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【名作迷作ザックザク㊱】とある山岳部と学者が語る夢幻の体験談... 山奥の秘境に生きる部落民と彼らが崇める獣人のユートピアは俗世との好奇心の相克ゆえに瓦解する...封印特撮映画『獣人雪男』(1955)
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
もうオジさんなのに先週末に映画観に行った際のランチで"ご飯お代わり無料"に心湧き立ち手を出して、一緒に行った友人とともに満腹でその後30分ほどお互いに会話不能だった、O次郎です。
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未だにワクワクしちゃう始末・・・とどのつまり貧乏性なのよね。(・ω・)
今回は邦画の『獣人雪男』(1955)です。
あのレジェンド作品である初代『ゴジラ』、そして『透明人間』『ゴジラの逆襲』に続く、戦後の東宝特撮第4作ということでネームバリューは十分なものの「表現上の諸問題」を理由にソフト化されず特撮関連書籍からもその存在を抹消されている問題作…。
僕自身も作品の噂はかねがね聞きつつもソフト化もCS再放送もされていないということで長年歯噛みしておりましたが、つい先日、名画座の特集上映にて遂に鑑賞出来ましたのでその内容の感想をばを思った次第で。
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今回初めて行きましたが地下が小劇場、1・2Fが映画館、3・4Fがレストランという面白い造り。
チケットのWEB予約が出来ないので朝の内に一旦チケット買いに寄りつつ
そのあと用事のある新宿まで歩いたんですが、道中の高円寺で大学生の頃によく出入りしてた
超オンボロなライブハウスが未だ現役で営業してたのを偶然発見してあまりの懐かしさに目頭が…(´;δ;`)
件の獣人雪男のサイズがせいぜい2,3mぐらいなので怪獣映画としてはスケールの面で不適格ではありますが、一方でビジュアル的に被りそうな『キングコング』とは明確に差別化された画作りとなっており、さらには"生存者が後に証言者として事件の顛末を語る"という構図は後の『マタンゴ』にも通づるようなプロットながらも相手がいわゆるUMAゆえに民俗学的な雰囲気も漂い、数ある東宝特撮映画の中でも怪獣映画でもなく変身人間ものでもない異彩を放っている作品でした。
既に鑑賞済みの方には感想の一本として、未見で特にいわゆる"封印作品"にご興味のある方々は読んでいっていただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・・・"エンパイア・ステート・ビルヂング"!!
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『キング・コング』(1933)と『キング・コング』(2005)がエンパイア~で、
『キング・コング』(1976)が世界貿易センタービルということなので
どっちも正解、ってことでお跡がよろしいようで…。( *¯ ꒳¯*)
幼少期にテレビで観たのはカラーだったはずなので僕もファーストコンタクトは76年版なハズ。
「キングコング!キングコング!・・・・」ってバックコーラスが入るテーマ曲はどれだったか…
Ⅰ. 作品概要
"大学の山岳部が雪山での猛吹雪の末に部員二人がそれぞれ死亡・失踪という悲運に見舞われ、その背景に未知の生物の存在を察知し、学者も交えてその調査に乗り出す"という筋立て。
前半は人知れず死を撒き散らす雪男の姿を求めて未開の山中を彷徨うミステリー展開ですが、そこに粗野な動物ブローカー一味や山村部落の住民との攻防も絡めたアクションスリラーにシフトしていきます。
特に拝金主義の亡者の如き動物ブローカー達のキャラクターは、後の『マタンゴ』での悪徳政治家や『モスラ対ゴジラ』での興業社社長にも見られるような如何にもな俗物なので短絡的な感は否めませんが、絶滅の危機にある獣人が種の保存の本能に衝き動かされて事件が動き出す件や、頑なに文明社会との交流を拒んできた未開部族がその抑えがたい好奇心のために崩壊していく様は独特の見応えが有ります。
