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日本史論述ポイント集・近世③

今回は、江戸幕府の対外政策について見ていきます。

江戸時代というと「鎖国=海外との交流を断つ」というイメージがありますが、もちろん現行の教科書ではそのような平板な記述はされていません。

幕府は、長崎(出島)・対馬・薩摩・松前の「四つの口」を外交の窓口としていました。そこにはどのような意図があったのか?そして、それぞれの窓口ではどのような交流があったのか?理解に努めてください。

なお、東洋経済オンラインに「鎖国」に関する私の記事があります(タイトルは私がつけたものではありません涙)

https://toyokeizai.net/articles/-/129161


近世③・幕府の対外政策

Q1 糸割符制度とはどのような制度か?

A1

①特定の商人に糸割符仲間を結成させ、輸入生糸の価格を決定して一括購入させる制度。

②白糸(中国産生糸)を長崎に持ち込み巨利を得ていたポルトガル商人の利益独占を排除する目的で創設された。


Q2 幕府が日本人の海外渡航や貿易を制限した理由は?

①キリスト教の禁教を徹底する。

②幕府が独占して貿易を行うことで、西国大名や豪商の富裕化を防ぐ。

③海外の窓口を出島・対馬・薩摩・松前の「四つの口」に限定することで、海外からの情報を統制し、幕府が独占する。(オランダ風説書など)


Q3 対馬の宗氏が朝鮮との国交回復に尽力したのはなぜか?

A3

①対馬は耕地に乏しいため、貿易の再開は経済的に死活問題であり、また、その利潤が家臣に対する知行にもなっていた。

②そこで、朝鮮使節の仲介を務め、己酉約条で釜山への倭館の設置と年20艘の歳遣船が認められた。


Q4 幕府が「鎖国」政策を断行できたのはなぜか?また、「鎖国」の完成はどのような影響をもたらしたか?

A4

①当時の国内の経済が海外との結びつきがなくとも成り立っていたから。

②「鎖国」の完成により、キリスト教の禁教が徹底されるとともに、海外からの影響が制限され、対外的平和が確保されたことで、幕府の国内での統制力が強化された。


Q5 海舶互市新例の内容と目的は?

①清・オランダとの長崎貿易における貿易額を制限する。

②国内で金銀の産出量が急減するする中で、海外への流出を防ぐ。



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