さんが担当。
RADWIMPS野田さんに見出されたそうですがなるほどというか、"女優さんが唄ってる"というクセの無い突き抜けた素直さというか。

 いわゆるマイノリティーの人々を主軸に据えた物語ではあるのですが、画一的な社会的到達目標へと誘導される息苦しさや、己の内容に在る度し難い感情を他人の尺度で決めつけられてしまう悔しさは誰にでも身に覚えのあるところであり、展開に派手さは無いもののいわば個々人の感情の細やかな機微にじっくりフォーカスしたまるで一眼レフカメラの如き繊細な作風です。
 年末年始休みの飲み食いで優しい味付けが恋しくなっている方々、何気ない言動で傷付き傷付けられてしまった苦々しい記憶のある方々、是非とも呼んでいっていただければ之幸いでございます。毎度ながらバッチリネタバレしておりますので予めその点はご了承くださいませ。
 それでは・・・・・・・・・・・・"なっちゃん"!!

※検索して知りましたが三浦さん、20年前の子役時代に"二代目なっちゃん"としてなっちゃんのCMにでてらしたそうで。
面影は有るっちゃあるというか、6歳→26歳だと普通はわからんか。
そして八嶋智人さんと吉村由美さんが今もこの頃とお変わりないのがさすがの一言。
個人的にはなっちゃんといえば田中麗奈さんのイメージが強過ぎるというか、もっと言うと同系統のジュースの中では"Qoo"の方が好みだったというか…。(´・ω・`)



Ⅰ. 作品概要

 音大を出たものの音楽家になる夢を諦めて実家へ戻って早や数年、特にこれといった目標を見出せず気ままに働く女性が30歳になったことを機に今まで以上に親族から結婚を迫られる。時に家族とぶつかり合いながらも級友たちの言葉や生き方に励まされつつ、自分なりの幸せの形を模索していく物語。
 基本的に性悪な人間は登場せず、ショッキングなシーンや俗に言う胸糞展開もありません(一見して優しい物語かと思いきや…という引っ掛けでもないのでご安心を)ので、それだけに観客は普段の生活の中での主人公と周囲の人々との何気ないやりとりが起こす小さな波風に目と耳を澄ませることになります。
 マイノリティーの人々への配慮が高らかに叫ばれる昨今ですが、本作を観るにそもそも"配慮"というあからさまな行為然とした行為が却って異物視を助長し、結果として相手にプレッシャーを与えてしまっている矛盾をつとに感じもします。
 マイノリティーと呼ばれる方々の権利を制度として保証するのがお役所であるなら、そうした人々を殊更にマイノリティーとして特別視せず全き隣人として接するのが一個人のあるべき姿かと思いますし、それがマイノリティー同士でしかなかなか成り立っていない社会の現在地を淡々としかし確かに示しているのが本作の強烈といえば強烈なところでしょうか。

本作の主人公の人間性を体現する三浦透子さんのフラットなビジュアル。
この"他人に対して恋愛感情を抱かない"という主人公のキャラクターが
もし主人公の同級生を演じる前田敦子さんのそれであれば
その異性好きする容貌(あまり快い表現ではないですが…)からして嫌味に映ったやもしれません。
それを思うと、マイノリティーの方はビジュアルに関しても"それらしく"していなければ
いけないのかといろいろと考えさせられます。


Ⅱ. 主人公そばかすの、よかった探しならぬ幸せ探しの日々

愛少女ポリアンナ物語』はリアルタイム時
一歳になるかならないかぐらいだったものの微かに記憶が…?
どれだけ苦しい状況でも父親の遺言の「よかった探し」をするポリアンナは
今なら社畜気質の最たるものとして反面教師にされるのだろうか・・・。(´;ω;`)
そんなこんなで脱線はここまで。

 冒頭は主人公の佳純(タイトルの「そばかす」が顔のシミのあれとは思いつつも、蘇畑佳純(そばかすみ)とのダブルミーニングになっているのはエンドロールでようやく気付いた始末…)が参加している2×2のありふれた合コン飲み会の一幕。
 互いの"異性を感じるしぐさ"というベタ中のベタな話題で盛り上がっている中で一人だけノリに乗れず黙々と料理を食べる主人公の図。
 相方がお手洗いに席に立ったところでそれではと振られた話題が「休日何してる?」というテンプレならば、社交辞令のつもりで軽く趣味の映画のトリビアルな話をしていたところでエンジンが掛かってしまって若干引かれたところで相方が戻ってきて事なきを得るというのもどこまでもテンプレ。

それにしてもあからさまなノリの軽薄さは翻ってのそれに与せない主人公の異物感ゆえとはいえ、
その後に一応は相手男性の内の一人とデートした相方同僚女性もどうやら消化試合だったようで、
兎にも角にも合コン文化の形骸化の甚だしさよ・・・まぁ飲食店側からしたらそれあっての商売。
というわけできちんと酒と料理を味わってた主人公が一番スマート。(・∀・)