そして肝心要の獣人のデザインもなかなかのもの。サイズが人間より一回り大きいぐらいのために絶対的に力の開きのある怪獣とは違う哀愁も帯びており、人間の姦計に嵌りつつも逆襲に転じるシーンはカタルシスも然ることながら合成処理もかなり頑張って行われており、特撮としての見どころもきちんと確保されています。
東宝プロデューサーの田中友幸氏は、後に本作品について"苦労の多さに見合わない中途半端な作品になった"と述べられているそうですが、とりわけロマンス描写についてはもっと膨らませられそうなところが些か尻切れトンボな感が確かに有り、されど現実と地続きの有りうべき怪異のスケールに極限して描いた物語は当時の東宝特撮の幅の一端を担った感があり、本作が半封印の状態に在ることでそのチャレンジ精神の結晶の一つが正当に評価されていないのは勿体無いのは確かでしょう。
特撮作品の封印作品の中にも"噂に違わぬ秀作"もあれば"話題性で盛られ過ぎていて作品としては平凡"というものも有りますが、本作は"秀作寄り"だと個人的には思います。
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後の円谷特撮の『怪奇大作戦』の一編としても通じる部分があるかも。
Ⅱ. 個人的ヒャッハー!!な点
・互いの同化を企図する獣人と、あくまで異化を前提とする人間との相克のドラマ
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なまじサイズが近しいだけにキングコングよりも"種の保存"という
生存本能の切迫感と説得力が有ります。
そもそもからして雪男側に人間への敵愾心は希薄であり、定期的に供物を供する山村部落民とは長年お互いの縄張りを荒らさぬよう共存関係を結んでおり、吹雪の中を攫われた部員や道子は外敵排除や捕食のためではなく孤独を紛らわすために連れられており、余所者を嫌う部落の人々によって断崖に吊るされた主人公飯島(演:宝田明さん)は偶然現れた雪男に救出されもしています。
それに対して人間側は獣人を見世物として家畜化したい動物ブローカーはもとより、飯島たちも特に当初は相手を部員の仇ないしは学究対象としか見做しておらず、異種族間交流はさて置き未知の生態への畏怖の念が際立っています。
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人間の手で人為的に生み出されたフランケンシュタインとですら
友好関係を築き得なかったのですから、自然発生的な稀種となればなおさら、というわけで。
姿形の違う人間に対して不器用ながらも彼なりの誠意を示して接した獣人に対し、自らの身の危険の可能性を大義名分に武器を手にして対話の姿勢を持ち得なかった主人公たちの姿がなんとも不憫です。
彼らに比べて明らかに文明程度の低い山村部落の人々は互いに言葉は通じずとも獣人たちと少なくとも共存を続けられていただけに、文明の皮肉も感じさせる結末でもあります。
・人間とほぼ互角の獣人の憤怒を体現する合成特撮の妙味
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彼をブローカーたちの銃弾で亡き者とされた怒りと悲しみから来る大暴れは
『大魔神』での神罰の如き形而上的因果ではなく、あくまで子を奪われた親の情、ということ。
ブローカーたちの乗るトラックに積まれた檻の軛から抜け出し、仇敵への逆襲に転じる終盤のシーンはまさに当時の特撮の真骨頂。
崖から谷底へと落ちて炎上するトラックを捉えるミニチュアに、ブローカーの親分を悠々と抱え上げてこれまた谷底へ放り落すシーンの合成の複雑さ!
直線的に切り取った画面を重ねて範囲を最小限に収めるのが主流の時期にかなり大胆で複雑な合成を行っており、後の『キングコング対ゴジラ』(1962)での暴れるコングの足元を逃げ惑う群衆のオプチカル合成の原型を観たような気がしました。
中盤は主人公とブローカーたちの追いつ追われつの抗争劇なのでそこだけならさながらギャング映画のようでもありますが、クライマックスの見せ場に予算と手間を集中投入した傾斜配分の末かと思います。
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見方によってはモノクロの方が合成が合成感控え目かも?
