2024年3月28日 僕の友達のみなさんごめんなさい。皆さんとの思い出はどれも大切で、最高で、何にも代えられない、キラッキラに輝いている宝物です!

 最近は、春のセンバツが盛り上がっている。かいつまんで観戦するという、なんとも選手に失礼な方法で、試合を見ているのだが、どの試合もドラマがあり、見ていてアツくなることが多い。


 少し前になってしまうが、高校サッカーの選手権決勝をスマホで観戦した。もともとサッカーをしていたこともあり、この期間はワクワクしながら、テレビやスマホの前、時間が合えば会場へと足が向く。今年の決勝も熱かった。青森山田VS近江。プレー云々のことは正直かっらきしなのだが、両校の熱さは画面越しでも伝わる試合だった。

 選手権の中継では、しばしば両校の応援席の情報が伝えられる。インタビュアーの質問に「~な気持ちで応援しています!」とキラキラな目で答えている。応援団はサッカー部以外の生徒ももちろんいるが、全体の音頭取りは試合のメンバーには惜しくも選出されなかった選手たちが行っている。
 どんな気持ちで、どんな経験で、どんな挫折を味わい、どんな立ち上がりを経て、カメラの前で、はきはきと真っすぐにこちらを見て話しているのだろう、試合を見ているのだろう、そんなことをよく考えてしまう。

 負けることの許されないノックアウトステージ。試合中、両校の選手たちの目には、これまでの「何か」が宿っているように見えた。一番上だけを目指して、脇目も振らずに、ただ目一杯、打ち込み続けたのだろう。

 試合は青森山田が勝った。日本一だ。泣きながら喜びを爆発させる選手、鍛えた体を躍らせながら喜ぶ選手、泣き崩れる近江の選手を労う選手、いろいろな選手がいた。近江は日本一まであと一歩だった。膝に手を当て下を向く選手、天を仰ぎ顔を覆う選手、勝者の青森山田の選手に労われながら泣き崩れる選手、いろいろな、いろいろな選手がいた。


 「目に見えるもの」は、その瞬間だけでなく、それ以前の経験や気持ち、考えなど、その人のいろんなものがぐちゃぐちゃに混ざって脳みそへと叩き込まれるものだと思う。

見ている景色は人によって全然違う。
そらそうだろう。自分でもわかっている。

あの人は今、どんな景色を見ているのだろう。
どんな思い出と共に見ているのだろう。

すごく気になるときがある。

 それはもう、憧れというか、嫉妬というか、なんとも言いにくい、伝えにくい気持ちになる。
 あの場に立てた人、あの場に立てなかった人、あの場を側で見てた、立てるはずだった人、負けた人。みんなみんな、今の自分とは違うもの見ている。
 想像できそうで、想像できない、不思議な感覚。

 もちろん同じように、向こう側の人達も、今こっちが見ている景色なんか分かるわけもない。だって、こっちには、こっちだけにしかないものを経験してきた上で、見ている景色なんだから。そう胸を張れる。張れる、はずだった。

 誰かに自慢できるほど、今、見ている景色が輝いている気がしない。誰にでも見れる景色を見ている気しかしない。(それはそれで、素晴らしいことなんだけど、)


 ちょっと落ち込むけど、でも、学校を背負って戦っていた人たちは素直に尊敬できるし、かっこいい。今の自分を見ているものに引け目を感じたって、今じゃない、いつか、いつか必ず、って思い続けていたい。足掻いて、もがいていたい。


 明日の午後は、雨が上がって、晴れそうです。
 溜まった洗濯物を干さなくちゃ。


♬Creepy Nuts パッと咲いて散って灰に
(興味ある方、ぜひ)

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