 そしてまさしくこの合コンシーンでも言及してますが、作中何度も主人公が言及してる映画『宇宙戦争』でのトム・クルーズが走るシーン。

 曰く、「他の作品でのトムは如何にもカッコ良く走ってるけど、あの作品でのトムは恥も外聞も無くただ逃げるために一心不乱に走ってるから好き」とのこと。
 見栄えや世間体を重要視することを何より嫌っている主人公の純粋さ潔癖さ、嫌な言い方をすれば子どもっぽさが端的に顕れているようです。

 で、本人にその気が全く無いのに何ゆえの合コンかというとそれはもう偏にパラサイトシングル(この言葉ももうとんと聞かなくなりましたが…)状態への免罪符、つまりは「結婚する気有りますよ」のポーズ。
 大方の家庭の如く、主人公へ結婚を勧めているのは彼女の母親菜摘(演:坂井真紀さん)でありながら、その親心のほどはなかなかの紆余曲折。
 というのも、もちろん世間体ゆえに30を過ぎた娘を早く嫁に出したい気も有りながら、実は主人公が幼少期よりチェロを始めたのも音大を出たのも元はといえば両親とも音楽家出身ゆえ。そして菜摘が音楽を辞めたのは主人公佳純を身籠ったゆえであり、そこからして主人公の母は「自分が挫折した夢を娘に押し付けてしまったのではないか?」「その娘も音楽家の目標を失ってしまっているので、別の生き甲斐を持ってもらわなくては。」という娘の人生設計への責任を感じての意味合いの方が大きいようです。

それも確かに"親の愛ゆえに"ではあるのですが、
娘である主人公の側からすればチェロも音大も、そして挫折も
最終的には自分の選択の結果なのに、その全てを親の責任として感じられては
いつまでも自分の人生を支配されているようで反撥を感じない筈が有りません。

 しかしあくまで自分の人生は自分の人生。"他人に対して恋愛感情を抱かない"という自らの個性は別にしても、目標を見つけあぐねている自分に対して取って付けたように次なる人生のベンチマークとして"主婦"を提示し、それを拒否する自分を"大人になれない子ども"としてまことしやかに断罪するのはやはりたまったものではないでしょう。
 
 それでもやはり、「イヤなら明日家を出てって!!」と無理難題に等しい暴言には抗しがたく、主人公は母親にセッティングされたお見合いに参加することになります。

親同士はなんとかしていい雰囲気を作ろうと必死なものの、
当人同士は心の準備も何も無くぎこちなさ此処に極まれり…といったところ。
個人的には『釣りバカ日誌4』のお見合いシーンなんかを思い出しますが・・・。

 "親同士だけが乗り気で当人同士は上の空"というお見合いの構図自体は今も昔も変わらずながら、本作で浮き彫りにされるのは当人同士の上の空の心の内訳
 "あとは若い者同士で"的な二人の時間になって「結婚なんて全く考えられない。親に無理やりセッティングされたというのが正直なところです。」という相手男性の木暮(演:伊島空さん)の言葉に対し、「私も同じです。」とホッとして返す佳純。
 友達付き合いということでお互いの休日にツーリングでラーメン屋巡りをして楽しみますが、木暮は"自然の流れ"として佳純に異性としての好意を持ってしまいます。
 そこで佳純は誠意を以て自分が他人に恋愛感情を持てないことを説明しますが、木暮はただ「僕を好きになれないならそう言ってくれ…」と返すのみ。そのまま二人は疎遠になってしまいました。
 佳純が恋愛感情を持てない性質なのが悪くないのと同様、木暮が彼女を異性として好きになったことも何ら責められるようなことではないのですが、彼が彼女の性質を理解出来ずに"自分を男として見られない方便として嘘を吐いている"と自分のフィルターにかけて解釈してしまったことは佳純を否応無く傷付けてしまいます。
 人間、誰しも自分が理解出来ない事物や相手を不安視して無意識に無理やりにでも自分の理解の範疇外に当て嵌めてしまうものですが、その相手にとってはそれだけで既に暴力にも等しいということでしょう。
 
 そして一方で、そうした周囲の誤解に苦しんだことのある人だからこそ似て非なる経験をしたことのある人に対して寄り添えるものでもあり、ひょんなことから再会した小学校時代の同級生の八代(演:前原滉さん)からは「お前なら話してもいいと思ったから」と自身がゲイであることを告白されつつ、彼に紹介された保育園での仕事で何の衒いも無く同僚及び友人の関係を続けています。