Ⅲ. 個人的ムムムッ!!だった点
・獣人"雪男"なのに物語の大半が夏に展開されちゃう
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確かに最終的には全身見たいんだけど、それまでは
吹雪や雪崩でぼんやりとしか見えずの"煽り"展開を期待したわけで。
本作の個人的な不満点を挙げるとすればほぼコレでしょう。
冒頭は雪深い山中で身動きが取れなくなる恐怖や、やっとこさ辿り着いた吹雪の中の山荘に突如現れる部落の娘チカ(演:根岸明美さん)のミステリアスさや、行方不明の部員が暖を取ったと思しき山小屋周辺の雪道の獣人の足跡など、ロケーションが効果的に底知れぬ恐怖を演出しています。
しかしながらそこから一気に時間が半年後の翌夏に移行し、それ以後はそのまま夏の風景の中で物語が展開します。たしかに捜索活動やもしもの遺体発見という前提を考えれば夏場が最適なのですが、たとえば夏場は獣人とのファーストコンタクトに留めておいて自分を助けてくれたチカに再会したい一心で周囲の制止を振り切って再びの冬場に飯島が部落を目指すなりすれば雪の情景もロマンスもより掘り下げられたのに…と口惜しい気もします。
雪中だと撮影の手間も相当ハードルが上がる面は有ったのでしょうが、人間とサイズがそう変わらない獣人ゆえに雪で隠すチラリズムは最大限生かしてほしかった、というのが正直なところで。
・未開部族の滅びの過程の描写不足
これも勿体無い点で、チカがブローカーたちに追いつめられて崖下に落ちた飯島を介抱して興味を抱くまではいいものの、そこから村の掟か外社会の文明と異性への興味かチカが悩む姿や、その若者の探求心が綻びとなってそれがやがて村の瓦解に繋がっていく皮肉ながらも必然の展開の描写がやや性急過ぎました。
直接的には山村部落は獣人の八つ当たりの如き襲撃によって火の手が上がりますが、それもまたある種の人間不信の結果であり、外部からの闖入者に対して好意的であろうと敵対的であろうと永遠のガラパゴス社会は保ち得ないでしょう。
そのあたりをもう少し象徴的にでも掘り下げようがあったかと思うと、やはり勿体無い気はしました。
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という形で闖入者たちの無遠慮な好奇心の責任を引き受けますが、
獣人と二人姿を消す形もアリだったかも。
まぁ、そうなるとなおのこと「表現上の諸問題」とされそうですが…。
Ⅳ. おしまいに
というわけで今回は東宝特撮の半封印映画『獣人雪男』(1955)について語りました。
巨大生物でも異形の人間でもない人の亜種、という特異な題材を用いつつも独自の特撮の見どころを盛り込みつつ、滅びゆくマイノリティーの悲哀も描いたなかなかの意欲作でした。
しかしながらも上述の通り、異文化交流の相克と相互理解の難しさが中途半端になり、特に後半はチカを演じる根岸明美さんの妖艶なおみ足という即物的な見せ場の確保に走ってしまったのは拙速に感じつつも、一方でなるほどこの時期の娯楽映画ならでは、とも感じてしまいました。他の部落住民がかなり薄汚れた身なりだったり人によっては片腕欠損があったりするのに対して彼女だけが不釣り合いに身ぎれいなのもなんともかんともで。
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という展開には『マクロスゼロ』を思い出したりもしましたが。
あれも当時よく言われた通り、ちょっと尻切れトンボな感は有ったなぁ。
手軽に家では視聴できないものの、人気作だけに各地の名画座でちょくちょく上映の機会は有るので、気になった方はアンテナを張っておいていただけるとよろしいかと思います。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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上のデザインからどうしてもこの飛行ゴジラを思い出しちゃうのは
わたしだけでしょうか・・・・・・。(゜Д゜)
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