見出し画像

【名作迷作ザックザク⑦】人造マンドラゴラに一人また一人と食われていく地獄絵図のめぞん一刻... カルトホラーファンタジー映画『オテサーネク 妄想の子供』のおはなし

 結論から言おう‼・・・・・・こんにちは。(*´罒`*)
 中学二年生の頃、当時の小渕政権の政策だった”地域振興券”は配布されて早々に親に換金してもらったので現物を見なかった、O次郎です。

たしか2万円分だったかな?
換金後はおそらくプレステやサターンのソフト買うのに使ったんだろう。

 今回はチェコ・イギリス合作のダークファンタジー映画『オテサーネク 妄想の子供』(2000)の話をいたします。
 ”知る人ぞ知るカルト作”ということで昨年円盤が発売されてから気にはなっていたのですが結局ポチらないまま幾星霜、そんなついこないだにU-NEXTで配信開始されていたので観てみました。
 ホラー作品としてはオーソドックスな筋なのですが、画面随所に監督のフェティシズムが溢れており、加えてストップモーション・アニメーションによるクリーチャーが他には無い醜悪さと不快感を醸し出しています。
 ホラー作品好きな方はもとより、特撮が好きな方にも興味を持っていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・「平成」!!

倒れられた際の騒動ぶりは覚えてますが…まだ62歳だったのか。
最近優子さんなかなかメディアで見なくなったなぁ。


Ⅰ. 作品概要

 とにもかくにも、主人公の不妊に悩む女性(夫が主人公ではないらしい)の"息子"である食人木オティークへの執着とヒステリーが全編通して不快指数MAXで視聴者を暗澹たる気分にさせる。例えるなら、『ヘレディタリー/継承』(2018)でのトニー・コレットの絶叫が万遍無く全編にまぶされてる感じ、とでも言おうか。

”ヒステリック・ブルー”

 ストップモーション・アニメーションで表現されたオティークが周囲のあらゆる有機物を喰い散らかしてグロテスクに成長していくビジュアルには相当の手間とお金が掛かっていることが推察されるが、反面、登場人物は最小限なうえにロケーションはほぼ古びたアパートだけで完結しており、”己の拘りたいところに重点的に力を入れて、それ以外は添え物”という、職人というよりも専ら芸術家気質の監督の作品ということがよく表れている。

Ⅱ. 監督について

 自己検閲を厳しく避けているということでいわゆる”過剰さ”がウリなのかと思いきやそうでもなく、例えば”食事”をおぞましく忌避すべきものとして描いているかと思えば、”性”に関しては件のストップモーション・アニメーションも駆使しつつ繰り返し観客にイメージを刷り込んでいる。
 また、登場人物たちが皆それぞれの形で自己中心的で、美男美女は居らず、気難しくふてぶてしい表情をしている人たちばかりなので、それがそのまま監督の人間観、厭世観を表しているようで、自身が若い頃に体現した政治による芸術弾圧への抗議と警鐘を作品によって世に体現し続けている、ということなのかもしれない。

大腸検査の前日に食べる流動食みたい。
これを日々の食卓のシーンに出すか・・・。
そういえば同じ2000年公開の押井守監督の『Avalon』、
本作と同じように目玉焼きをやたら汚い食べ方するシーンが有ったのを漠然と思い出しました。
チェコのお隣のポーランドで撮影されたようですが
関係無いよね。


Ⅲ. おぞましき登場人物たち

・ボジェナ・ホラーク(妻)

もしこの時点で真っ先に”オティーク”が母親を食べていたら、
それに気付いた父親が”オティーク”を殺して解決、となっていたかも…。
そう考えると自分の庇護者と餌との区別を付ける狡猾さはこの時点で既に。

 ”オティーク”の母親にしてすべての元凶。
 不妊によるノイローゼで単なる切り株に過ぎなかった”オティーク”をわが子として溺愛して執着するまではまだ人の体を保っていたが、”オティーク”が急激に成長して遂に人まで喰ってしまったことすら擁護して、夫に証拠隠滅と延命を求めて絶叫する姿はまさに彼女自身もモンスター
 終盤、夫に続けて遂に自身も”オティーク”のエサになってしまうのだが、なぜか一番大事なはずの彼女と”オティーク”の今生のお別れのシーンは無し。他の登場人物に関しても捕食されるシーンそのものは避けられていたものの、この肩透かし感というか逆張りは如何なものか。
 ”我が子を守るために障害となる如何なる他人・倫理・躊躇は必要無い”という純然たる母の愛を体現しており、まるで楳図かずお先生の『漂流教室』に登場する主人公の母親のような狂おしい愛情である。

未来でペストに罹患した息子を救うため、
ストレプトマイシンを入手してから試合中の野球場に乗り込む。( *゚∀゚)