 その後、一見ささやかでありながらその実、大きな転機となったのが佳純の中学生時代の同級生である世永(演:前田敦子さん)との再会です。
 彼女が親身になって佳純の内心の気持ちに向き合ってくれたことで、主人公はおそらく人生で初めて自分の内心の気持ちを表に表し、またそれによって世間の感覚と自分のそれとの隔たりのほどを真正面から受け止める切っ掛けと覚悟を得たのだと思います。
 その端的な表れが、勤める保育園で披露するデジタル紙芝居での『シンデレラ』です。
 "王子様に見初められて妃となる"ことがさも全会一致の女性にとっての幸福だ、という原作の結論に大胆に異を唱える改変でしたが、時間を掛けてオリジナルの絵を描きつつ世永にナレーションも務めてもらって造り上げた意欲作だったのですが、興味津々の子どもたちと反対にザワつく授業参観に訪れた親御さん方との反応に居た堪れなくなって自らプロジェクターの電源を落としてしまった主人公の姿はこの上なく切ないものでした。
 その後に主人公が勤めている保育園も選挙区となっている議員先生から「多様性を教えるのも大事ですが、そういうことは子どもたちが常識を身に着けてからの話で云々」と滾々とお説教を受けてしまいますが、まさにその万人が快く生きるための"常識"によって少数者が少数者であることを強制的に自覚して自省を求められるというところがなんとも政治だと思ってしまいました。
 世永は世永で飄々としていながらも、セクシー女優として活動していた過去からして世間から突きつけられるレッテルから逃れられない日々に在り、二人は共依存というほど脆くはなく、されど戦友と言えるほど強固ではない自然体の関係を築きます。

そして佳純からの提案で二人で部屋を借りて住むことを一旦は決めますが、
世永は迷った末に以前交際していた男性との結婚を決意し、
迷うことなくそれを佳純に知らせて彼女もそれを祝福したのでした。

 しかしながらそうした主人公の人間的な歩みを傍からは成長として認められないのが最も近しい家族の面々。
 産婦人科医と結婚していて現在妊娠中の佳純の妹睦美(演:伊藤万理華さん)は「お姉ちゃんホントはレズビアンなんでしょ?! 意中の相手が結婚しちゃって祝福なんかしてないんでしょ?!」と、夫の自分への愛のほどが不安で不安で仕方が無い自分の焦燥を、そうした感情とは離れたところにいる姉を認められず自分と同じ次元で括りつけようとして大喧嘩になってしまいます。

火が付いた妹はその場で食卓を囲んでいる夫に浮気の証拠を叩き付けてさらに怒りの自家中毒…。
その彼の愛情の矛先を冷静に分析する主人公になおのこと妹が腹を立ててしまいました。

 そしてすったもんだがありながらも、家族となによりも佳純を温かく見守る父純一(演:三宅弘城さん)の包容力溢れる雰囲気が素晴らしいこと。
 彼こそが主人公のチェロの師であり、言うとは無しに主人公の迷いも煩悶も受け止めてくれた人生の師でもあったわけですが、主人公がいつかもう一度演奏する気になった時にと彼が手入れをしてくれていたチェロを手にして主人公が決意を伝えます。「真帆ちゃん(世永)の結婚式の友人スピーチでチェロを弾く。それでチェロは終わりにする」と。

家族を含めた世人が納得してくれるであろう人生の落としどころとしての
"家庭"を未来として見据えられない主人公にとり、チェロに象徴される"夢"は
その最後の砦でもあったはずで、それを手放すことは言い換えれば
「"家庭"でも"夢"でもない自分だけの幸せを探し求めて見つけ出す」
という覚悟の表れだったのではないでしょうか。

 その決意を胸に秘めた親友の結婚式での主人公の演奏と笑顔は掛け値無しにステキなものであり、ラストは序盤からの伏線となっていた"宇宙戦争版トム=クルーズ走り"で物語を締めてくれました。

その後、迷い迷った末に文字通りの"彼女だけの幸せ"を見つけたのでもいいし、
あるいは一周廻って誰もが理解するところの"家庭"や"夢"に帰着したとしても
それはそれでいいのだと思います。大事なのは自分自身にとことんまで問いかけて
納得した答えを出すことを世間と家族が容認する社会であること、ということで。



Ⅲ. おしまいに

 というわけで今回は最新の邦画『そばかす』について語りました。
 本作はマイノリティーを主軸に据えた、ということに於いてはまさしく今時の作品なのだと思います。
 しかしながらそうした性質を持った人は今に限らずいつの時代にも居た筈であり、昔の時代に在ってそうした内奥の自分を秘して"常識"の人生の落としどころを受け容れた人々の並々ならぬ決意はそれはそれで至極立派なものだと思いますが、同時に時代は逆行できないものであるのもまた然りであって、それによって他人を傷つけない限りは"自分だけの幸せの形"は尊重されるべきであり、それを大前提とした社会・市民であらねばならないんだろうと感じました。
 ・・・・・・なんだか公民の授業の復習みたいになってきたので今回はこのへんにて。(*´罒`*)
 それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。



 

※俄かに話題になってる『超電磁マシーン ボルテスV』のフィリピンでのTVドラマ実写化。
オリジナルのアニメシリーズが全40話だったところがこっちは倍の全80話になるとのことで、終盤の敵側クーデターや善悪逆転の経緯を丁寧に描いてくれればと思うけど、まぁ大胆なオリジナル展開になるならそれはそれで。
ともあれ、本国放送からあんまり期間を空けずに日本でもサブスクなりで見せて欲しいもんで。(=^・ω・^=)

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