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ベートーベンと見せかけてソ連特集

県内ではだいぶアレも落ち着いてきて(日々の感染者数は概ね20人前後)、通常規模のオーケストラのコンサートが聞けるようになってきた。毎度刺激的なプログラムで楽しませてもらってきた名フィルも、7月から一部内容を変更して定期演奏会が復活。「生誕250年記念 トリビュート・トゥ・ベートーヴェン」シリーズということで意欲的なプログラムが組まれている。

今回聞きに行った定期はベートーベンの中でも《遺書》がテーマ。あの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」のことですよ。というわけでプログラムは以下の通り

・シチェドリン:ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書-管弦楽のための交響的断章
・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調 作品129*
・ショスタコーヴィチ:交響曲第9番変ホ長調 作品70
広上淳一(指揮)
※新型コロナウイルスに係る渡航制限によりヴァシリー・シナイスキーから変更
荒井英治(ヴァイオリン/名フィル首席客演コンサートマスター)*

実はどれも初めて聞く曲ばかり。とくにシチェドリンの曲は日本で演奏される機会が少ないらしい。が、「苦悩から歓喜へ至る」構成がわかりやすく、しかも最後の希望の描き方がカッコいい。曲が終わる少し前にようやく重苦しい和音が長調の明るい響きになり、続いて「英雄」の最初の4音がホルンで奏でられて消えるように終わる。

ショスタコのVn協2番は、パンフレットの解説によると1番よりも演奏機会が少ないそうだが、嬰ハ短調という調性もさることながら(調号がとても多く、楽器そのものが鳴りにくい調性)、ソロバイオリンの難易度がめちゃくちゃ高いことにも理由があるのでは? と思えるほどに超絶技巧の出血大サービスな曲だった。特に一楽章最後のカデンツ! 一挺のバイオリンでどうやれば二重奏みたいな真似ができるのだう??
ちなみのこの曲はショスタコーヴィチの友人であったVnの名手、オイストラフの還暦祝いとして作られたという。ただし、気がはやりすぎて予定より一年早くできてしまったらしく、翌年には新たにVnソナタを作って贈ったというから、ショスタコ先生のお茶目度&天才度がわかる(ちなみにパンフのエッセイによるとショスタコ先生は女性関係も大変充実していたらしく、なんとX股をかけていたとかいないとか……。非常に面白いエッセイだった)。

続いて同じくショスタコーヴィチによる交響曲第9番。第2次世界大戦の勝利を祝うために作曲されたこの曲も曰く付きで、やはりパンフレットの解説によると、時の指導者スターリンはベートーベンのような「第九」を期待していたにも関わらず、実際にショスタコ氏が差し出したのは軽妙洒脱な曲、コンパクトでしかも踊るような終楽章を持つシンフォニーだったため、当局の受けは最悪だったという。しかし、決して一筋縄ではいかないショスタコ先生のこと、もちろん深い意味が込められている。終楽章の踊るようなメロデイは、ユダヤの民謡旋律から取られているという。戦争が終わって歓喜雀躍するユダヤ人の様子が分かる人には分かるという仕掛け。

それとは別に、実際に聞いてみると古典的(形式的)とはいうもののプロコフィエフの古典交響曲にも似て、というか当時の時代性を形式の中に押し込めた感が強い。あえて古い革袋に新しい酒を入れた感じ。ソロが多くてオーケストレーションの薄い箇所が多いのも、古典交響曲と共通している。ショスタコ氏がプロコフィエフを意識していたのかどうかはわからないが、はからずもこのシンフォニーを発表して3年後の1948年、二人ともジダーノフ批判(ソビエト連邦共産党中央委員会による前衛芸術に対する批判)の標的となった。

名フィルの演奏そのものについては、いつもの調子でエネルギッシュでキレッキレ。舞台のすぐ上、P席で聞いていたが、演奏が始まってたちまち「オケの音量てこんなに大きかったっけ?」とのけぞったほど。本来なら音の飛ばないP席を好んで選ぶのは、値段のお手頃感だけではなく、演奏者を間近に感じ、指揮者の表情や指揮ぶりがよく見えるから。ぶっちゃけた話、自分が舞台に乗っている時に見える景色と近いから、というのがある。

今回の指揮者はピンチヒッターで京響の広上淳一氏が来てくれたわけだが、実は少し前にEテレのN響クラシックで、広上氏の指揮する回でとても良い演奏を聞いたので、それもあってわざわざ足を運んだのだった。
テレビで見た時と同じように身振り大きく表情豊かで、温かい指揮だなあと感じた(時々打点が行方不明になるのだが、演奏者が歴戦のプロだからできる技なのだろう)。終演後の舞台挨拶もオーケストラ愛がこもっていて、つい、泣きそうになった。いつか京響遠征ができるといいのだけど。

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