・カレル・ホラーク(夫)

わたしバカよね~ おバカさんよね~

 終始ヒステリックに”オティーク”ファーストを叫ぶ妻に振り回されて事件の隠ぺいに走り回る可哀そうな夫。彼自身、無精子症ということで妻に対する申し訳無さから彼女の常軌を逸したわがままにただただ従う様は哀れを通り越して喜劇的ですらある。
 最終的に外部の人間のみならずアパート住民も捕食する”オティーク”の姿に、もはや警察にも隠し通せないと隣家からチェーンソーを借りて戦いに挑むまでは良かったが、自分の倍ほどの全長に成長した”オティーク”に「息子よ」と情を見せて敢え無く・・・。
 作中、唯一の良識人だったため、彼が死んだ時点でまともな解決は望むべくも無し。


・オティーク("息子")

鳴き声は人間の赤ん坊のものなので、合わせ技で最高に気持ち悪す。

 周囲のあらゆる生物を喰い散らかすかと思いきや、自分をかくまってくれる者に対しては情けを掛けるニクいヤツ。
 もともとが切り株なのに喰って成長する中で歯やら目やらが形成されていくビジュアルはおぞましい限りながら、それがストップモーション・アニメーションで表現されてる点が最高にユニーク。特撮およびスラッシャー映画フリークからすれば”捕食”シーンも是非とも画として見せて欲しかったところだが、それをやると作品全体の幻想的な”寓話”ムードが雲散霧消してしまうので痛し痒しか。
 ともあれ、「ストップモーション・アニメーションのホラー」ということで、もしあの”タルピー”が人を喰ったら?と想像すると如何におぞましい画になるかよくお分かりいただけるだろう。

NHK教育の思い出深い番組の一つ。
一回5分ながらクレイアニメーションだったので労力は相当だったのでは。


・アルジュビェトカ(隣室の夫妻の娘)

物語冒頭で両親に”姉弟が欲しい”と言っていたのが伏線になっていたようです。

 ホラーク夫妻亡き後にこっそり”オティーク”の世話を引き継いだ隣室の少女。
 "オティーク"の天敵である鍬を管理人から盗んで隠したり、疎ましく思っていた同じアパート住まいの幼児性愛者の老男性を”エサ”に選んだりと、己の欲求を満たすためには他人の犠牲を顧みない純然たるサイコパスぶりで、ハッキリ言って”オティーク”以上のモンスター
 最終的に”オティーク”は退治されたことが暗示されるが、その後も彼女の支配欲と好奇心のために別の形で犠牲者が出続けるのではないだろうか・・・・・・悪い種子』の少女ローダのごとく。

原作小説が書かれたのは1954年だそうですが、その時点で
「成育環境ではなく遺伝に因るもの」とハッキリ指摘しているのが実に秀逸。


Ⅳ. まとめ

 最終的に人造マンドラゴラ”オティーク”はアパートの管理人である老婦人の手で、民話同様に鍬で葬られたことが暗示されてそれを直接的に描写することなく幕を閉じます。

”管理人兼処刑人”

 この作品での女性たちは、上記のボジェナとアルジュビェトカに加え、論室の夫人も含めて皆一様に自己中心的かつヒステリックです。
 管理人の老女もまさしくそうで、彼女も序盤から”オティーク”の実在を怪しんで警察に相談したりしていますが、それも終盤の退治劇もすべては自分の管理するアパートの平穏のため。
 上述の幼児性愛者の老男性は階段でアルジュビェトカのパンツを覗き見てナニするし、狭いアパートの中でお互いに気遣っているフリをしながら実際は自分のエゴをぶちまけ合っている。まさに作り手側の社会観がそのまま投影されているようで、それに国の民話を被せているところがなおさら露悪的で、風刺じみています。

老人がナニするシーンまでもストップモーション・アニメーション!!


Ⅴ. おわりに

 というわけで今回は『オテサーネク 妄想の子供』について書いてみました。
 第二次大戦後も政治的に社会主義・全体主義・商業主義の波状の荒波に揉まれたチェコですが、作り手側が抱える鬱屈と憤激が作品全体の暗いムードとして強く反映されていて、政治映画としても見えてくるぐらいでした。
 ただ一方でお洒落に腐す感覚も感じられ、外殻はホラー作品ながらどこか『グレムリン』のようなコメディーチックなテイストも残しているところがまた印象をユニークにしているところかと思います。
 よろしければ今作のように一風変わったホラーやユニークな特撮のある作品お教え頂ければ幸いです。お気軽にコメントくださいませ。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。


"禍威獣"・・・なんつって。


 


もしももしもよろしければサポートをどうぞよしなに。いただいたサポートは日々の映画感想文執筆のための鑑賞費に活用させていただきます。