グッドバイ、「故郷」。

まえがき

僕の出身は大阪で、大学入学とともに上京し現在は東京に住んでいる。
すっかり大阪弁も影を潜め、また「大阪に帰るつもりはない」と公言している僕だが、そう言うと決まって次のような質問が返ってくる。

「どうして故郷に帰りたくないの?」

この問いに対する現時点での自分なりの答えを記したい。
あらかじめ断っておくが、快く思わない人も多いだろう。そうかもしれないと不安を抱く方々はこの辺りで閉じることをお勧めしたい。

僕なりの答えと今考えていること

この問いに対する答えは端的に言えば以下のものである。
「故郷に帰ると抑圧を感じるから」

抑圧とは何か。僕の言う抑圧とは「自分の意志を通したいにもかかわらず、それを抑え込もうとする言動、行動等」である。

故郷で過ごした小学校〜高校時代はかなり抑圧を感じてきた。僕は元々自分から行動を起こし、いろいろな人々を巻き込んで多様なことを実践していきたいという性質を持っていると考えている。だが、「下手なリーダーシップで舵取りをしようとするのは出しゃばり」「別にそんなことする必要ないのに」と周囲の人々から言われ続けてきた。本人たちがどれくらい本気で言っていたのかはわからないが、彼らの思惑に関係なく僕にとっては相当な心的ストレスだった。

その時に、「はいそうですか、では無難にやっていきます」と言っていれば社会に「適合的」であったのかもしれない。だが、元来の頑固な気質とハングリー精神がそれを許さなかった。「社会不適合」だったからこそ東京に出ようと思えたのだと思う。

故郷に帰ると未だにそうした言動が蘇ってくるし、現に帰ると家族から色々言われることもある。心底不快である。「心配しているから」だとか「あなたのために言っている」とパターナリスティックな介入を正当化しようとされるとさらに気分が滅入る。(そして度々この手法は用いられる)
そもそも、子供を説得して行動変容を促すことができるのはだいたい15歳くらいまでであり、それ以後はよほどの強制力がない限り行動変容を促すのは難しいらしい(と最近読んだ本に書かれていた)。ガミガミ言われて反発を覚えてしまう自分に若干の罪悪感を覚えながらも、仕方のないことなのかもしれないと最近は思っている。

故郷≠誰もが適合する環境

余談を二つ挟む。

余談その一。最近友人と話していてこういう話になった。
「田舎から上京してきた人って故郷大好きか大嫌いの二極に分かれるよね」

僕なりの答えとして、故郷大好きな人は故郷で自己実現ができていた人なのではないかと思う。一方で大嫌いな人はそれが叶わなかった人ではないかと思う。故郷嫌いな人は、そうした背景を持っているからこそ都会に出たがるのかもしれない。

余談その二。どうしても故郷という話題になると漢詩にあるような望郷の歌を思い出す。たいてい、自分の生まれ育った故郷を理想とし、なかなかそこに帰れない自分の身の上を嘆くという構図になっている(と思う。詳しいわけではないので誤認があるかもしれない)が、これは万人に当てはまるものではないと思うし、それが当然だろう。都会に馴染み、田舎に帰りたくないという人がいてもおかしくないと思う。田舎を出て都会にかぶれた人を「都会かぶれ」だとか「故郷を捨てた」と言う人がいるが、故郷よりも今住んでいる場所の方が性に合っているということの何がいけないのだろう。
人は生まれ育つ場所を自分で選ぶことはできない。田舎よりも都会が性に合っている人もいる。生まれ育った場所に違和感や不和を覚えているのならば、環境を変えることは合理的な選択なのではないか。サイズの合っていない靴を履き続ければ靴ずれしてしまうように、生まれ育った場所で暮らすことによって蓄積していく鬱憤はそのまま留まり続ければ爆発してしまう可能性もある。そうなる前に場所を変えることは良いことだろうと思う。
実際に、「孟母三遷」という言葉がある。この語源は子育てするのにふさわしい環境を求めて孟子の母親が環境を三度変えたことにあるらしいが、自分に見合った環境を求めて場所を移すことの大切さを説いている気がする。

適合的な(と今は考えている)環境を捨て、故郷に帰ることが自分に悪影響を与えるのであれば、帰る必要はないのではないかと思っている。
そしてこういうことを言うと「薄情だ」という謗りを免れないが、もうそれは仕方のないものと僕は諦めている。そういう人になってしまった。そしてそれは内発的な要因も影響しているが、外発的な要因も影響している。「薄情だ」と謗るあなたは「薄情な」僕を形成する布石を知らず知らずのうちに打っていたのかもしれない。

故郷に適合できなくても良いじゃない

本題に戻る。どのような環境にも適合的な人と不適合な人はいるものだと色々な人々を見てきて感じた。ある人にとって居心地の良い環境は、ある人にとっては居心地の良くない環境かもしれない。その環境が故郷であるならば、無理に適合的になろうとせず、不適合であると自覚した上で距離をとっても良いのだと考えている。

そして誤解のないように付記しておくが、「不適合でも良い」というのは「故郷との関わりを一切断つ」ということと同値ではない。それは不可能だろう。さらに言えば、故郷にいる友人との関係を断つことは自分にとってかなり辛いものである。一切合切ダメだと言うのではなく、「不適合だなあ」と感じる自分を肯定的に捉えた上で、関係を再構築していくことが大切なのだと考えている。

僕のように抑圧を受けた経験を持つ人はその過去を忘れることはないだろうし、それと付き合って生きていかなければならない。であるならば、そうした意識を否定して嫌々ながら向き合うのではなく、そうした自分を肯定した上で故郷との関係性を考えることが大切だと個人的に思っている。

具体的な打開策はまだ見つかっていない。今も考え続けている。
理性的に打開策を決定できるまで、しばらく故郷とは距離を置くつもりである。それが今の自分にとってベストであると考えるから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?