【名作迷作ザックザク㊳】のどかな海辺の田舎街での小さな幸せ探し... 息子は己の出自に、母は己の気持ちに向き合う母子愛映画『かあちゃん結婚しろよ』(1962)
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
つい先日、夜半に近所をランニングしてて家に戻ろうと最寄りの公園を通ったらドラマの撮影現場に遭遇した、O次郎です。
今回は1962年の邦画『かあちゃん結婚しろよ』についての感想です。
CSの日本映画専門チャンネルの"蔵出し名画座"枠の一月の放映作品が本作でした。
佐渡を望む漁村で小さな飲食店を営む女性と中学生の男の子の親子。二人の顔見知りの気風の良い漁師が彼女に求婚したことで親子ともども新しい生活に思いを馳せますが、そこに別れたボンクラ亭主が現れたことで事態は暗転…。
自らの出生の経緯と父親の人となりを知るべく息子は意を決して上京し、母は息子の心中を図りかねて自らの再婚の是非に苦悩します。
母子家庭でお互いに支え合い、どこか遠慮し合いながら睦まじく暮らしてきた二人が自分の人生を見つけ出す母子の愛情物語。
いかにもな露悪的なキャラクターの登場しない古き良きヒューマンドラマ…読んでいっていただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・豪雪地帯の雪かき!!
Ⅰ. 作品概要
※Wikiのページが存在しないため、こちらをご参照ください。
(あらすじ抜粋)
川本みつよ(演:新珠三千代さん)は中学一年の息子一郎(演:謝春国さん)と、佐渡を遠望する出雲崎の漁村に一杯呑み屋「のんき」を開いている。みつよは一郎に父は死んだと言っているが、実は昔、東京の料理屋に女中奉公している時、草履問屋の若旦那佐久間詮造と結婚したが、詮造の道楽に苦しめられ故郷の出雲崎へ帰って来たのだった。そのみつよは素朴な漁師の大坪武(演:田村高廣さん)に少々ひかれていた。ある台風のくる日、武は風雨の中でみつよに出会い、求婚をした。みつよは心で武を受け入れながらも一郎のことを考えると即答はできなかった。みつよは一郎の学校の教師下瀬先生(演:津川雅彦さん)に相談した。先生から母と武の結婚話を聞かされた一郎は大喜びで、自分から母に勧めるのだった。ある夜、別れた夫詮造(演:伴淳三郎さん)が突然現われ復縁を迫り、みつよの家を売却しようとした。
一郎は「早く手に職をつけて母さんに楽をさせたい」と中学卒業後には漁師になることを希望し、母みつよもそれを応援している仲睦まじい親子。
のどかな田舎町ゆえに周囲の助けはあるとはいえ女手一つで息子を育てた気概は中々のものであり、そのシングルマザーの苦労からして息子に高学歴・エリートの道を強要しそうなものですが彼自身の思うままの人生を歩ませようとしている姿はなんとも立派です。
そして来るべき台風への備えで頼りがいのあるところを見せた近所の漁師の武の思いがけない求婚にまんざらでもない感じのみつよ。
以前から相思相愛だったわけでも武がとりたてて裕福なわけでもないのに再婚に乗り気なのには早計な気もしますが、当時の社会通念からすると状況的に再婚を考えない方がどうかしているぐらいの気分だったのかと察します。
また、中学生という多感な時期の一郎に気兼ねするものの何の衒いも無く母の再婚に賛同する彼の大人びた態度に拍子抜けするのですが、ある種、その反動がその後の物語を引っ張っていくことになるわけで。
一郎の快い賛成を得たことで自宅にて近隣の人々を招いてのみつよと武のささやかな祝言を挙げることになりますが、それに先立って突然みつよをはるばる訪ねてきたのが東京に住む元亭主の詮造。
とどのつまり恥も外聞も無く他人をあてにして生きるクズ男なのですが、演じる伴淳三郎さんのコメディアンオーラによってどこか憎み切れない不思議な愛嬌があります。
あまりにもダメダメな男なので一時なりとも彼と夫婦関係にあったことを恥に思ってか、みつよは"父親は元漁師で、お前が小さい時に亡くなったんだよ"と一郎に言って聞かせていたため、義理の父を迎える目前に突然姿を現した実父の存在にどうしようもなく興味を惹かれてしまいます。
一郎の担任の下瀬先生と腕っぷしの強い体育の先生のお陰でなんとか詮造を追い返し、無事にみつよは武と再婚したものの、武はすぐさま北海道へ遠洋漁業に出かけて再び母子二人の生活に。
しばらく経って北海道の武から稼いだ金の送金が来ますが、なんと一郎はその金を持ち出して母に内緒で一人で詮造の暮らす東京を目指します。
新しい連れ合いの女性とともにチンドン屋でその日暮らしをする詮造はあちこちでツケ払いの滞納をする体たらくを一郎に晒しますが、一郎は怒るでも失望するでもなく黙って実父の生活をその目に焼き付けます。
言うなれば"腐っても実の父"というか、過去に散々な目に遭わされて蛇蝎の如く彼を嫌っているみつよと比べるとまるで菩薩のような寛大さですが、継父を迎えるにあたって実父への思慕の情を断ち切るための儀式であり、同時に自分の進路を決めるうえでの社会勉強のようなものであったのかもしれません。
詮造と連れ合いの亀子との間の子で、一郎の異母妹にあたる鶴子と仲良くなり、仕事で家を空ける詮造たちを尻目に遂には出雲崎まで鶴子を連れてくる一郎。これから会うことがなくなるであろう自分に代わり、ボンクラな詮造を見捨てず仲睦まじく暮らしてほしい肉親の慕情もあったでしょうが、一方で一郎なりにやがてみつよと武の間に生まれる自分の異父兄弟との付き合い方をシミュレートしていたのかもしれません。
そしてみつよはみつよで、あれだけダメ人間の詮造に肩入れする息子の真意がつかめない不安のうえに、武の乗っている船の遭難の報を受けて大いに狼狽します。
最終的に武の船の難破は誤報であり、彼が帰って来たことでみつよはハッキリと一郎に再婚したい旨を、一郎はみつよにあらためて漁師になりたい旨をお互いに自分の心に正直に告げ合って大団円。
本当に信頼し合っている仲であれば、たとえ相手を傷付ける可能性が有るにしても自分の気持ちを正直に伝えることが大事、ということかもしれません。
Ⅱ. おわりに
というわけで今回は1962年の邦画『かあちゃん結婚しろよ』について書きました。
人情映画でならした大家の五所平之助監督の手腕により、言ってしまえば最初から最後まで奇抜な展開は無いものの手堅い演出でクド過ぎず薄味になり過ぎもしない絶妙な塩梅の母子ものに仕上がっておりました。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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