見出し画像

【名作迷作ザックザク㊴】実母と乳母と継母と... 三人の母への気持ちに戸惑うセンチメンタルI・餓男映画『次郎物語』(1955)

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 "バレンタイン"といえば『バレンタイン・キッス』、『バレンタイン・キッス』といえば国生さゆりさん、国生さゆりさんといえばMana様と結構似てる、と思ってるO次郎です。

大学生の頃にV系バンド好きな友人たちに話を振ったものの誰一人共感してくれず…。
目元や鼻筋のあたりなんかかなり似てるように思うんですが。世代的にも近いハズだし。
ライブでリアルなお姿を拝見した時にもやっぱりそう感じたワケで。

 今回は1955年の邦画『次郎物語(1955)についての感想です。
 CSの日本映画専門チャンネル"蔵出し名画座"枠の今月の放映作品が本作でした。
 昭和初期の文豪下村湖人による教育小説が原作で、映画化だけでも1941年1955年1960年・1987年の都合四回も制作されている名編。
 今回放映された1955年版は、昭和初期の旧家の次男坊を主人公に、三人の母との出会いと別れを通して少年期の成長と卒業を切り取ったジュブナイル的人情譚。
 既に"母子もの"という物語ジャンルが共感を得られず、少なくとも同時代的作品としては絶えて久しいわけですが、特に自分の世代としては少年期に毎年放映されていたアニメの世界名作劇場が懐かしく、今観ると一周廻って新しいとともに今世の作品には無いドラマツルギーが感じられてなかなかに意義深い作品でした。
 格式の有る名家に生まれながらも冷遇されてお家の事情に翻弄されながら己の人生を己の足で歩み出す少年の足跡…読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・みどりのマキバオー!!

コレも母子もの的要素が有ったな。
つの丸先生の作品だと前作の『モンモンモン』の方により夢中になってました。
Wikiで調べてて思い出しましたが、アニメとしては『NINKU -忍空-』か。
たしか実家の関西地方では土曜夜6時半~7時の時間帯で、当時これを観てから
他局の『まんが日本昔ばなし』を観つつ晩御飯、みたいな流れだったような。
察するに第一話のサブタイトルの「生まれてオドロいた!」は、同じスタジオぴえろ制作の
幽☆遊☆白書』の「死んだらオドロいた!」のパロディーなんでしょうか。


Ⅰ. 作品概要


(あらすじ抜粋)
 
士族・本田家の次男として生まれた次郎(演:大沢幸浩市毛勝之さん)は、幼少時から尋常小学校の校番の妻であるお浜(演:望月優子さん)の元に里子に出されていた。「孟母三遷の教え」をまねた、母親・お民(演:花井蘭子さん)の教育的配慮からである。そして次郎は母よりもお浜に懐き、実家を敬遠するようになる。
 いやいやながら戻された次郎にとって、格式ばった実家は居心地の悪い場所であった。祖母・おこと(演:
賀原夏子さん)は次郎を露骨に差別待遇し、兄の恭一(演:友山幸雄渡辺四郎さん)や弟(演:池原章三渡辺五男さん)ばかり可愛がる。次郎の側でも当てつけに喧嘩やいたずらを繰り返し、お民から説教を浴びせられるのだった。それでも、父親の俊亮(演:竜崎一郎さん)、祖父の恭亮、さらにお民の実家である正木家の人々に見守られながら成長していく。
 おことの差別待遇は改まらず、次郎は正木家に引き取られる。やがて恭亮が死に、お民は
結核に侵され、俊亮も連帯保証人になった相手が破産したため次郎はお民の介護をする事となる。献身的な介護を続けるうち親子のわだかまりは解け、次郎とお民は肉親としての思慕を募らせる。

 本作は幼年期から少年期のみ、ということで昭和初期の時代的に未だ戦争へと突入していく軍国主義的な気分は感じられず、封建的なお家制度に翻弄される次男坊の少年的苦悩を描きつつ、その精神的成長を朗らかに謳っています。
 冒頭は里子に出された先での暮らしぶりからスタート。名家の子息ながらもそうしたしがらみから解き放たれた庶民の家でのびのびと育てられた幼年期の出自からして階級意識には乏しく、幼馴染みの女の子とも分け隔てなく駆け回る姿…。

そこへすぐに降って湧いたように実家への帰参要請が。
次郎自身もお高くとまった他所様意識のある実家は近寄り辛いうえ、
乳母のお浜にとっても実子と同じかそれ以上に次郎は愛おしく、
彼を手放すのはそれこそ断腸の思いなのでした。

 そうして新しく始まった実家での生活は次郎にとって居心地の悪いことこの上なし。
 祖父の恭亮が身体が弱っていることもあって祖母のおことが絶対的権力を握っており、まだ子どもとはいえ庶民感覚で自由気ままに振る舞う次郎が彼女にとっては明確に"異物"に見え気に入りません。
 ある時は些細な言葉遣いであったりまたある時は礼儀作法であったり、家の格式を保つ大義名分の下に次郎を家族や使用人たちの目前で殊更に叱責冷遇しますが、対する次郎も相応のプライドは持ち合わせているのでおいそれとは従わず、食前に「いただきます」が言えなかった際には祖母から言えるまで食事抜きを言い渡され、反発の勢いそのままに家を飛び出します。
 そのことで実母お民は教育不行届をおことから窘められ、それがゆえに元々は次郎の複雑な身中に同情の念もありつつも態度を硬化させてしまうのですが、そうした周囲の人々の事情を顧みての妥協はなかなか出来ない次郎です。

