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びおら弾きの哀愁 3

今回はビオラ特有の音色の話。

協奏曲やソナタについてもやはりマイナーなビオラである。
ビオラのための楽曲は、主にバロック時代と近代以降に集中しており、ベートーベンやブラームスが活躍したロマン派時代に作られたもので有名曲はほとんどない。

理由はある。バロック時代にはビオラの先祖にあたるビオラ・ダ・ガンバやビオラ・ダ・ブラッチオなどヴィオール属の楽器が活躍していて、それ用の協奏曲が何曲も作られており、時代が下ってヴィオール属が廃れると、いくつかはビオラ用の曲として残った。例えば、テレマンのビオラ協奏曲、J.C.バッハ(←「音楽の父」ではない方のバッハ)のビオラ協奏曲、J.S.バッハ(←こちらが「父」です)のブランデンブルグ協奏曲第6番など。

その後、古典派・ロマン派時代を通り過ぎて近代以降の作曲家がビオラの可能性に目をつけた。それまで独奏楽器としては注目されなかったのが幸いしてか、半ば実験的に、あるいはクラシック音楽の古い枠を破るかのようにビオラのための楽曲が作られた。有名どころはヒンデミットのビオラソナタだろうか。ショスタコーヴィチやウォルトン、ブリテンなども素晴らしいビオラソナタを残している。

古典派・ロマン派の作曲家は、なぜビオラ協奏曲やビオラソナタをあまり作らなかったのだろう。ベートーベンやシューマンがビオラ用の曲を多少は残しているが、たいていは他の楽器のために書かれてのちに転用されたものだし、あまり有名ではない。シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」はビオラ弾きのレパートリーとして大変有名であるが、もとはビオラのためではなく当時流行した「アルペジョーネ」という楽器のために書かれたので例外。ビオラがソロ楽器として活躍しなかった大きな理由の一つに、音質の問題があると思われる。

バイオリンより太い弦を持つビオラは、よほどしっかり弓で弦をとらえないとはっきりした音が出ずにモゴモゴいう。特に一番低いC線を鳴らすのは、力技だ。全体的にこもりがちな音質。とくに一番高いA線の鳴りは、いかんともしがたい。力を入れれば入れるほど情けない音になって、飛べない鳥を連想させる。場合によっては喉がしめつけられそうになると言われることも。バイオリンに比べれば華がなく、チェロに比べると深みと迫力がが足りない。それは潔く認めよう。だが、どうしてそうなる?

まず音域の問題。ビオラの音域は人の声に近い、とはよく言われるがその音域は他の音に埋もれやすく、たとえ大きく弾いても人の耳にはなかなか届かない。また、弦が若干太いため、バイオリンに比べてシャープな音が出しにくい。

そして、共鳴の問題。どうしてバイオリンがあの小さな胴でオーケストラと張り合える音量が出るのかというと、バイオリンに4本張られている弦のうち、指で押さえない状態で「ラ」の音が出る「A線」が胴とうまく共鳴するからだ。それをバイオリンより5度低い音を出すビオラに当てはめると、計算上はバイオリンの1.5倍サイズでないといけない。しかし、バイオリンが全長約60センチとして、その1.5倍というと90センチ……。これだけ大きいと肩で支えるには少しばかり無理がある。結局利便性を優先させ、音の鳴りを犠牲にして75センチ前後のサイズとなった。この「前後」という曖昧さがなかなかビオラらしく、どの楽器もサイズが同じというバイオリンと違い、ビオラには個体差がある。身体の大きな人は鳴りの良い大きなビオラを使っているし、小柄な女性はやはり扱いやすい小さめの楽器を選ぶことが多い。(補足:胴のサイズを適正な大きさにしてクリアな音質を得るのに成功したヴィオラ・アルタという楽器が19世紀末のドイツで使われていたが、今はほとんど残っていない)

やはりビオラの仕事は、ソロで頑張るよりも、アンサンブルの中で和音やリズムを作る方が向いているのだろう。ただし、ものは考えようで、耳を刺激しない渋い音色は、響きすぎない高音は、心地よい温かさや微妙な味わいを持つ深さに通じる。

手元にビオラのためのエレジー(悲恋歌)を集めたCDがある。ヴォーン・ウィリアムス、コダーイ、ヴュータンなど近代から現代の作曲家による作品ばかりである。いずれもビオラの特性が上手く生かされており、ビオラの高音域特有の鬱屈したような音色は、バイオリンには決して出せない失恋の痛みが出せるし、C線ならではの温かく深い音色も、ともすれば自己主張が強くなってしまうチェロの低音とは違う良さを持っているのである。

キム・カシュカシアンによる、ブリテン「ラクリメ」(You Tubeにつながります)→

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