"お家の対面がすべて"ということで恐怖政治を敷きながらも
ある意味非常に単純で解り易い祖母はまるで『おれは鉄平』に於ける上杉妙のようでもあり。
ただ、本作は三人の"母"との関係性の構築を足掛かりに次郎が己の立場と折り合いを見つけていく
成長譚であって、権力や既存の価値観への反逆の物語ではないため、
そうした意味での穏当さが戦中の1941年でも映画化を実現させ、戦後に於いても教育的素材として
重宝された由縁かもしれません。

 折あってかつての里子先へお使いに行った際にも、帰った後に「お浜にあってたんでしょ!正直におっしゃい!!」とお民に詰め寄られるもお浜の立場を慮って固く口を閉ざし、そのことでお民が次郎とお浜の尋常でない絆を感じ取って気を揉む始末・・・。

めったなことでは本田家へ現れないようお浜へ釘をさすお民ですが、
会うなと言われれば互いへの思慕の情が却って濃くなるのが道理というもの。

 しかしながら祖父の死や父が連帯保証人としての債務を抱えて家の事情が急変していく中で次郎にも一家の人間としての役割の意識が芽生えます。
 兼ねてからの結核の病状が思わしくない実母お民のほぼつきっきりの看病を買って出るのでした。

祖父が倒れる前の一幕。
鑑みるに本作では祖父や父は主人公の葛藤を受け容れ成長を待ってくれる存在であり、
反対に祖母や母は猶予無しに大人になることを迫る存在として一貫しています

家父長制の常からすると真逆のように感じますが、
そここそが本作の最大のユニークネスかもしれません。

 いよいよもって容態が芳しくないお民の姿に、親戚の子どもたちも見舞いに訪れます。時代背景があるとはいえ、結核ということで"あまり近付き過ぎないように"と大人たちが事前に子どもたちに耳打ちする様がなんともかんとも。
 名家に嫁いだ妻として格式から無縁ではいられないお民でしたが、余命いくばくも無い病の床に在って一人の母として次郎に接し、また次郎も生涯初めて実母とつきっきりで甲斐甲斐しく世話をすることでこれまでの蟠りを解消していきます。
 常に気丈な次郎でしたが、お民の臨終に際してはただただ泣き濡れるのでした。もしかすると、それまでは子どもながらに親しくなればお別れが辛くなる、という想いがあったのかもしれません。
 
 そうして時間は一気に進んで数年後、商売で忙しい父は三人の息子の世話のために後妻のお芳を迎えています。あからさまな世話婦需要というのはどうかと思いますが、まぁそこは時代が時代ということで。
 成長した次郎ですが、乳母のお浜と幼少期を過ごしたからこそ、亡き実母お民と短いながらも濃密な時間を過ごしたからこそ、お芳をおいそれとは"お母さん"と呼べません。

その件について父に相談すると、「お前が"母さん"と呼びたくないのならそれでも構わん。
呼びたくなったら呼べばいい」と。
父親なりにかつての実母との相克とは明確に異なる煩悶を感じ取っているようです。

 しかしながら林間学校の折、お芳が秘かにお土産購入用のお小遣いを持たせていてくれたこと。それも一人だけなかなか彼女に馴染めない自分にも兄や弟と応分の金額を持たせてくれたことが分かって、帰宅時に「お母さん!!」と元気に呼びかけます。

単に小遣いをくれたから、というのではなく、
何かきっかけが必要だったのでしょう。
普段毎日顔を突き合わせているとなかなか踏ん切りがつかないもので。

 何とも呆気ないエンディングにも見えますが、これからも一歩一歩着実に成長していくであろう拡がりを感じさせる幕切れでもあります。


Ⅱ. おわりに

 というわけで今回は1955年の邦画『次郎物語』について書きました。
 何度も映像化されているようなので、見比べればそれぞれの製作時代で伝えたいメッセージの差なり演出の違いなり感じられるかと思いますが、ソフト化状況はなかなか厳しいようで。
 ともあれ、原作小説は未完のままに終わったということですが、幼少期よりお家の事情に振り回されてきた次郎が大人になるに際し、戦乱の中でより閉塞状況が強まったとしても来たるべき世代にはまたぞろお家の論理で縛るようなことはなかったと信じたいもので。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。





来月の蔵出し名画座枠は『見事な娘』(1956)
観た後にまたいずれ。(´・ω・`)(´・ω・`)






この記事が参加している募集

映画感想文

もしももしもよろしければサポートをどうぞよしなに。いただいたサポートは日々の映画感想文執筆のための鑑賞費に活用させていただきます。